老後を考えてみた
最近一人で家にこもって作業する時間がとても増えた。気が付けばネットで英文の記事を読んだりyoutube動画を見たり,海外の講義やTEDを見たりしている自分がいる。
一人で過ごす時間
働き始めてからの自分のテーマが「一人でゆっくり過ごす時間を持つための行動」だった。
以前も書いたかもしれない話をする。
筆者,社会に出る直前いろいろあって疲弊してしまっていた時期がある。理由は人にもまれたことだ。
大学時代はなるべくいろいろな人と接したほうがいいと周囲に勧められ,とりあえずその通り行動した。実際他人とかかわって何かをするという経験はこれからも生きると思って積極的に行おうとしたまではよかった。他人と一緒に作業するうえでなるべく相手と言葉を交わす努力をした,つもりだった。しかしもとから人と話すのが苦手な人間である。様々な人と接しながら何かを進めようとしても自分の中で何かが切れてしまった。
そこで社会に出たときに意識したのが「一人になる時間の確保」だ。
誰かと一緒にいると消耗してしまい,結局自分がどうしたいのかがわからなくなってしまったのが就活および社会人になる過程での大失敗だろう。もっと早くやりたかったのだがこればっかりはお金を稼げるようになってある程度自活できないと何ともできない。
だからそれができるチャンスのうちに内省の時間をなるべくとることにした。自分と向き合う時間,というやつである。
唐突に周囲の話
実は私には祖父がいるのだが,その祖父には趣味らしきものがない。
やっていることといえば
・畑での草刈り
・畑の整備
・昼寝
・(冬季限定)雪かき
趣味らしい趣味もなく,話し相手もいなさそうなのに,なんでボケることもなくそこそこ元気に動けているのだろう…不思議に思って実家に帰る度に観察していた。そこであることに気づいた。
祖父がおもわずやってしまっている上記のこと,全部ひとりでできるのだ。
筆者は不意に思った。
「QOLを左右するのって,一人の時間をいかに自発的に過ごせるかかもしれない。」
確証はないのだが,しいて言えばあの年齢(明記はできないが70は超えている。)になってまで介護の手をほとんど借りず,足取りもしっかりと歩けている祖父がそのまんま生きた証人であるだろう。
多分筆者はあと何年かは生きる可能性が高い。
統計的に言えば生き延びる可能性は十分高いらしい。だが,いかんせん平均寿命まで生きるかはよくわからない。
加えて自分は終わりが見えない状況に絶望するたちであることが最近分かった。こんな自分が人生これから60年近くあると考えると気が滅入るのは必然である。
ひとまずあと5年程度生きるくらいの気持ちで生きていた方が精神的にも楽だろう。
その間のQOL,そしてもし老年期まで生き延びてしまった場合のQOLを上げるには一人で充実した時間を過ごせるようになるのは必須だろう。
つながってきた思考
社会人になってから努めて行動してきたことが将来のためにも大事だと気付いて少し満足感が得られた筆者である。
思えばこの創作活動も一人の時間を楽しむためのものだったのだ。
老後を健康に過ごすコツの一つがわかったかもしれないのは喜ばしいことだ。