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やじろべえ日記 No22 「摩擦・後編」
翌日,私は放課後ダッシュで公園へ行った。今日ばかりは早くいかないと意味がない。
時間がないので簡潔に。私は野良のキーボード弾きをしている学生だ。今日はある本番を控えているので急いでいる。だから自己紹介はこれで終わり。
今日迎える本番というのは,いつもセッションしてもらっている人,浅井さんとのセッションだ。そして観客はこれまた一緒にセッションしている伏見さん。
なぜこんなことになったかというと少し前に話はさかのぼる。3人でセッションをしようとなった時のことだった。
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「デュオリサイタル?」
浅井さんはとても困っていた。しかし今思いつく打開策はこれしかない。
昨日伏見さんは浅井さんの演奏に合わせると私や伏見さんの演奏が死んでしまう…という趣旨の話をしていた。ここ数日,3人でセッションをしていたのだが一向にうまくいかず話し合うことにした場での出来事だった。
浅井さんだけが悪いわけではないことは強調するが,その発言が否めないことは私でもわかった。
だが一方で伏見さんの中ではある情報が抜けていることにも気づいた。
彼女が浅井さんの演奏に対して懐疑的なのは初めて聴いたあの本番が理由だろう。浅井さんが凄腕新人シンガーの前座をしたライブ。私も翌日話を聞かされるまで全く気付かなかったが,浅井さんは新人がやりやすいようにわざと落ち着いて聞かせるタイプのセトリを組んだのだ。そしてそのことを伏見さんは知らない。
このことから浮かんだ仮説はこうだ。浅井さんにも人並み以上のアンサンブル能力があるのではないか,ということである。少なくとも状況から自分が何をすればいいか判断する能力がある。でなければ公園で気軽にセッションなんかできない。
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基本的にセッションはボーカルに伴奏が合わせる。これは音楽初心者でも想像がつくだろう。ただし現状浅井さんに合わせた結果セッションがうまくいっていない。
ならば常識を疑ってみるのは?浅井さんの演奏に合わせて二人が死ぬのであれば逆をやってみれば…つまり私たち二人に浅井さんが合わせる…これであればうまくいくのではないか。そう思ったのだ。
その結果が今日のリサイタルである。事前に何曲か候補を教え,その中で私が決めた3曲を演奏,その場で即興で合わせてもらうというスタイルだ。昨日その場で浅井さんと私が合わせて入ってもらうという手もあったが,リサイタルという手法をとったのには理由がある。
浅井さんの対応力を伏見さんに見てもらうためだ。
いままで浅井さんの演奏に合わせて私がのほほんと弾くスタイルをとっていたが,浅井さんと伏見さんがかみ合わない現状を考えると多分,伏見さんが私に合わせてもらうスタイルの方がいいだろう。となった場合,まずは私が浅井さんに合わせてもらう方が手っ取り早い。
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公園でウォームアップをしていると浅井さんと伏見さんがやってきた。
「お疲れ様です。」
「今日は早いねえ。」
「はい。さて,浅井さん,準備ができたら始めますよ。即興リサイタル。」
「わかった。」
「今日は私,合わせに行かないのでよろしくお願いします。」
伏見さんを見ると神妙な顔をしている。オーディエンスの用意は万端だ。
あくまで今日のセッションは浅井さんの対応力だよりだ。しかし失敗する気がしないのは私に技量を測る目がないからだろうか。
そして開始。まずは私がオープニングアクトとして気ままに一曲弾く。1曲目はファンファーレっぽい華やかな曲をやるので少ししっとり目のオープニングである。
そして華やかな前奏に続き,浅井さんの歌が入る。朗々とした歌声だ。合わせる気はないが徐々に華やかになっているそのスピードは抑えめでいく。そして最後の最後に派手に仕掛ける。
そう思ったら2曲目は少し暗めの曲。高音主体の夢の中にいるような曲だ。女性パートの方が映えそうな曲だが,浅井さんはどう出る?
浅井さんはなるべく細い声で,何か願い事をつぶやくかのように歌い上げてくれた。サビは切実に,淡々と。私はここでは夜空の星のごとく,ただ黙って主人公を見る。特別何かをしたりはしない。
3曲目は激しいロック調の曲。悲しいとか暗い気持ちに浸らせる暇はない。自分たちの熱情を存分に暴れさせる。今回も浅井さんの歌は聞こえはするものの寄り添わない。
寄り添うなんてロックらしくないだろう。いや語弊だ。少なくともこのロックに寄り添いは不相応だ。
浅井さんの息が整ったのを見て最後に3人でやっている曲をやる。はじめは揺蕩う夢の中。しかし徐々に目が覚めて現実になる。そして鼓動が早くなり,サビでは雄大な景色が広がる。
浅井さんの歌は聞こえてはいるが,雄大な景色を見るための道のりはしっかりこっちで作った。そうしないとサビで盛り上がらない現象が起きる。できるだけサビで広げるため,サビ前の道幅を細くしたのは効いただろうか。
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すべて終わり我に返ると,目の前に拍手をする伏見さんがいた。
「すごい…すごい…こんな演奏初めて聴いた…。」
「…伏見さん。」
「あ,あの,すみません。私昨日あんなこと言って。」
「そういえば伏見さんと市村さんは話してたね。あんなことって?」
「浅井さんには話してなかったのですが…実は浅井さんに合わせると私と市村さんのいいところがなくなるって昨日市村さんに話してて…」
「そうだったのか…我慢させてごめんね。」
「いえ。私も悪かったです。それで市村さんがこのリサイタルを提案してくれたんです。」
「そういうことだったのか。」
伏見さんは伏見さんで目の輝きを取り戻している。さて,責任も果たせたし本題に行くか。
「伏見さん。」
「はい。」
「どうだった?デュオリサイタル。」
「なんというか,浅井さんも市村さんも昨日と全然違うっていうか。昨日よりも生き生きしていました。多分ここに入れない私が悪かったんだとも思ってました。」
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伏見さんはこう言ったが実は少し違う。
「伏見さん,今回,私は合わせに言ってないんですよ。」
「…え?」
「うそお。」
聞こえないように話したので伏見さんはその反応で間違いない。しかしなぜ浅井さんがその反応なのか。
「浅井さん,私さっき言いましたよね?『今日は合わせに行きません。』って。」
「いやあでも,合わせやすかったよ?僕も安心して乗っかれたし。」
「それです。私は浅井さんが乗っかってくれるのを期待して今日のスタンスにしたんです。」
ここで伏見さんがたまらず声を上げる。
「あのう,どういうことですか?」
「今まで私は浅井さんの歌を元にアンサンブルを組もうとしてたんです。ですが,伏見さんが昨日浅井さんが出ていた本番を指摘してたんですよね。」
「あ,それは…」
「伏見さんは知らなかったと思うけど,あの演奏って後に歌ったすごくうまい人の前座だったんだよね。」
「え!?」
驚くのも無理はない。私のあの時そうだった。
「浅井さんは前に歌っていた人と,あの人の間に入って本番がより効果的になるようなセットリスト組んでたんだ。」
「そうだったんだ…」
それってすごくない?という表情をした伏見さんを見て,浅井さんは笑い転げた。
「っははは。ああ,それで僕に対する視線がちょっと曇ってたのか。」
「ああ,ええと,すみません。」
「いいよいいよ。あれを見せられた後で僕が歌っているのを聴いてもそりゃあ哀れに見えるさ。」
「なんか…すみませんでした。」
「まあいいよ。それで市村さん,本題はここからだよね?」
「はい。浅井さんは周りを見て合わせたり,ここだっという見せ場を作ったりできる人です。それは伏見さんもお判りいただけるかと。」
「それは感じました。たぶんあの後の歌を聴いた後でもすこし浅井さんのパフォーマンスが残っていたのはそれが理由だと思います。」
「私は原則を重視するあまりそこを見てなかったんです。つまり,ボーカルに寄り添おうとするあまり,ボーカルのいいところを殺していたんです。」
「…ああっ。」
そう。昨日伏見さんが言っていた「私や市村さんのいいところが消えている。」は別に二人に限った話ではない。浅井さんのいいところも全く生かし切れていなかったのである。
「だから今日は逆をやってみました。好き勝手弾いて浅井さんに合わせてもらう。もちろん浅井さんが何らかのアクションを起こせば答えますが,それ以外は基本浅井さんをほとんど意識しませんでした。」
「えええ。ほんとに?でも全然違和感なかった。今までもこんな感じじゃなかった?」
「今までも確かにこんな感じでした。『今までの感じ』を3人になったとたん私が忘れたんです。」
ここでやっと浅井さんもなるほどなあ。という顔になった。
さて,あとは伏見さんの返答待ちだ。
「さて,伏見さん。」
「はい。」
「今のを見て,何を書き足しますか?」
伏見さんの顔がぱっと輝いた。うん。これならいけそうだ。
浅井さんはきょとんとしていたがこれでもう大丈夫だろう。
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