惚れる感覚
プロローグ
窓の外,新緑の木々が見える。きらきらとあちこちから光が差し込んでくるのはきっと水滴がまだ残っているからだろう。
日が昇ってからだいぶ経ったのだが,人はまだほとんどいない。
いつも通りに早朝に着くと,私は学校の廊下でいつものように楽器を組み立てる。キーが曲がるといけないのでそっと。慎重に。急ぎすぎず組み立てる。
オーボエという楽器。主にメロディーを担当することが多い楽器だ。線の細い音だと自分では思う。周りを圧倒する力なんてなさそうな細くて今にも折れそうな見た目。それでもいざ吹き始めると妙に存在感のある楽器だ。
歌のスパイス
メロディー。主旋律。音楽の核となる部分だ。
昨日講師の人がこんなことを言っていた。
「人って,恋すると音楽変わるんだよね。誰かに惚れる感覚が音楽を成長させるんだと思う。」
へー。としか思えなかった。
自分以外にも人はいたのだが,これに同意した人が果たしてあの場に何人いたのだろうか。
音楽の大半はラブソングとされているようだが,自分は恋だの愛だの一切経験したことがないのでよくわからない。まだそういう時期じゃないだけだといろいろな人が話すけど,別段そういう経験が欲しいとも思わない。
だいたい毎日課題と練習に追われてそんなことできるわけない。
決められた服着て,決まった時間に学校へ行って決められた課題をこなして,決められた教室に入って。友人とのやり取りも表面的で。
心が動くことなんて,私たちには禁忌のようなものではないか。
光のショー
この言葉の説得力が自分の中で全くない理由はもう一つある。
今自分の周りには恋だの愛だの真っただ中にいる人が何人かいる。まあそういうお年頃なのだろう。だがその人たち全員,歌い方がうまくない。なんというか,響かないのだ。
恋にうつつを抜かすとこうなるんだな,という典型である。悪いけどああはなりたくない。
厳密にいうと私が好きでないだけなのかもしれない。そう考えると,リア充に嫉妬しているのかとか言われそうだったから何も言わない。リア充が幸せだろうが爆発しようが何しようが本当にどうでもいいのだ。どうでもいいものについて誤解されて,誤解を解くのに労力を使うのは疲れる。
なにかに恋い焦がれる。そんな経験がないと歌うことってできないのだろうか。あの言葉に同意した人なんていないと思っていたが,実際は結構いたのかもしれない。
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ぼうっとしていたその時だった。
さわさわさわと風が吹いた。窓の外で木々が揺れている。きっと風が吹き始めたのだろう。
自転車できている人は大変なんだろうな。
普段の私ならばそんなことを考えるのだろうが,その時は違った。
木々が揺れて,反射した光が降っていくのが見えた。
雨か?違う。さっきまだ木々に残っていたしずくだろう。
たかがしずくである。どこにでもあるような朝露。その気になれば明日も明後日も普通にみられる。ありふれた水滴だ。
それなのに,どうしてこんなに目が離せないのだろう。光が降って,それは地面に消えていく。それがこんなに長く続いている。音もなく,広がるのは木陰に見えるスパンコールのような光だ。
その一粒一粒が,頭に焼き付いて離れない。
気が付くと朝露のライトショーは終わっていた。朝っぱらから頭がおかしくなったのだろうか。朝露の残量を考えるとあれはとても短い時間だったはず。5分もなかったのではないか。しかし自分の体感としては30分くらいたっていた。
あれに心を奪われるなんて。想定外だ。
…そうか。心を奪われる。何かに思いが向く。
こういうことなんだ,惚れる感覚って。
なんだ。だったら,別に人に恋する必要なんてないじゃないか。私にはこの光の粒がある。
なんだ,あの講師さん,人にしか恋したことないんだな。かわいそうに。
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