5日連続映画館で映画を観る企画 1日目 『女は二度決断する』
月曜の昼ごろ突然思いつき、その日から始動した、「5日連続映画館で映画を観る」企画の1日目は、『女は二度決断する』です。
これから5日間毎日映画館で映画を観て、できるだけ早く、主にその日観た映画のことやその時起こったことについて、日記に近いものになるかもしれませんが、noteにあげていこうと思います。
この企画の経緯
先々週と先週の2週間、(私の大学はクオーター制の大学で)学期末の為一気に来た締め切りなどに追われれて、観ていない映画が溜まり、今週で上映が終わる映画がありました。その上に先週、(頑張れば行けなくない程度に)近くのミニシアター系の映画館の存在を知ってしまい、その映画館でも今週のみの上映のもので観たかった映画もあったのです。双方合わせ、5本の観たい映画が今週で上映を終了してしまうと気がついたのが、月曜日の昼ごろ。すぐに今週の予定を思い出しつつ、映画を観るスケジュールを組み立てました。
そして、その夜に1本目の『女は二度決断する』を観てきました。
映画を観る前に起きたあれこれ
『女は二度決断する』は前述のミニシアターで観てきました。そのミニシアターは住んでいる最寄り駅から少しあり、普段は行かないエリアにあります。その近くには大きめの書店があり、ついでに寄ってみたら、私の大学の教授(担当の授業を受けもっていただいたこともある)と偶然お会いしました。その教授には比較的頻繫に大学外で遭遇するので、またかとちょっと参ったような顔をされました。こんなところでもお会いするんだなあと思いつつ、映画館へと向かいました。
映画館に着くと結構な人の多さに驚きました。よく見ると、同じ時間帯に『バーフバリ 伝説誕生』が。それは多いわけだなと思いつつ、チケットを買うと、見たことのある人が映画館へ入ってこられました。授業を受けもっていただいたことはない方ですが、私の大学の先生でした。一方的に存じ上げているだけで、直接お話などをしたこともしたこともありませんが、特徴的で目立つ容姿の方なので見間違えではないのです。こんな短時間に先生にお2人もお会いするとは。それも、その先生は『バーフバリ 伝説誕生』ではなく、『女は二度決断する』を観に来られたようでした。そして、私や先生を含め、6人程の劇場で『女は二度決断する』が始まりました。
『女は二度決断する』あらすじ
突然、最愛の家族を奪われた女。 絶望の中、女がくだす決断とは――。
ドイツ、ハンブルク。カティヤはトルコ系移民であるヌーリと結婚する。 かつて、ヌーリは麻薬の売買をしていたが、足を洗い、カティヤとともに 真面目に働き、息子ロッコも生まれ、幸せな家庭を築いていた。ある日、ヌーリの事務所の前で白昼に爆弾が爆発し、ヌーリとロッコが犠牲になる。外国人同士の抗争を疑い警察は捜査を進めるが、在住外国人を狙った人種差別主義のドイツ人によるテロであることが判明する。容疑者は逮捕され裁判が始まるが、被害者であるにも関わらず、人種や前科をあげつらい、なかなか思うような結果の出ない裁判にカティヤの心の傷は深まってゆく。愛する人、愛する子供と生きる、ささやかな幸せ。それが一瞬にし て壊されてしまった。絶望の中、生きる気力を失いそうになりながら、カティヤがくだす決断とは――。
ドイツ警察の戦後最大の失態と言われるネオナチによる連続テロ事件。初動捜査の見込み誤りから、10年以上も逮捕が遅れ、その間、犯人は殺人や テロ、強盗を繰り返した。それらの実際の事件に着想を得て『女は二度決 断する』は生まれた。理不尽な暴力により、愛する家族を奪われたあるひ とりの女性が、捜査や裁判の過程によって更に心を引き裂かれる。もしも 自分の家族に突然悲劇が起きたならば、そのときにどうするのか? これ以上ない悲しみを湛えて迎える衝撃的な結末は、すべての人の心を強く揺さぶる。『女は二度決断する』公式サイトより
ここからはネタバレを含みますので、お気をつけください。
『女は二度決断する』感想
「Ⅰ.家族」「Ⅱ.正義」「Ⅲ.海」の3章仕立てで物語は進む。
3章全て風景の印象も異なり、1章冒頭の家族との最後の会話以降は、過去のホームビデオが映し出されるシーン以外、ずっと天気は雨で暗い。
2章も同様に暗い印象で、重い雰囲気の裁判のシーンが多く、他のシーンも夜が多く、昼間のシーンも曇天で、1章に比べて印象が少し明るくなったが、それでもとても暗い。
3章の冒頭、いきなり画面がこれまでと比べ明るく広くなる。これまで室内や街中など決して広くないシーンばかりだったのが、突然3章に切り替わった途端広いギリシャの海が映し出される。私はここで、これまでの2つの章がとても暗かった事に改めて気がついた。「雨のシーンが多いな」などは思っていたが、いきなり画面が明るくなるという大きな衝撃で、そのことに改めて気づかされた。
バスタブのシーンや、カティヤが事件現場で夫と息子の血の跡を見て崩れ落ちるシーン、終盤でこれまで止まっていた生理が来ていることに気がつくシーンなど、この映画は血がとても強く印象に残った映画だった。
私が強く胸を締め付けられたのは、前述にもある1章の終盤のカティヤが両手首を切って、バスタブの中で揺蕩うシーンだった。バスタブの中の湯に赤い血が溶け合う様子が痛々しくて、もうどこか美しく見えた。ドラマ版『ハンニバル』で美しさを感じるあの感覚と似たようなものだと思う。バスタブの中の湯に溶け合う血は、美しく、痛々しく、こちらまで胸が紐のようなもので強く締め付けられる。バスタブのシーン以降、その度合いは刻々と変わるけれど、最後までずっと締め付けられる感覚を抱え続けた。
3章での車で逃げるシーン、容疑者夫婦の元へたどり着くシーン、2度の爆弾設置の為にキャンピングカーへ近くシーンなどは、バスタブのシーンと同じくらいかそれ以上に胸を締め付けられた。もう逃げ出したくなるくらいに。でも、この物語を見届けないといけないという思いだけで最後まで観た。
逃げ出したくなる程苦しいまま、最後のシーンを迎えた。胸を締め付けられたまま、「ああ、こういう結末になってしまった」という悲しさと喪失感に近い何かを抱えて、穏やかな水面の映像と曲が流れるスクリーンを呆然と眺めていた。
世界情勢など自分はほぼ知らないという事実に気がついた。まだ気がつけただけ、マシなような気がする。これから知らないといけないことの多さに臆しているのが現状だ。
観終わり、帰り道を歩いていると、閃光に驚いた。その日は雨が降った為、近くを走る路面電車と架線が接触すると時折閃光が走っていた。それがなんだかとても今の心境にリンクしているような感覚がした。妙な巡り合わせすら感じた。
最後に
一昨日、昨日とまた違う映画を観ましたので、noteの執筆が2本溜まった状態ですが、これからまた映画を観に行きます。
しばらくお付き合いしていただけると、嬉しく思います。
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