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やじろべえ日記 No37 「珍しい光景」
「この間は本当にごめん!」
集合場所へ到着するなりいきなり謝られた。
わたしは野良のキーボード弾きである。名前は市村。いつもは学校が終わると公園へ行って適当に弾いていることが多いのだが,今日は浅井さんと伏見さんに呼ばれて以前3人で会合したあのカフェに来ていた。
カフェにいたのは浅井さんと伏見さん,そして戸村さんだった。
最初は戸村さんどうしたんだろうと思っていたがいきなり謝られたことと両隣にいる浅井さん,伏見さんの表情を見て大方の事情は把握した。
「…伏見さん,浅井さん,だいたいの予測はつきましたが説明お願いしてもいいですか?」
「昨日あれから陸人に連絡とったんだけど,君がしょんぼりしてた話をしたら慌てて謝りたいという話をされてね…」
「なるほど…」
戸村さんとは一昨日一緒にセッションしていたのだが,…まあ端的に言うと「期待外れ」ということを言われて終わった。それはこちらの演奏が至らなかったからではあったのだが,衝撃を受けたことは間違いなかった。これまでは「演奏が変わること」で落胆されることが多かったものの戸村さんに関しては「演奏が予想以上に変わらなかったこと」で落胆されたからである。
期待されていたものに応えられなかったというのはなかなか心にずっしり来る。そんなことを昨日ぽろっと伏見さんに話したため浅井さんにまで話がいってしまい現在に至る。
しかしそんなに落胆しているように見えたのか。いや落胆してないわけではなかったが,そんな心配されるレベルに見えたのが少し恥ずかしい。
「建成と伏見さんにはこっぴどく怒られたよ…まさか君がそこまで気にしてると思ってなくて…」
「あー,確かに衝撃は受けましたが今まで言われたことない感じの講評だったので。…期待に沿えなかったことで確かに落胆はしましたが。」
「…陸人には言って聞かせた。市村さんの演奏の変化は確かに感動的だし素晴らしいものだけど,面白半分で見ていいものじゃない。陸人にはその辺の認識が足りないように見えたからね。それを話したよ。伏見さんも,一緒に話してくれたしね。」
「そうなんだ。伏見さん,ありがとう。」
「お話を聞いている限りあれは怒って当然かと。」
「うん…」
しばし沈黙が走る。
「お話はそれだけですか?」
「陸人からは以上だけど,僕からは提案がある。」
浅井さんが何かを言い出すのは珍しい気がする。いや珍しくもないか。ただ浅井さんの怒りとやってやろう見たいな挑発があふれ出る表情は珍しい。こんな邪悪な顔,あんまり見たことない。
「陸人の脳みそをちょっと勝ち割りたくてね。それで,伏見さんとも話した。こんどまた,3人でセッションしない?」
そう来たか。
「私はかまいません。セッションのお披露目はいつにします?」
「陸人が大学の追試食らったみたいだからね。来週末でどう?」
「私は問題ないです。伏見さんは?」
「大丈夫です。」
「じゃあそうしよう。さっそく明日から練習開始だ。」
誰かをぎゃふんといわせるための演奏。私は初めてかもしれない。
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