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やじろべえ日記 No.6 「変化」

その日は例の公園に来て,あのシンガーさんと一緒にセッションをすることになった。

わたしは野良のキーボード弾きである。不安定な演奏のせいで特に組む相手もなく,一人淡々と演奏している奏者だ。野良…と先ほど話したがここ6日間はずっととあるシンガーさんとセッションをしていた。

昨日は学校が休みで一日中練習したのちに単独でストリートリサイタルをやる羽目になってしまった。なんでもシンガーさんが私の演奏の癖を知りたかったようだ。それも大量の観客を引き連れて。

それでも大きなトラブルなく演奏を終えた私に対し「自分の力量では追いつけない」とシンガーの人は言ってきた。

それは解散宣言ではなかった。

というわけで今日は彼と練習がてらのセッションである。

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「おまたせー。」
「こんにちは。」

シンガーの方はいつもより少し遅い時間にやってきた。声ののりからしてウォームアップは終わっているようだ。

「準備できたらさっそく練習しましょうか。何やります?」
「一昨日やったのと同じ曲。練習してきたから合わせてみようよ。」

というわけで合わせてみた。しかし,ここで予期せぬ出来事が起こった。厳密にいうと私は予測できたが,相手が予想外だったようである。

「なんか,一昨日と弾き方違うような気がするのだけど,気のせい?」

おそらくそれは気のせいでない。私が組む相手組む相手ことごとく解散する羽目になる最大の原因である。そしてこの原因は私もわからない。

「…すみません,一昨日と同じように弾いているのですが…」
「謝ることないさ。もう一回やってみよう?」

そういわれてもう一度やってみた。それでも一昨日と何かが違うことが分かった。

「確かに違うけど…これはこれでありかもね。ねえ,楽譜のBのところからもう一回やってみよう。ここ,この間より少し前目に君がとっているから,僕も少し前の方へ向かって歌ってみる。」

テンポのとらえ方が違ったのか。原因がよくわからないが何がおかしくなっているかは分かった。だが。

「そうであれば私が後ろに向かった方がいいのでは?」
「君は僕が話すまで自分の演奏の何が変わっているかわからなかったんだろう?だとすれば僕が合わせた方がセッションとしてはうまくいく。」

ほうほう。たしかに細かく指摘されるまで私は自分が何が変わってるのか全く分からなかった。

「どうして変わったんでしょう…」
「昨日のリサイタルのせいかもね。君,昨日4曲中3曲アップテンポのものやってたし。」

いわれてみればそうだった。そしてシンガーの人が来るまで私は昨日の反省を兼ねて指を高速で動かす練習をしていた。それで前のめりになったというわけだ。

「直前の練習につられるなんて…私もまだまだですね。」
「テンポの指定があったのならともかく,今は一緒に合わせるのがメインだから片方に何かあったらもう片方が合わせればいい話じゃない?実際,一昨日の君の公園デビューでは僕の不調を君がカバーしたわけだし。」

あれはカバーしたといえるのかははっきり言って怪しいが相手がそういうのであればそうだろう。

「それにBのところは前に進んでサビのところで安定させるとよりサビが引き立つというのも考えられるからね。音楽的にもおかしくないし,それでやってみない?」

というわけでそれでやってみることにした。

確かにこれも悪くない。

「この流れもいいですね。サビを聴かせやすい。」
「でしょー。日によって変わるもの,セッションのだいご味だよね。」

そういわれてはっとした。たしかに同じ曲でも演奏者のコンディションで微妙に曲の表現は違ってくる。それは頭でわかっていたつもりだった。

しかし,いままでグループ解消の際に言われるのが表現の不安定さだった。だから安定させることに無意識に必死になってしまったのかもしれない。無意識にまた人が離れるのが嫌だったということだろうか。

だが,セッションのだいご味は確かに変化である。

ならば,これをもっと試したい。

「すみません,明日もここでやりますか?」
「4日連続ここかあ。どうせなら初日の会場で明日はやらない?」
「いいですね。」

明日は今日とどう違う演奏ができるのだろうか。明日の私に出会えるのが楽しみだ。

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