
やじろべえ日記 No.13 「仮説」
その日,いつもの公園へ行くと珍しく浅井さんが歌っていた。
観客もけっこう多くいるので私は邪魔にならないように別のところでキーボードの準備をすることにした。
私は野良でキーボードを弾いている人間だ。今は学生なので放課後限定で弾いている。たまにプロを目指しているのかと問われるがそんなわけではない。第一私はプロになるには大きな欠点を抱えている。
今までセッションした全員に言われることが,『あなたの演奏は日ごとに全く違っている。』ということだった。昨日とあるキーボード弾きとセッションをしてやっと何がどう違うのかを理解できたが,まだまだ自分の演奏と向き合えていない。
プロになるとは聴衆の期待にこたえなければいけない。日ごとに演奏が変わってしまう私の場合,観客の期待を裏切るさまが容易に想像できる。プロなんて夢のまた夢だろう。
**********************************
ウォームアップしていると浅井さんがこちらに気づいた。
「やあ!今日は一緒にやらない?」
「もちろんいいですよ。飛び入りの感じでいいですか?」
「ああ。それにしても声かけてくれたらよかったのに。」
「歌っている最中だったので気が引けて。」
「それもそうだね。じゃあ何にしようか?」
「できれば浅井さんのアカペラで始まる曲がいいです。」
「わかった。」
そんなやり取りをした後,またセッションを始めた。今日は初めて聴く曲が多かったしそこまでミスらしいミスはなく演奏できた。
そして3曲くらいやった後でお開きにしようということになった。
「やっぱりセッションはいいですね。楽しいです。」
「そうだね。ところで,一つ聴いてもいい?」
「はい。」
「君って,なんでここでいつも一人で弾いてたの?」
「…なんででしょう。実は自分でもよくわからないんですよね。」
「そうなんだ…。じゃあ初めてここで弾いた日のことは?何か覚えてない?」
初めてここで弾いた日か…あまりよくは思い出せない。
********************************
あの日はなぜか気が付いたらキーボードを持って公園に来ていたのだ。もともとは学校でピアノ弾きやギターを弾く人,楽器活動をしている人が集まったサークルに入っていたが,セッションする人セッションする人,だれもかれも『もうついていけない。』と言って離れていった。
そして気が付いたらセッションする人同士は固定化され,孤立してしまった。それで私は多分キーボード片手に公園に来た…んだと思う。
「なんで最後,『…と思う。』なの?」
「え?声に出てました。」
「うん。心の声が駄々洩れだった。」
「すみません。」
「それは謝る必要ないんだけどさ,なんで『…と思う。』で最後終わったのかなって思ってさ。『サークルで孤立した』だってここで一人で弾いてる立派な理由じゃん。」
「えーと,確かにここに来るようになったきっかけはそうなんですけど…なんで弾くようになったのかという問いにはうまく答えてない気がします。」
「そうかあ…まあ思い出したら教えてくれよ。」
「はい…そういう浅井さんは何で歌っているんですか?」
「僕?僕はね,もともとライブハウスでバイトしてたんだ。」
「バイトですか?」
「もともと友達がそういうの好きでライブハウスでバイトしてたんだけどね。それでその友達がインフルエンザで出勤できなくなったことがあったんだ。その時,代打で働いた。歌っていたシンガーさんの歌がすごくてさ。それまで歌なんてやったことなかったから,取り合えずそういう歌を聴くためにライブハウスのバイト見つけて働くようになった。お金なかったしね。それで歌を覚えて歌うようになった。」
「そうなんですね…なんていうか小説みたいなきっかけですね。」
「まあただの偶然なんだけどね。…もしかして君にはそういうエピソードはないの?」
「…ないですね。しいて言えば,母が私にピアノを習わせようとして教室に入れたことですかね?」
「ふうん。」
「ただなんで続けているかは,正直自分でもわかりません。」
*********************************
なんだか微妙な雰囲気にしてしまった。
「…劇的なエピソードも,続けるだけの強い理由もないから,演奏が安定しないんですかね?」
「うーん,どうだろう。少なくとも僕は,君の演奏が日ごとに変わっていることがあまりわからないし,セッションできないレベルとは思ってないよ。」
「でも演奏が安定しない人と一緒にやりたい人なんて…」
いないでしょうと言葉を続けようとした。だが昨日一緒に弾いたあのキーボード弾きの少女を思い出した。
『昨日と全く同じ人間なんていないですよ。』
確かにそうだ。だとすれば。
「私がセッションを立て続けに断られたのは,演奏が安定しない以外に理由があるってことですかね?」
「さあねえ。じゃあ試しに,明日同じ曲をもう一度やってみる?」
「はい。」
「ただ僕が用事あるから,少し前に行ったあっちの公園でいい?」
「わかりました。」
そういえば浅井さんはどうしてあの時私に声をかけたのだろう?まあ,それは明日以降きけばいいか。
いいなと思ったら応援しよう!
