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チクチクと刺されて痛いと思っていたら自分も針だった思い出

「こんな小さい子にアイスなんか食べさせて!」
「お腹壊すよ」
「この時期の食べ物は大事なんよ。甘いものばかり食べさせちゃダメよ」「顔に『はたけ』ができてるよ。栄養が偏ってるんじゃない」
優しい声であるが、若い私に向かって、お説教まがいの言葉を浴びせた。

まるで、チクチク針に刺されているように心が痛い。

一歳になったばかりの長女は、ベビーカーの中で顔と手をベタベタにしながら、大きなソフトクリームを頬張っていた。私がさっきまで食べていたのをほとんど食べてしまっている。
娘にとっては初めてのアイス。あまりの美味しさに、返してくれなくなったのだ。

「すいません。余計なお世話です」

私は信号が変わると同時に、大急ぎで彼女の元を離れた。
一瞬彼女の怪訝な顔が見えたが、振り払うようにベビーカーを押した。
そして、鼻の奥がツンとなって涙が溢れた。


久しぶりに、電車に乗って街中に出た。
三条京阪の改札を出てからエレベーターを探したが見つからない。
子どもを乗せたままのベビーカーを抱え、出口の階段を登り切った。
外はまだ少し肌寒いが春の日差しが眩しかった。
人通りの多い歩道。誰にもぶつからないように慎重にベビーカーを押して歩いた。
少し広くなった交差点でアイスを売っている店を見つけた。

「久しぶりに食べてみようかな」

三条大橋の袂で、子どもにお茶をあげた後、私はソフトクリームを頬張った。
すると、娘が不思議そうに見上げたかと思うと、今にも泣きそうな顔になっている。

「いやいやこんなところで泣かれては困る」
「少しだけ舐めてみる?」


娘が生まれてから、出かけるのは午前中の公園と午後の買い物くらい。
夜になって夫が帰ってくるまでは、ずっと子どもと二人きりで過ごした。
仕事を辞めて専業主婦として過ごし、すぐに娘を授かったのは25歳の時。まだスマホやパソコンもなく、外からの情報といえばテレビや雑誌ぐらい。公園でのママ友との交流も少しはあったが、社会から遠ざかり子どもに向き合う日々が続いた。

手探りでの子育ては、わからないことばかり。

新婚で家事も要領良くできず、子どもが泣くとイライラすることもあった。家事をしようと子どもから離れると「抱っこ」とせがむ娘。
片手に子どもを抱きながら、食事を作ったこともあった。
離乳食は、専門書のレシピを忠実に再現したが、食べてくれない。
おっぱいばかりせがんで、中々離乳も進まなかった。

子育て雑誌の記事のように、どうして上手くいかないのかと悩んだ。

今思えば、娘は一歳で、私も母としては一年生だった。
分からないこと、上手くできないことがあるのは当たり前のことだ。
しかし、その頃の私の見えている世界は、娘と二人きりの小さな家の中だけ。
そして、久しぶりに飛び出した街中で、知らない女性に針のような言葉を浴びせられた。

「これでも一生懸命やってるんや」
悔しくて、溢れた涙だった。


もう30年近くも前のこと。
その後どうやって帰ったかは覚えていないが、その時感じた心の痛みは思い出せる。
悔しい気持ちと、自分の不甲斐なさ。
知らない人に対して「余計なお世話です」と言ってしまった自分。
多分親切な気持ちから、見ず知らずの私に声をかけてくれただろう女性。
その女性に対して、私は「蜂の一刺し」のような言葉の針を突き刺してしまった。

きっとその女性も心が痛かっただろう。


私はその女性に近い年齢となった。
心の痛みは思い出されるが、今となっては若かりし日々の思い出の一つ。
二人の娘は成人し、子育てからは卒業した。
時々、あの時の女性のように、母業の先輩として若いお母さんたちを見る事がある。
しかし、時代はどんどんと変化していて、子育ての環境も大きく様変わりしている。
自分の経験値だけで、子育てのアドバイスをするのは烏滸がましく、傍観していることしかできない。

ただ、若いお母さんに対しては、その頃の自分に戻って寄り添うことはできる。
どの時代であっても一年生の母親は失敗もするし、しんどい思いはする。

初めてのことなのだから当たり前だ。

「心に余裕を持って子育てをするべき」なんて言葉は、あの時の女性の言葉のように、若い母にとっては痛い針でしかない。
心も身体も全て子どものために使ってヘトヘトになるところから子育ては始まる。
そして時間をかけて少しずつ、心に余裕を持てるようになるのだと思う。

母親も子どもと一緒に成長できるのだから。

子育てしていた頃の苦い思い出はだいぶ薄らいできたが、他にもたくさんある。しかし、その分、子どもと一緒に様々な経験を重ねて人としても成長できたと実感できる。
子育ての時間は神様から授かったかけがえのない人生経験となり、子どもは自分以上に大切に思う存在となった。

そして、母として、これからもずっと子ども達を自分以上に愛していくのだろう。



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