掃き溜めに屑
昨日勤務先の3月のシフトが出まして、コロナ流行による自粛ムードのド真ん中でまさかの4連休でした。2日目の今日ですが意外とやることがあって案外退屈していない。まあ1日の大半を寝て過ごしているせいもあるんですが。
昨日今日と退屈を殺してくれたのは昨日ご飯に誘ってくれたわたしの数少ない友達(ありがとう)と、Netflixの中のル・ポールとドラァグクイーンたち、そして挫・人間のブログ。遡って読んじゃった。
挫・人間の下川リヲくんの書く文章がとても好きだ。
挫・人間自体、少し前に知ったのだが最近とても気に入ってサブスクで根刮ぎダウンロードして永遠に聴いている。
挫・人間とわたしの出会いについて書く。当時好きだった(のかもしれないな、と最近思うようになった)友達と最近聴いてる曲を共有するのがわたしたちの中だけでひっそり流行った。それはわたしたちの前戯の前戯であり、後戯の後戯であった。彼とは音楽の趣味が合った。
そういえば前付き合っていた人とわたしは背格好や食べ物の好き嫌い、兄弟、果ては肌や髪や眼の色から足のサイズまで似通っていたのだけれど、音楽と本と映画の趣味は合わなかった。
元彼は小田和正や久保田利伸や米米クラブなど平成初期〜中期の曲を好んで聴き、スポーツ小説やラノベ、世の中や人の仕組みなどの書かれたビジネス書のようなものを読んでいた。好きな映画はアクションや感動の実話系の洋画だった。(わたしは八神純子など平成以前もしくは椎名林檎や大森靖子や志人などが好きで、本は仄暗い非現実的な小説が好きだった)(映画はメリーバッドエンドが好きで全体的にサブカル臭くて暗かった)
話を戻して、彼があるとき 最近好きなんだよね、とスチャダラパーのゲームボーイズという曲を聴かせてくれた。わたしはふぅんと思ったが、家に帰ったあとでその曲を聴きたくなりうろ覚えだったのでApple Musicにて ゲームボーイ で検索した。(今思い出したが、わたしがApple Musicを使うようになったのもその人がApple Musicユーザーだったからだ、わたしはそれまでyoutubeで曲を聴いていた)
そのときわたしは間違えて挫・人間のゲームボーイズメモリーをダウンロードしていたのだ。
ああ、なんて愛おしい失敗。ゲームボーイ被り。再生して違うことに気づいたが、なんとなく、好きなイラストレーター(hima://KAWAGOE)の描いたステキ絵がパケだったとかそんな理由でその曲は消されずにiTunesのアーティスト名#の欄にひっそりと存在することになった。
ちなみにスチャダラパーの曲の方はこれまたなんとなく、ダウンロードされなかった。何故だ。
彼と疎遠になりしばらく経ってからシャッフル再生でその曲を聴き、胸がざわざわした。聴き終わってブワワッと心臓が浮かんだ。
大人になったこの僕にもし願いが叶うなら あのこがずっと忘れないさよならがしたい
気持ちの言語化が絶妙なこと、それも自分では言語化できなかった気持ちが誰かの言葉になって耳に入ってきたことに感動した。わたしは根がサブカル陰キャなので「この歌わたしのこと歌っている、気持ちいい」(大森靖子/マジックミラー)となってしまうのだ。この歌詞は挫・人間/ゲームボーイズメモリーの最後の文なのだが、ここに繋がるまでのあらゆる言葉が作り出した結論であって、その全ての言葉がかなりリアルで生々しくて怖いくらいだった。
他にも JKコンピューター 「あなたの目は性悪説支持者の目」や、チャーハンたべたい の「君の小食で僕は太っていく」、バラバラBABY の「君の景色が朝焼けにかどわかされてく」、さらば17才 の「もしも私にお金があったら すぐにあなたを孕ませたでしょう」、ニューアルバム"ブラクラ"の先行配信曲 一生のお願い では「もしも文字になったなら接続詞になりたいわ」〜のくだりが特に素晴らしくて…と書ききれないほど、独特な言葉選びにクラッときた。もちろん曲もとてもとてもとてもいいです。かっこいい。大好きです。
(ソモサン・セッパ 最高だぜ)
挫・人間のギターボーカル、下川くんはとても本が好きだそうだ。ブログにも家にたくさんの本があるという話や本を読んで得た知識が登場することがある。下川くんに限らず、本をたくさん読んで育ってきた人のもつ言葉選びの感覚というのはなんというか独特で、気持ちや情景の表現が微細で素晴らしいなと思う。(これをうまく表現できないあたり、自分にはセンスも脳みその中の登録ワードも貧相であることを実感する)
しかし、思い返せばわたしも読書はとても好きだったのだ。もともと幼少の頃からあまり活発ではない所謂インドア派というやつであり、自由時間は外遊びやおままごとよりも絵を描いたり絵本を読んだりしていたいタイプだった。おままごとに参加すると毎回ペット役にされてたし。
わたしの数少ない友達の中にプロレスラーを目指す筋肉モリモリの男がいるのだが、ヤツも読書家だ。ヤツは森見登美彦がとても好きで、昔読んだ夜は短し歩けよ乙女がとても良かったという話をしたらとても嬉しそうに同じ著者の作品を2冊ばかし貸してくれたのだった。
しかし、本を開いたわたしは愕然とする。文章が読めないのだ。文字は、わかる。漢字も読めるし書いてあることはわかるんだけれど、言わんとしていることがわからないし脳みそが働かない。文字を追えない。いつからか本を読む生活から離れており活字がすっかり苦手になっていたのであった。
これはまずい、なにがってワケじゃないけどまずい、なんとかしなきゃ、なんとかしたいと思い本日引っ越してから初めて図書館に行ってきた。図書館カードを作った。思えば自分が全く知らないこと(初めて来た図書館のシステムの説明)を聞くのは久しぶりな気がする。わたしはふんふんと相槌を打ちながら司書のおばちゃんの説明を真剣に聞いた。(途中途中で うーんと、あとなにがあったかな って3・4回言っててとても良かった、話はとても長かった)
活字リハビリがてら読んでみたかったんだよね、と目当てにしてた小説はこんど実写映画化するらしく全部貸出中で、予約は71人目だったけれど、棚から棚へふらふらと彷徨ってるのはとても楽しくて懐かしかった。
高校受験のための勉強を、中学生のわたしは図書館でやりたがった。家では見張られている気がして居心地が悪かった。勉強しに図書館に行くと言えば家族は納得する。当時流行っていたマックで勉強!は怪訝な目を向けられる。図書館には大好きな本がたくさんあった。友達とマックで駄弁ったりサティに行くよりわたしにとって魅力的な娯楽がそこにはあった。図書館に行くとわたしは勉強そっちのけで本を読んだ。当時は乙一が好きだった。短編集をほとんど読み漁った。あと有名な犯罪者たちが起こした事件や生育歴がプロファイルされてる黄色いカバーの本も読んでいた。題名や著者は忘れた。近所の図書館に飽きると自転車で区内の図書館を転々とした。
面接で 趣味は読書です と言うのがなんか嫌、みたいなひねくれ者だけれど、そうだよ、わたしは読書が好きだったんだよと思い出した。なんだか嬉しかった。今自分がなにに興味があるのかすらわかっておらず小さな図書館内を2時間近く彷徨って目についた本をぺらぺらとしていたので体と頭は気持ち悪くなったが、心はとても気持ち良かった。結局懐かしくなったついでに乙一の「失はれる物語」(紙面には水濡れの跡や破れはないが 水ぬれあり のシールが貼ってあった)(表紙に水滴が垂れたようなエンボス加工や題字の一部を濡れたようにぼかす加工をしてある本だった)と小此木啓吾という人の「エディプスと阿闍世」という本を借りた。ギリシア神話が好きだったのと、どっかで昔読んだエディプス・コンプレックスに興味があったのを思い出した。
ちなみに、コロナの影響でその図書館は明日から返却受付と予約した本の受け渡ししかできないらしい。
あのとき音楽を交換した彼は本を読むのだろうか。釣りをしたり外遊びが好きなタイプだったけれど言葉の使い方が美しかったのできっと読むのだろう。読むといいな。どんな本が好きなのだろう。なにを読んで育ち、どんな文章を糧にして生きているのだろう。もし、本の趣味すらも合ってしまうのなら、ほんのちょっとだけさびしいと思う。