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再生、東京事変と私

『東京事変2020.7.24閏VISION特番ニュースフラッシュ』のライブビューイングを観て参りました。こういうことを見えるところに残すのは私らしくはないのだけれど、実際はただのオタクなので、感じたことを山ほど残しておきます。この後のライブビューイングを楽しみにされている方はネタバレになります、ご注意ください。長いよ~~~!

超前談

学生時代は親が厳しかったということと、あと余りにも好きすぎて却って行けなかったという理由につき、私が生でライブを体験できたのは2018年11月の『生林檎博-不惑の余裕-』のみ。同じくらい林檎を愛している妹を連れて大阪城ホール公演に参戦したのだけれど、斎藤ネコさん率いるオケメンバーが登場した瞬間から鳥肌が止まらなくなったのを覚えている。今更生林檎博のレポをするつもりはないので省くけれど本能が流れた瞬間から文字通り阿鼻叫喚状態、この瞬間のために24年生きてきたんだと思った。

「こんなご時世」になってしまう前、祈る思いで応募したツアーは散り、大阪名古屋公演のチケットは手に入らなかった。その後まさかのツアー自体続行できない状況となり、舞台ありきの彼女らが完全再生できない閏年を迎えたことがとてもとても悔しかった。ライブにいけないことも彼女たちの運命も何もかも腹落ちさせられなくて、唯一行われた公演のあとに公表されたセトリも目の前を素通りさせた。林檎班のサイトに呟かれる彼女のコヱには明らかに心の揺らぎが見えたし、どうかこのまま表舞台から退くということだけはやめてくれと心から思った。

ドラマや映画のタイアップ曲のリリースがあり、音楽番組で姿が見えるようになると嬉しかったけれど、ライブなしに進む彼女たちの日々に何となく落ち着かない気持ちになった。私たちのために音源を出すだけでなく、彼女たちの在り様をそのまま表現できる場を早く返してくれと思った。ここだけで完結させられる音楽じゃないんだ、早く、早く。

そんな中、速報が届く。
『無観客ライブ配信&ライブビューイング決定!』

Gmail開いた瞬間もう叫んだ、心の声がキンキンだった。
少なくとも、今度こそ、揚げ足とられることのない舞台上での音楽が展開される。誰に文句も言われない、5人の音楽が鳴るのだ、絶対に観る。何を捨てても9/5に観に行きたかったが、そう上手くはいかなかった。けれど以降のライブビューイングのチケットを手に入れられる可能性を諦められず、配信のチケットは買わなかった。後々後悔するかもしれないと思いつつそれでも映画館で観る可能性に懸けたかった。

満を持しての9/12。一周回って実感湧かない感じでシートにつく。


息の根止められるかと思った

泣いた。
『新しい文明開化』が流れた瞬間感極まりすぎて喉の奥が閉じた。5秒くらいかけて眼の半分くらいを占める涙が上がってきてそのまま大粒の涙で零れた。もう待ってたよ、ずっとずっとあなたたちを待ってたよ。洪水が止まらない、誰もマスクの替えを持って行った方がいいなんて教えてくれなかったもの、水色の布地は青に変わっていたと思う。林檎が放つ余裕と緊張が同じ速度で身に迫ってくる。全部全部届いているよ、再生してくれてありがとう。間奏のギターを聞きながら急にむせた、嗚咽が出たら困ると堪えるあまり、息してなったのだと思う。
そのまま『群青日和』が始まるもんだから、頬に生まれた大河は勢いを増していく。ついに群青日和を生で(違うけど)拝める日が来たのか、こんな日が来るとは思わなかった。感激が身体を超特急で巡る。私は5歳で林檎に嵌ったけれど、事変を聴き始めたのは閃光少女がCMで流れ始め出してから。雑誌arが「おフェロ」を謳い始めるよりもはるかに前から、林檎が放つ色気は咽返るほどだったというのに私はリアルタイムで見ていなかった!!これが今でも悔やまれる。

からの『某都民』。うわーーーーーーーー
浮ちゃんの声、本当に室温26度、無音、無風のデザイナーズマンションだと思う。心地よすぎて住めると思う。わっちと浮ちゃんの声はこの世のどんな組み合わせよりも相性が良い。二人の「YOU~」を聴くためだけの歌かもしれない。『選ばれざる国民』で私は油断させられる。事変のセトリは洒落たゆるやかな曲が続く場合その後怒涛のラッシュが待ち受けている、ということを十分知っていながら、それでもとてもいい気分にされてしまう。大変だ


もうほんとに勘弁してください

『復讐』がじりじりと私の皮膚を焼く。この曲は日本語訳とライブ映像を合わせて観ると、看過できないこの世の事態を身近に感じるものだと思う。どうか多くの人にひりひりしてもらいたい。歌の世界だと割り切らず、目前にある事実とリンクさせて聴いてほしい。
『永遠の不在証明』、林檎の帽子の角度が天才的だといつも思う。「引き金を引いた途端立ち現る」という言葉がもう引き金…射抜かれちゃって釘付けになる。5人でお揃いのコート、本当に羨ましい。(欲しいけど着たいとは思わない、あれは5人のものだから)このコートに限らず、鍵盤を弾くわっちの手元が映る度、シャツの袖はわっちのためにあるものだなと思う…彼の手首から先が美しくあるために仕立て屋さんは存在するのかも…ああ…

そして…『絶体絶命』。気絶してしまうかと思った。
私の人生はこの曲とともにある。この曲に私は生かされている。解決をもたらしてくれるわけでも、大丈夫だよと言ってくれるわけでもない。兎にも角にもピンチ!と歌う。にもかかわらず決して暗くならず、いつも私の心に沿うように両手を添えてくれる。ピンクのカーリーヘアのウィッグを付けて歌ったイメージが強く、この曲はいつでも桃色のオーラを纏って心で再生される。私、林檎のタンバリンが大好物なのだけれど、ドラ息子:としちゃんとにこにこ目を合わせながら叩く二人が微笑ましすぎて…幸。この時点でまだセトリの1/3なんだけど、私体力持つのかな!?!

と、思っていたらそのまま『修羅場』。え、涙止める時間は貰えないんですか?一生分の鼓動を終えてしまいそう…どうしよう…わっちの顎のラインが大好きなので間奏のピアノソロで瞬きができない。林檎の顔にかかる影を、息を止めて見つめてしまう。どうかこの時間が永遠に続きますようにと祈る曲、手に握るハンカチはタオル地ながらしわしわのしわしわになっている。ペトロールズのステッカー、見過ごしません。

切れ目なく『能動的三分間』に入る。世間的にも代名詞として使われる一曲になったけれど、これがリリースされたときは本当に衝撃だったし、自分のものでもないくせにクラスメイトに自慢しまくった記憶がある。中学生の頃は周囲に林檎や事変を聴く人はほとんどいなくって、「椎名林檎」はマイナーに分類されると思っていた時期がある。良さを共感できる存在がいないことはとても寂しかった。寂しかったからこそ、CMのタイアップに始まり周囲から事変の名前が聞こえるととても誇らしい気持ちになった。みんな知らなかっただけでしょ、私はずっと愛してたんだよ、どう、最高でしょ。

そろそろ息絶え絶え…という頃に『電波通信』が始まり、遂に笑ってしまった。ライティングの眩しさがド定番のこの曲、あまりにも眩しくて本当に笑った。好きすぎる。いつも思うけれど林檎・事変のライブはカメラワークとライティングが天才すぎる、すべてが須らく整えられている。熱量だけで押し通されてなんかない、作品として当然のように美しい。この曲ををライブでやらないわけないよね。楽しすぎるもん。


救いはいつも舞台の上に

乱気流により脳の血流が悲鳴を上げ、そして何度目かの舞台の暗転のあとの『スーパースター』。高校生の頃はあまりピンとこない歌だった。若さゆえに"今"ばかり見ている年頃で、未来への不安が薄かったからかもしれない。自分自身の弱さも先へと続いていく道筋の不明確さも当時の私にはいずれ解決されると信じられるものだった。大人になった今聴けばとても等身大な歌詞だと思う。歌う声以外は聞こえないような部屋の中で、この歌詞だけが私を支える。林檎の斜め後ろから差すオレンジの光がとても美しかった、ステージからこの歌を差し出してくれる事変を観られてとてもよかった。
『乗り気』!顎の話ばかりして申し訳ないのだけれど、林檎の顎先の角度がとても美しくて…ウルトラCのライブがめちゃくちゃ好きなので心躍った~~~波の所為にはしたくない!の歌詞がすごく好きなのだけれどその前の舌カウントで胸ギュンッッて掴まれちゃった。この曲もとしちゃんがにっこにこで叩いてて抱きしめたくなった。ああ

そのまま『閃光少女』なの!?なんだか私の青春をそのまま振り返ってくれているかのよう。同じこと思っている人が沢山いるのだなと思うだけで胸がほかほかになっちゃう。師匠が腰を少し落としたところから身体を起こすようにみんなの顔を見る動きが大好き(伝われ)。ちなみに今回は手旗が買えなかったので、首と膝を左右に小さく振りました。一席挟んだ隣から、完全に同じタイミングで妹の首が動くのが見える。姉妹で同じスキを持てることってとてもとっても恵まれていることだと思う。

私は貴方の一生もの

『キラーチューン』!!!やらないわけないのだけれど、絶対にやるに決まっているのだけれど、それでもこんなにも感動してしまう。「探し出してくれて有難う」という言葉にいつもいつも号泣してしまう。これよりも幸せな出会い、果たしてこの先にあるんだろうか。同時に、映る空席に胸が詰まる思いがした。日本を元気にするために組んだ彼女たちが今、聴く人の反応を目の当たりにできないところから音楽を届けている。アーティストはこの半年、何度「待っててね」を意図する言葉を投げかけただろう。「待ってるよ」と答え続けてきたけれど、今日ばかりは「待っててね!!」と私が言う番だった。貴方達の音楽を受け取りに行くから、そして何らかの形で返しに行くから、絶対にそれまで待っていてね。その席は私たち全員で埋めるからね。貰ったものが多すぎて、還元できるものがない。聴き続けることしかできない、私にはそれがすべて。

『今夜はから騒ぎ』、ライブを聴いてもMVの5人の姿が浮かび上がるようだった。師匠のダンスが見える…もちろんベースを抱いて。この曲を聴いているときはもう包まれすぎていて「良」以上のコメントが出せません。
はいはいはいはい待ってました『OSCA』!楽しさのあまり血が沸騰してたかもしれない。わっちのおふざけが可愛くて、それをみる浮ちゃんと師匠の優しい顔が…ずっとそうやってふざけていてね…。師匠のベースソロは言わずもがな、あの厚みに勝てるものは絶対にない。心がっさり持ってかれて、急勾配の坂でも時速200キロで走り抜けられそうな気持ちになっちゃう。林檎に拡声器向けられた瞬間、み~~んなマスクの中で無声で叫んだよね!OSCA!からの『FOUL』はもはやお家芸よ。お行きなさい、飛ばしなさい、後のことは知ったことではない!今を愛して生きていこうね。誰にも見られないので私も巻き舌でRights!!ってやりました。これ身体揺らせず聴けた人いた??


攫われたまま、愛したまま、自分らしくそのまま

『勝ち戦』、今までで一番歌詞が届いた。「思い出迷子は負けの始まり いまを実感する者だけが勝つ」という言葉、一生忘れないだろう。彼女がこの誰もいない観客席に向かってこれを歌っているということに私は飲み込まれてしまいそうだった。過去のnoteで、「林檎は私にとって「先導者」であると書いたことがある。扇動者でも偶像でもなく、大きな旗を愛で翻しながら標となってくれる存在なのだ。これを、彼女は約20年続けてくれている。やっと時代が彼女に追いついている、そして今もなお、私たちを全肯定してくれる。一生ついていきます
『透明人間』が流れて、この夢のような時間がそろそろ終わることを悟る。事変のライブにとってのこの曲は「次に会う日まで瑞々しくいてね」と伝えるポジションにあると思う。演奏中5人全員が清々しい顔をしていたから、私も終演の合図を受け入れる。この歌をバイブルのように大切にし始めた15歳の頃、活動終了のニュースが報じられた。Bon Voyageでわっちが言った「東京事変が必要になったときは椎名さんに電話してください」と、電話のジェスチャーをしながら笑う林檎の表情がこの歌とともに記憶されている。あーん、あの日も今日も、ずっとずっと忘れらんないよ。

ラストはこの曲以外、やっぱりありえなかった。
『空が鳴っている』。涙は枯れない、心は攫われたまま。「終わらせないで」の言葉をどうかもう私が吐くことはありませんようにと思って聴いた。永遠を、永遠のままにすることはできないと私は知っている。このライブだけではない、かたちあるものはいつか必ず終わりが来る。私は林檎や事変のほかにアイドルも愛しているけれど、活動休止や卒業という言葉は非常に間近なものだから無垢に無限を信じたりはしていない。これは結構ありがたいことかもしれない。諸行無常。けれど、「永遠はありえない」すなわち消滅ということではない、かたちがなくなっても残るものがある。東京事変の音楽は私に刷り込まれている。消えない、だから「終わらせないで」とはもう言わない。その気持ちは事変が歌ってくれるから、私は勝ち戦のように、この瞬間をシビれて生きていく。


生きててよかった、だから明日も生きていく

だいぶ個人的な感覚に浸った文章になってしまいましたが、「生きててよかった」これに尽きます。事変はどう考えても5人で完成形で、音の弾みも厚みも余韻も全て、林檎と浮ちゃんとわっちと師匠ととしちゃんでなければ生まれなかった。8年ぶりにも関わらず、この人たちはどこまでも当たり前な顔をして東京事変を見せてくれる。すごいよね、こんなにもこんなにも響いちゃってるんだよ。私に事変があってよかった、今日という日があってよかった。明日もまるっと愛していく。東京事変を、そして彼女彼らの音楽を愛する自分のことも、できうる限り愛していく。

だいすきだ!




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