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やじろべえ日記 No1.「お誘い」
「ごめん,もう一緒にやっていけない。」
ああ,これで何回目だろう,これ言われるの。
音楽サークルに入って活動を始めたはいいものの,誰かと組んでは別れ,組んでは別れの繰り返しだった。
わたしは小さいころからキーボードを弾いていたのでそれの練習をしていたのだが,どうも私は人にうまく合わせられないらしい。
あの人と組んで発表しては別れ,また発表しては別れを繰り返していた。
そのたびに言われるのがさっきのセリフである。
恋人の一人だっていたことがないのに,この別れ話の終盤に出てくる決めセリフをこの数か月で何回言われたのだろう。
きっと私はこのまま野良としてプレイしていくのだろう。そう思った矢先,声をかけられた。
「君,一緒に演奏しない?」
またお誘いである。相手はシンガーのようだ。ナンパのような誘われ方だったが,こちらもどうせ暇な身分である。
「わかりました。やりましょう。」
恋人と別れた後で自棄になっているシーンは小説でもお見かけする。その時の心情はこんな感じなのだろう。もう誰と一緒でもよかった。
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そのシンガーさんはなかなか上手だった。観客の反応も今までの数倍よかった気がする。これは一緒に組もうといわれるだろう…
観客の反応をよそに私は思索していた。もし組もうといわれた場合,今日と同じような演奏ができるとは限らないことは話した方がいい。
わたしがほかの人と長く続かない理由は演奏が安定しないことにあった。
リズムの取り方や弾き方を変えているつもりは全くないのだが組む相手には口をそろえて
「どうして昨日と同じようにやってくれないの?」と言われてしまう。
演奏が安定しないのはアンサンブルとしては致命的。それはわかっているしだから一定になるよう練習はしているのだがなぜだが変わってしまう…らしい。自分でも原因がわからないので改善のしようがない。
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アンコールの声が響く中,シンガーの人がこちらへ近づいてきた。
「ありがとう,でも…」
ああ,ダメだったか。私の不安定さに一回のセッションだけで気づくのはすごい才能である。
「今日はもう君とはできない。」
そうか。残念。私はまたほかを当たろう。
「だから」
うん?
「明日また,一緒にやってくれないか?」
なんと,継続のお誘いである。なかなかうれしいが,そうか。この人も私の特性は見抜けなかったか。
…いいだろう,この人がどこまで私と一緒にやれるか,見ものである。
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