COP28で野球が受けていた「屈辱」-今こそ気候対策にも「野球のチカラ」を
書こうとしたが書きそびれて今になったことがある。これは、野球ファンにとって厳しく悔しい現実だ。
その現実の写真を載せておこう。赤囲みに注目だ。
これは、2024年3月20日に福岡市内で実施された、COP28現地報告会で使われた放映スライドのひとつ。赤囲みが「野球の残念な現実」だ。
まず、「COP28」は何か、知らない人のために簡単に書いておく。「COP28」は、温室効果ガス(GHG)の排出削減目標や気候変動への対策について議論される「国連気候変動枠組条約締約国会議」の28回目の会議で、2023年の12月にドバイで開催された。この「COP」(国連気候変動枠組条約締約国会議)は1995年以降毎年開催され、2024年はアゼルバイジャンのバクーで開催される。
この「報告会」に話を戻す。この会は、COP28のもようの取材のためにわざわざドバイに出かけた、気候NPOに所属する九州大学工学部2年生の方が、現地の模様や会議の現実、そして世界のアクティビストの動きについて数々の貴重な写真を交えて報告したものである。
趣旨はこの通りだ。
・COP28に人数だけは送り出しても存在感のない日本
・世界が完全な化石燃料廃止に動いているのに日本だけは石炭火力発電の延命を図り、世界の流れに乗ろうとしない。
・現地の記者は「世界がサッカーをやっているのに日本だけが野球をやっているようなもの」と言っていた。
野球に換言すれば、以下のようになる。
・化石燃料廃止=世界の潮流=世界的に広がったサッカー=先進的
・化石燃料保存=日本の孤立=野球=時代遅れ
もっとズバリと言えば、この記者は、気候変動対策の遅れの象徴として野球を悪者・スケープゴートに使ったことになる。
この記者は、私が想像するに、野球が盛んとはいえないヨーロッパの国の記者ではないかと思う。また、野球をスケープゴートにするのには、内心アメリカへの潜在的な嫌悪感も手伝っているのかもしれない。もし日本でアメフトが野球と同じくらい盛んになっていたのなら、「世界はサッカーなのに日本だけアメフト…」になっていた可能性もある。
これを裏付けるツイート例があった。ちょうど水原一平氏の騒動に合わせて出てきた「めいろま」のツイート。野球の存在そのものを批判、否定するツイートもあふれたこの時期、以下のツイートがヨーロッパの野球観の現実を物語っていた。
野球がCOP28で日本と一緒にスケープゴートのように言われたことと、以下の「めいろま」のツイートは、背景がうまく符合しているように見える。
しかし、野球はそもそも悪者だろうか?私は、「野球」というスポーツにそもそも罪をかぶせるものの言い方には、違和感を超えて嫌悪感がある。野球であれサッカーであれ、スポーツそのものには罪はないのだ。そのイメージを作るのはあくまでプレーする国の人間である。これは選手や関係者だけでなく、不幸な形でスポーツに関係ない人を巻き込んでしまうこともある。野球は元来自然に溶け込んだスポーツであることは、映画「フィールド・オブ・ドリームズ」が証明しているとおりだ。近年はドーム球場が増えたとはいえ様々な自然環境の要素がプレーに影響するのも野球の面白いところのひとつだ。
もうひとつ、野球「だからこそ」世界に様々な価値を与えられる事例もある。アジア・アフリカ野球機構代表理事である友成晋也氏がアフリカでの野球指導で体感した事例だ。
以下のリンクにその詳細が出ている。
友成氏がアフリカで体感した野球のチカラとして、「民主主義を広めるチカラ」「人を育てるチカラ」「平和を作るチカラ」が挙げられている。平等に誰でも打席が回ってくる野球は民主的なスポーツと評価され、野球を学んだ生徒の成績が向上してリーダーシップも身についた事例がいくつもあり、南スーダンの民族紛争の解決にも貢献しているのだ。こうしたSDGsを広げる力のある野球のチカラや現実を知れば、誰が野球を「気候変動対策の悪者」と同一視できようか。
夏の甲子園でもわかるように、気候変動対策の遅れは、すなわち野球のプレー機会を狭めることにもつながる。これは同時に世界の人々の活動機会を狭めることにもつながる。野球界も、「気候危機を解決するチカラ」を持てるように何ができるかを考えていく必要があるはずだ。
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