やじろべえ日記 No.5 「ソロ」
その日は学校が休みだった。急遽電気の工事が入ったことから臨時休校である。
暇を持て余してた私は,昨日の公園近くの練習場へ行くことにした。
時間は早いがリサイタルに向けた練習をするのもいいだろう。
私はとある学校に通う野良のキーボード弾きである。本来ここでしっかりと自己紹介をするのが礼儀なのだろうが,あいにく今日の私は時間がない。やっていることだけ簡潔に説明する。
今日はいつも組んているシンガー…と言っても5日前に知り合ったばかりの人である。その人に私の演奏の癖や傾向を掴みたいとソロリサイタルを打診された。昨日提案されてからの今日なのでほぼぶっつけ本番になってしまう。それはよろしくないので,時間が空いた今,少しでも練習をする腹づもりだ。
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練習を終えると,シンガーの人と約束した時間になった。
先ほど話した通り練習場は公園の近くなのでキーボードを片付けてそのまま向かうことにした。そして向かった先にはあのシンガーが待ち受けていた。
「おつかれ,今日は頑張って。」
「はい。よろしくお願いします。」
そういって何かが想定外だと気付いた。想定外だったのはシンガーの周りにいる人の人数である。あれ?お客さんはシンガーの人だけと聞いたのだが…
「昨日『観客はあなただけど覚悟してくださいね。』って言ったでしょ。」
そうですね。
「だけどせっかくだし観客の前の君を見たくてね。エキストラ大量に呼んじゃった♪」
善意であるのはその笑顔を見て分かった。しかしながら正直に思った。それはいらない配慮である。
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最初の曲は昔覚えたジャズの曲だ。ジャズと言っても乗りはそこまでジャズになり切っていない。いわばもどきである。
もどきだろうが構わない。下手糞だろうがどうでもいい。今ここで私が演奏することに意味があるのだ。ブルースも入っている,嘆きの歌を聴かせる。
やり場のない嘆きを聞かせたら次は狂った踊りの歌だ。これは昔聴いたクラシック曲「死の舞踏」をヒントに思いついた自作の曲だ。自作と言っても激しい縦ノリは参考にしたあの曲の影響をしっかり受けている。
狂い,正気を失ったその旋律はやがて聞く人からも生気を奪う。実感を取り上げ,虚構のみが目の前に残る。
嘆いて,踊ったら,次にやることは休みだろう。休みの日にピッタリなバラードを聴かせることになった。なるべくたおやかに,雲の上のハープのような調べだ。
休日の調べが終わったら最後は大団円である。ハッピーエンドっぽい曲を一曲選ぶ。明るく長調で終わったその曲の最後の音が鳴ったとたん,拍手の音がその辺にポップコーンのように散らばっていった。
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「いやあ,本当にすごかったね。昨日思いついた企画なのに,よくここまでまとめたね。」
「どうも。まさか,これだけの観客を用意してくるとは思いませんでしたが,何とかなってよかったです。」
「何とかなってって…大成功だよ。みんなよかったって拍手喝采だったし。」
「喜んでもらえたのは何よりです。」
「それでさ…」
シンガーの人は口を濁した後こういった。
「僕の今の力量だと君に追いつくのは難しそうだな。」
…やはりそう来るか。5日目にしていよいよコンビ解消か。
「…だから,明日は一緒に練習させてくれないか!?」
…ほう,そう来るか。
「かまいませんよ。どうせ暇ですから。」