見出し画像

恋人がいない状態は不十分な状態なのか~ひとりのアセクシュアルとして~

大学にも慣れてきて、仲の良い友達が次々と恋人を手に入れている。

親友に至っては、ターゲットの子を手に入れるため飛ぶ鳥を落とす勢いで垢抜けており、周りを驚かせている。長年側で見ていてもびっくりするほどだ。

最近、原宿のカリスマ的ポジションの美容室でイメチェンしてきたらしく、周りからの評判も上々である。本気で頑張っているのを知っているので、実ったらいいなぁと応援している。


友達との夜の電話でみんなのうわついた話を楽しく聞いていると、自然と自分にも番が回ってくる。

自分は特に何の進展も(その意思も)ないのでシングルであることを伝える。(私は、誰にもカミングアウトしていないクローズドのアロマンティックアセクシュアルです)
すると、裏で示し合わせたかのように全友達に言われる。

「〇〇はかわいいから大丈夫!」

「そのくらいかわいければ、すぐ満たされるよ」

「〇〇にはやる気(ヤる気?)が足りない」


少しモヤモヤする。

かわいくあることは、他の人のためなのだろうか。

私が自分を磨くのは、恋人候補の選択肢を広げたいからではない。
私は私のためにかわいくいたいだけだ。

愛する恋人のために努力したり、濡れる夜に体を重ねることもとても有意義で代え難い経験かもしれない。
ただ、それが、自分のために生きることに対して優れているとも劣っているとも、決めるのはその人次第である。

性愛/セックス含め、恋愛が自分のライフスタイルに含まれていないことが完全体であり、それに満足しているのにも関わらず、他人から見たら、性欲を感じる対象のいないフラストレーションの溜まった不十分な人なのだろううか。
それもそれで充足した人生として認めてもらえないのだろうか。

私は私のライフサイクルや生き方が好きで、24時間を満ち足りて過ごしていて、今のところ、残念ながら、恋愛が割り込めるほどのキャパシティは残っていない。

カミングアウトする予定も、周りの人にアセクとしての自分を受け入れてもらうために活動するつもりは、ない。
しかし、自分が満足しているものに、他者のものさしでさも不十分であるかのように指摘されることがいささか不満であるだけだ。

いいなと思ったら応援しよう!