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やじろべえ日記 No23 「妥結」
その日は講義が長引いたので公園に行くのが遅くなった。
いつもセッションをしている浅井さんと伏見さんと3人で練習することになっていたのでキーボードを持って公園へ急いでいたところだ。
私は野良のキーボード弾きをしている学生だ。名前はそのうち書くので今回は省略する。
一人気ままに公園でキーボードを弾いていたがここ最近は前述の二人とセッションをすることが増えた。私にはセッションに向かないある特質がある。
『日ごとに演奏が変わってしまう。』という特質だ。
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昨日は浅井さんと私と即興のデュオをやり伏見さんに聞いてもらった。おそらく私と浅井さんが好き勝手に弾いて雰囲気ができたところに伏見さんが入る,というスタイルが一番やりやすく,お互いに崩壊しない方法だと気付いた私たちはそれをもとに明日から練習してみようとなった。
そこまではいいのだがここで私は一つ不安要素が残った。この2人はすっかり忘れているが,前述の通り私は『日ごとに演奏が変わる。』という特質がある。演奏が安定しないのだ。昨日と同じようにやるとなった場合多分昨日と同じ演奏にはならない。
どうやって昨日の演奏に近づけよう?公園に行くまでの間もやもやしていた。
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公園につくと伏見さんがもう練習をしていた。
「こんにちは。市村さん。」
市村というのは私の名前だ。
「こんにちは。浅井さんは遅れるって言ってた?」
「はい。なので浅井さんが来たらすぐ合わせられるようにしましょう。」
昨日出た結論としては,わたしたちの演奏に浅井さんが合わせる形をとるとうまくいく可能性が高いということである。ただし,私の演奏と伏見産の演奏,どっちを主軸にするのがいいのかは悩んていた。
機能の演奏を元にするとすればもちろん私が主軸になる。自信はないがまあやってみることとする。ただし,伏見さんがとう出てくるのかは微妙だ。
昨日はあくまで私と浅井さんの演奏だった。伏見さんと浅井さん,誤解が解けたものの相性がとてもいい…というわけではない。なんとかしないといけないが策は思いつかなかった。
「市村さん」
不意に伏見さんが私を呼んだ。こういうのもなんだが,伏見さん自身の演奏は夢の中にいるような雰囲気なのに彼女の声は現実へ呼び戻すような涼しさがある。不思議なものだ。
「昨日の市村さんと浅井さんのセッションはすごかったです。」
唐突に褒められたのがすごく気になる。
「ほめられるとすごくうれしいけど…続きがありそうな言い方ですね。」
「さすがです。昨日の演奏を聴いて,自分があの中に入らないといけないことは重々自覚しました。」
「…」
「多分市村さんは私と浅井さんの妥結する場所を模索しているのでしょうが多分それは無理です。浅井さん,私の演奏にはうまく乗れなかったみたいなので…」
「…うーん。どうしようか,私も困っている。」
「多分,市村さん自身が妥結箇所になります。」
うん?
「えーとつまり?」
「市村さんの演奏なら私も浅井さんもあわせられます。だから,市村さんの負担は大きいですが,市村さんの演奏に私と浅井さんが乗っかってみる…というのはどうでしょう?」
つまり,私に二人が合わせてくれるということか。しかし…
「私の演奏はとても不安定ですが…可能ですかね?」
「やってみなければわからないでしょう。ただ少なくとも浅井さんに私たちが合わせるよりは現実味がありそうです。」
伏見さんの言うことはたいがい的と射ている。ここ数日の失敗を振り返ってみても確かに現実味のある策なのだ。
問題は私の不安定な演奏である。それさえクリアできれば。
「わかりました。やってみましょう。」
そこへ浅井さんがやってきた。
「おまたせー。」
「こんにちは。浅井さん。」
「浅井さん,今二人で話してたんですけど…」
そういって伏見さんは浅井さんと話す。伏見さん,中学生だよな?今どきの中学生はこんなにしっかりしている者なのか。
「なるほど,彼女の演奏にか…」
「ここ数日のことを考えると現実味があるかと。」
「たしかにそうだけど…市村さん,大丈夫?」
浅井さんはこちらを心配そうに眺める。
「たしかに私の演奏では不安が残るでしょう…それでもうまくいく可能性があるならやってみたいです。」
浅井さんはうなずき,それぞれ体制を整える。
そして,私は曲を弾き始めたのだった。
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