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やじろべえ日記 No48 「動揺」

私は野良のキーボード弾きである。名前はないわけではないがここでは名乗らないでおこう。どうせすぐに呼ばれるだろうから。

昨日に続き今日はセッションの日だが,浅井さんがバイトで遅れるため戸村さんと最初はセッションすることになった。戸村さんは私の知っている人の中で一番破天荒なドラマーである。

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「やっほー。昨日ぶりだねえ。」
「そうですね。」
「あ,準備もう少しかかりそう。ちょっと待ってね。」
「大丈夫ですよ。私も準備します。」

というわけでウォームアップだ。今回はアルペジオとトリルの練習を多めにする。

「ふふふ,僕を翻弄するための練習?」
「人を悪女みたいに言うのやめてもらっていいですか?」
「失礼。」

向こうもセッティングが終わったようなのでスタートすることに。

「じゃあ,始めようか。」

戸村さんがカウントを始めた。

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「だいぶ色々変えてきたみたいだけど…やっぱり合わせに行く傾向はなおっらないねえ…」

セッション後,戸村さんと二人で反省会である。私は楽譜を持ちながら。戸村さんは椅子でのけぞりながら。

「そうかもしれません。そういう戸村さんも,今日そこまで好き勝手しませんでしたよね。」
「多分無意識のうちに僕も探ってたね。君が好き勝手やってくれるにはどうしたらいいのかって思ってたからさ。今日こそいろいろ翻弄してくれると思ったのに。」
「…やっぱり自分を出すというのは難しいですね。」
「自分の個性を出すのも技術だからね。それを調和させるのも技術。だから技術の訓練は怠ってはならない。けれど…」
「けれど?」
「…個性を出すのは技術だけではないかな。」

戸村さんは軽口はよくたたくし,そもそもノリがすごく軽い感じの人だ。偏見だがおそらく口も軽い気がする。

全体的に軽いフットワークなのだが演奏となると周囲を圧倒するのはこのスタンスを崩さないからかもしれない。オーラの鱗片,というのはこういうものなのだろう。だからこそ合間合間にこの人と2人のセッションをはさむのは正解かもしれない。この人は探りに行こうとしてもなかなか上手に探れないから。

例えばもうすぐハイハットで来るだろうというところでいきなりタムをどこどこ叩き出したり,ここスネアのロールで来るだろうと思ってたらいきなり爆音のシンバルぶちかましたり。とにかくこの人は筋が通っていても予測困難。こういうのが個性というものなのかもしれない。ついつい圧倒されてしまって,吸収が追い付かなくなって,そしてどんどん足場をなくしていく感覚になる。

「技術だけではない,といいますと?」
「技術以外にも必要なものがあるということだよ。」
「表現の引き出し…ですか?」
「発想の源ということであれば君はすでにいろいろ持ってるよ。というかそれがあるから今の市村さんのスタンスはあるんだと思う。」
「では,技術以外に必要なものとは…?」
「うーん,なんだろう。今の市村さんの演奏からはある種のあきらめみたいなものを感じるんだよね。…自分が出せないなら,自分に持っているものがないなら,合わせるしかない,みたいな?」

そこで楽譜を落としてしまった。と同時に浅井さんが入ってきた。

「お疲れ様!って市村さん?どうしたの?楽譜落ちてるけど…」
「あ,えーと,その,…お疲れ様です。」
口が回らない。手も動かない。これは多分動揺している。でもなぜ?
「おーい,市村さーん?…おい陸人,お前また余計なこと言ったのか?」
「いやいや余計なことは何も言ってない…はず…」
「市村さん?陸人に何言われたの?おーい。」
「え?市村さん?大丈夫?ごめん何か気に障った?」

固まってしまってから15分程度たったころ。
「…すみません,もう大丈夫です…」
「とりあえず何もなくてよかったよ…」
浅井さんが買ってきてくれたほうじ茶で正気を取り戻した私とあわあわした状態から正常に戻った戸村さんと3人で話すことに。
「んで?陸人に何言われたの?市村さん」
「いやいや何も言ってないって!ねえ市村さん?」
先ほどの動揺の理由が分かればこの質問に返答できるのだがなかなか思うようにいかない。
「…少し動揺しました。自分には何もないから合わせるしかない,がその…図星でして…」
「…図星?」
「確かに私はキーボードをいじくって,弾いている人間ではあります。しかし…それを通じて何かを表現したい,何かを実現したいという気持ちがないんです。ただそこにキーボードがあるから弾いてる…そんな感じです。」
「…それがなんで図星になるのかな?」
「そうだよー,俺だってドラムがあるからノリと勢いでたたいてるだけだし。」
「…ある種のあきらめってそういうことだと思います。表現したものがない,というか表現しても仕方ない…うまく言語化できないのが悔しいですけど。」

戸村さんの行ったことは間違いではないと思う。もちろん私はキーボードを趣味で弾いているけどそれは別に好きだからとか情熱があるからではなく「ほかの趣味より幾分か自分に馴染んだから」である。
勿論趣味なんてそんなものであるからそれを否定されるいわれはない。ただ,なぜか自分の中に自分を出しても意味がないという気持ちが居座っている。

「陸人,お前多分また余計なこと言ったぞ。」
「いやごめんって,傷つけるつもりじゃあなかっ…」
「傷つけるつもりがなくても傷つけたらだめなんだ,お前はいい加減に学習しなさい。」
「…はい。」
戸村さんは浅井さんに怒られてる。その光景自体は見慣れたがあれだけ怒られてもしっかり会話できる関係性は一朝一夕についたものではないだろう。

「あ,じゃーさ市村さん!」
「あ,はい何でしょうか!」
「陸人ー,余計なこと言うなよー。」
「言わないって!市村さん,もしなんとなくキーボードを触ってることが気に入らないならさ!」
「はい,」
「いったん離れてみたら?1日とか。」

浅井さんは顔を手で覆ってる。そんな必要ななさそうだが。
「確かにそうですね。」
浅井さんの顔から手が外れた。戸村さんもほっとした表情だがその理由まではわからない。

「じゃあ,すみませんが明日はキーボード練習,お休みします。」


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