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#食う寝る処住む処

「生きてるだけで丸儲けと言うにはまだ若すぎる
コレが無きゃどうにもならないモノであふれている」

大好きなCreepy Nutsの『紙様』という曲の歌詞の一説だ。

大学生になり、初めて実家を離れ、生きる為にはこれほど金がかかるのかと痛感した。とにかくお金がなかった。
私の家は貧しくはないが、そこまで裕福なわけでもない。
分類分けをするならば、中間貧困層だ。

大学が決まった当時の私は一人暮らしをする気でいたが、両親は片道二時間なら通えるだろうという認識だった。浪人で予備校に通った私と、美大に進む予定の弟がいる我が家の家計は当時困窮していた。どう考えても通うのは無理だと説得するも、家賃は出せても3万円だと言われた。この地域で家賃3万で住める物件など殆ど無い。

そこで見つけたのが、大学寮だった。

家賃月6千円、光熱費など含めても月約一万円、と激安の寮に入る事になった。


新生活に期待に胸を膨らませ、引っ越した寮は、案の定古く、汚く、狭い処だった。個室は与えられているが、それ以外のキッチンやトイレ、風呂などは全て共用だ。
まず一人部屋の狭さに驚いた。9㎡と言われてもピンとこなかったが、「刑務所やん・・・・」と思わず口にしてしまった。

潔癖ではないと思っていたが、最初の頃は水回りが汚いのが本当に耐えられなかった。寮は山奥にある為、デカめの虫がいるのも気が狂いそうだった。大浴場に大きな見たことのない小さな蛇ような生き物がいた時は泣きながら友人に電話をかけた。


どうせ寝るだけの場所と思っていたが、想像以上に気持ちがやられた。大学でできた友人の家は皆んな綺麗で広かった。自分が悪いわけではない、一重に親の経済力の違いだ。私は生まれて初めて敬愛する親を呪った。そんなどうしようもない劣等感と慣れない環境で体調を崩した。
住む処は大事だと痛感した。


大学寮も悪い処ばかりではない。寧ろいい所もある。何よりも沢山の友人ができた。大学で一番仲の良い友人は大浴場でお互いすっぴん裸の状態で仲良くなった。キャンパスで会った時はお互い分からないと言う現象がよく起き、笑えた。
友人の部屋で夜遅くまで語った。簡単に多くの友人の部屋を行き来できるのは修学旅行のようで楽しかった。
また、何人もの外国人留学生と一緒に生活をした。近くにある留学生寮にも時々行き、たこパをしたりした。アジア、ヨーロッパ、南米の出身の友人ができたことは大きな財産だ。

友人のお陰で、最悪な非日常も楽しむことができた。私達が大学に入学した2018年は自然災害が多かった。入学してすぐに大きな地震が起きた。生まれて初めての経験に混乱したが、友人と一緒にいることで気が楽になった。最後の晩餐だ、などとふざけてちょっといい肉をスーパーに買いに行き一緒に食べた。歴史的豪雨や台風で脆弱な大学寮は何度も停電・断水した。心配性な友人がたくさん防災グッツを買ってきてくれた。ペットボトルの下に懐中電灯を置くとより明るくなることを停電を通して学んだ。当時はなんで私達ばかり、と悪態を付いていたが、今思うと楽しい日々だった。


結論、寮に住んでよかったと思っている。
住めば都とはよく言ったモノで、人と話さないと死んでしまう私にとって、共同生活は居心地は悪くなかった。一人暮らしをしていたら孤独でどうにかなっていたかもしれない。




明日、この寮を出て行く。
こんな汚ねえ寮、なんの思入れもないと思っていたが、ここで過ごした3年間を振り返すと少し名残り惜しくなり、夜の大学を散歩した。パジャマに半纏という恥ずかしすぎる格好で誰もいない大学を歩いていると、私以外の人間が消えたようで気持ちがよかった。気分が良くなって、シラフなのに大声で歌って回った。冒頭の『紙様』も最初に聴いた時は、痛いほどの共感に胸が締め付けられたが、今はただただ気持ち良く歌えた。

「俺らは大器晩成 時がきたらかませ
I wanna be a 勝者 I wanna be a 強者
まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車 
花火のような 運命だろうが
我が身果てるまでやりきれそう」


夜の大学を同アーティストの『かつて天才だった俺たちへ』を歌いながら、この歌詞で少し泣きそうになった。

本当は提出期限間近のESを書かなければいけないが、この気持ちを忘れたなくてここに書き殴った。大学生で最底辺の生活を知れたのは強い。
私の絶対に成功する、鬼のように稼ぐという目標と執念を与えてくれた寮生活に感謝。妥協せず最後まで最高の就職先を見つける。

食う寝る処住む処に金をかけられる大人になる。決意表明。ES書くぞ・・・。

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