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やじろべえ日記 No21 「摩擦・前編」

昨日はよく眠れなかった。色々考えた末ベッドに入ったのは1時だったので厳密にいうと眠れなかったのは今日ということになる。

そんな御託はどうでもいいと一部読者から指摘をいただいた。しかし考えてみてほしい。落語とか校長先生の挨拶とか,日本語の文章に触れている人であれば,話の冒頭からいきなり本題に入ることは緊急事態以外めったにないことはお判りいただけるだろう。そして今は緊急事態ではない。だからこれでいいのである。

話を戻そう。私は現在学生の身分であるが今日は学校に行っていない。理由は簡単だ。今日は学校が休みなのだ。

それで今日は知り合いの浅井さん,伏見さんとお茶をすることになっているのだ。なぜお茶をすることになったのか,話は4日前にさかのぼる。

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私は放課後いつも公園で気ままにキーボードを弾いている。そしてここ2週間はシンガーの浅井さんやキーボード弾きの伏見さんとセッションをすることが多くなった。

その縁で3人でセッションしようということになったのだが2日連続でしっくりくる演奏ができなかった。そこで気分転換と作戦会議を兼ねてお茶して話そうかということになった。

いつも見ている方であれば前置きがいつもより長いことを不審に思っているだろう。実はその理由は今まさに移動中だからだ。集合場所のカフェ,いつもの公園より遠いのである。

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カフェにつくと伏見さんが座っていた。
「こんにちは。浅井さんはまだですか?」
「市村さんこんにちは。そうですね。」
浅井さんはたしか本番の準備があるから午前中は忙しいと話していた。注文して待っているのがいいだろう。ちなみに市村というのは私の名前である。

「そういえば,伏見さんは何か頼みましたか?」
「はい。カフェラテを。市村さんも頼みますか?」
「はい。じゃあ私は…キャラメルマキアートにしようかな…」

注文を終え,私は席に着くことにした。

「伏見さん,結構早かったですね。」
「はい。昨日の反省して練習していたのですが,にづまってしまって。気分転換にここで宿題してました。」

忘れていたが,伏見さんはまだ中学生である。うん?そういえば。

「あのう…よく今日外出許可出ましたね?」
「え?ああ。そうですよね。安心してください。私の家,近所なんです。」
「えっと,そういうことじゃなくて…私ほら,しがない大学生だし,浅井さんは大きな男性だし,よく会うこと許可出たなあと思って。」
「えーと,まずこのカフェ,私の親戚が経営しているんです。行く時間も日中なので特に親にはとがめられませんでした。」
「え?そうなの!?」
「そうです,あそこにいるのは叔父です。」
よく見るとマスターらしき人が向こうでひらひら手を振っている。世界ってホント狭いな。
「えーと,じゃあもしかして私たちと会うことも了承得られてるんですか?」
「叔父が後で報告をするみたいですけど。ただ市村さんは大丈夫でしょう。女性ですし,特に何か悪いこと企めそうにもなさそうですし。」
「市村さんは,ってことは浅井さんについては怪しいと思っているってことですかね?」

伏見さんが黙りだしたということはそういうことだろう。
昨日とおととい,二人を観察していて思ったことがある。伏見さんと浅井さん,ぱっと見そこまで相性が悪くなりそうな組み合わせではない。しかしどうもかみ合ってない節がある。特に伏見さんは昨日から浅井さんに対して少し辛辣なところが見える。

誰にでも相性というものがある。だから伏見さんをとやかく言うのは違うだろう。しかし浅井さんも浅井さんでかみ合っていない理由に気づけていない可能性が高い。

「昨日はどうしてカフェへ行こうと?」
「私が市村さんと話したかったんです。セッションの時,何に気を付けて演奏しているか,どこを意識しているか。市村さんとのセッションは本当に楽しくて,演奏の深みがどんどん広がる感じがしたんです。それなのに…」

3人になったとたん,それがなくなったといいたいのだろう。伏見さんが不満気だった理由はおそらくそれだ。

確かに3人になった時,私はどちらに合わせればいいかわからず混乱してしまった。それで昨日もスコアを見ながらどちらに合わせようか悩んでいたのだが,手づまりしてしまった。伏見さんの雰囲気に合わせようとすると浅井さんはもう少し雰囲気を弱めにしないといけないし,浅井さんに合わせると伏見さんが追い付かなくなる。

「伏見さんが不満げなのはわかります。」
「…やっぱりばれましたか。」
「不満であることを恥じる必要はないと思いますよ。そのための話し合いだと思うので。ただ…」
伏見さんの機嫌が悪いのはセッションがかみ合わないだけでない気がする。
「伏見さんはその…浅井さんを苦手に思っているように見えます。」
「気を使ってもらわなくて大丈夫ですよ。なんとなく浅井さんのことが好きになれないというのはあるので。」
伏見さん,はっきり言うなあ…

「あの,その,浅井さんが好きになれないというのはなんで…ですか?」
自分でも笑えるくらいしどろもどろである。笑っている場合ではないが。
「…市村さんに教えてもらった本番,私も見ていたのは覚えてますよね?」
「はい。」
伏見さんと出会った翌日のことである。不思議なセッションの後にどん底に落とされた記憶があるのでよく覚えている。
「その時の演奏,全く覚えていないわけではないんです。ただそのあとの演奏にかき消された感じがして。」
そう。あの日,浅井さんは新人の超絶上手いシンガーさんの前座を行ったのだ。セットリストを効果的にするという意味で浅井さんはうまく役割をこなしていたのだが,何も知らない私たちはすっかり騙された。
「そう…でも,それで浅井さんの歌を好きになれなかったんですか?」
「ちがいます。その…よくあんな状況になった中で歌い続けられるなって思って。それで3人で演奏しようってなったあの日,興味本位で一緒に演奏してみたのですが…市村さんがあの人と一緒に演奏している意味がよくわからないんです。」
「意味?」
「はい。はっきり言って市村さんはすごくうまいです。センスもアンサンブル能力もずば抜けている。でも…」
「でも?」
「浅井さんにはそれがないように見えるんです。…セッションでボーカルに合わせるのは原則だってことはわかっているんです。ただあの人に合わせても,私や市村さんのいいところが半減どころかほとんど残らない。そう思えてならないんです。」
私は黙るしかなかった。私も浅井さんと演奏を始めたきっかけは浅井さんの演奏が好きだからというよりは浅井さんにたまたま声をかけられたから,というのが大きい。セッションの時も私が浅井さんに適当に合わせていることが多かったし。

ただ伏見さんの言うことは的を射ている。3人がそれぞれ,お互いのいいところをかき消している。そんな気は私もしていた。だが

「浅井さんに合わせてもいいところが残らない…か…。」
「…すみません。失礼なのはわかっているのですが,どうしてもこれ以上の表現が思いつかなくて…」

伏見さんの表情も苦しそうだ。それはそうだろう。自分より一回り年上の人間相手,しかも二人,しかも片方は大柄な男性。そんな人相手に下手したら気分を害するようなことを指摘しなければいけなかったのだから。

だが同時にあることを思いついた。多分,これが一番だろう。
思いつくと同時に浅井さんが入ってきた。
「やあ,お待たせ。遅くなってごめん。」
「…伏見さん。」
「はい?」
「ご指摘ありがとうございます。そしてやることができました。」
「え?ええと?」
「浅井さん,来て早々申し訳ないのですが,今日用意してた本番はいつですか?」
「え?来週だけど。」
「では…ウォームアップ代わりに明日デュオリサイタルやりましょう。時間ありますよね?」
「うん…え?えええ?」
「え?市村さん,デュオ?」
「うん。浅井さんと私で演奏するから。それを聴いてもう一度浅井さんの演奏を聴いてほしい。…浅井さん。」
「う,うん。どうしたの?」
「あとで何曲か明日やる曲の候補連絡入れます。その中から3曲と今3人で合わせる曲,計4曲をやります。3曲はどれにするか明日その場で決めるので全部練習して下さい。」
「ええ!めちゃくちゃ大変…っていうかなんでそんなことに?」
「今2人で話をした結果私が判断しました。3人で合わせるのにはこれが必要です。…3人の命運がかかっているんで練習お願いします。」

浅井さんは何かを察したようにだまった。

私も珍しく強い言葉を使った。自分でもこんな言葉を使うことはめったにないのだが,中学生にあんなことを言わせた責任は大人として取らなければいけない。

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See May Jack
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