はづきんぐ
でかい地震に台風。
世間がお休みだからって、何でもやっていいわけじゃあないぞ、地球!
そんな、年々来るぞの声が大きくなって来ている南海トラフの恐怖や、長居する姑みたいな速度の台風に見舞われ、関係ないような場所に住まう人だって漏れなく心配してしまったであろう2024年も8月が終わろうとしています。
凄いねー、地球は生きているねー、なんてのんきなことを言っている場合じゃないですね。
確実に死の淵というか、何らかのそういう終わりしなに立たされていることを実感せざるを得ないことになってきました。
国が用意せよ、と呼び掛けたことをきっかけに僕も怖くなって、我が家も防犯グッズやいわゆる非常食をついに買ったのですが、やはり同じ行動を取った人たちでごったがえしたのか届くのはもう少し秋が深まって来てからですって。
それじゃあ、それまでの間にどこかに閉じ込められるような事態になったら、その時はさようならなのかもしれない。
ふと、自分のふがいなさを呪うような虚しい気持ちにもなって何とも言えない、例えば貧富の差があったとしてもみんな同じところに住んでいるんだし、大半の日本に住まう方々は同じような気持ちになっているはず…ですよね?
もう夏という季節それ自体からは楽しいというようなイメージを引き出しにくくなってきているなあ。
あるだけで楽しい、嬉しいという存在はとても大きかったと思うのだけれど、別に毎年夏だと浮かれはしゃぐタイプでは無いものの、それこそここからは何を楽しみに生きていこう、と考えるのは歳のせいだけではないはずだ、とモンゴル800がカバーした「少年時代」を聞きながら思う夏の終わりになっております。
いけないですね。
子供にはせめて「夏って昔は楽しかったんだよそれだけで」というようなことを伝えていこうと思います。
そんな今月は、主にプライベートに関わる精神的なジェットコースターが盛りだくさんだったため、単純に疲れたのですが、その代わりにお仕事には集中出来たような、そんな一か月だったように思います。
自分の中の変なブレーキや枷がだんだん外せて来たような、そんなイメージではあります。
自分が踏み入れていない領域だったためお断りせざるを得なかった案件含め、お誘いも複数頂けたのはとてもありがたく、ただプライベートが忙しいため、やはり来年の春先や夏くらいまでは今あるお仕事に従事させて頂くことが精いっぱいだと判断しております。
もちろん、新たに頂けますお話とも積極的に繋がりたい意欲はございます。
ただ持ちすぎると絶対こぼしてご迷惑をお掛けするのは目に見えているため、あくまで「今は忙しい」というモードで。
それこそ描きたい絵、新たにチャレンジしてみたい表現も趣味の制作物込みではあって、時間を生み出す策略を練る毎日ではあります。
軌道に乗り次第、お仕事下さいとこちらから出向く可能性もございますので、今しばらくそういうモードになるまでお時間掛かってしまいますがその際はよろしくお願い申し上げます。
今月もお世話になりましたご担当者様、企業様ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。
今月触れたものです。
実はお盆付近で長いお休みも頂いておりましたが、あまりエンタメに触れる時間は無かったかな…。
例えばNetflixなども、観たかったなにそれが消化出来たら一旦解約しても良いのかなと考えていて、その最後が「葬送の~」だったのですが、なるほど、こういう作品だったのですね!
後は「BEASTERS」などがそのうち観られれば観たい。
そして集中している時間が長かったため音楽は比較的沢山聴く機会があったように思います。
米津玄師さんのアルバムはなんと言いますか、13~14曲ワンパックの、往年の音楽シーンで主流であったCD媒体でのアルバムという形態に慣れてきた身からすると楽曲数のボリュームもそれを超えて迫ってきている感じで、アルバムのワンループが自分が一回に集中出来る時間を超えているため、一回の集中時間ではワンループしきれないのですがそれがなんと贅沢なことだろうか、と。
だからと言ってお腹いっぱいでもういいや、とならない曲順や曲調凄いですし、ボリュームに満足感が比例しているのが素晴らしいと思います。
ただし、体力の減ってきたおじさんリスナーとしては消化に時間が掛かっていて、耳やハートが馴染めない楽曲もちらほらとあり進化が求められている気がします。そして音に耳を預けているだけの状態ですので、そのうち各楽曲の歌詞もじっくり読み通してみたいです。
たぶん、凄いことを言っている気がする。
来月以降はまたこういったエンタメに触れられる時間が減る予感です。
出来る限り新しいもの、触れたかったものに触れる姿勢ではいたいです。
さて。
毎年人が起こしてしまっているであろう原因に傷つく地球に憂いやすい、夏の終わりとか秋口の季節がやってきますね。
被害なんて無かったりするのが一番ですが、被害にあった時のことを想像しながら生きることが求められているタイミングだとも思いますので、出来る限りの準備はしたいと思います。
…と言ってもできることは少ない気もしますが。
そういうダメージや人との摩擦による精神的な傷でボロボロの中、自分にとっては唯一の回復材料が子供というところでして、本当に人類の先輩方や親達はそうやって回復をしながら、それぞれの時代を何とかやってきたのだなという尊敬の念が堪えません。
頼り過ぎないように、そしてあくまでそれを物理的に守るのは自分だという認識でいたいなと。
YouTubeで観かけた一つの動画内の「皆が悪いことを想像すると本当に悪いことが起こるぞ」という、スピリチュアル系の言葉ではありますが、そんな要素が頭の中でこだましています。
せめて「思い出す」ことでしか明るいものを生み出せなくなってきてしまっている日本という国に住む自分も、何とか未来の明るい話をしたいなと思うばかりです。
逆に想像して道が開けるのなら、まずは絵という想像を媒体とするものを扱う自分たちが、何か出来ることがあるかもしれないとも考える毎日です。
とにかく、今できることやらねばならないことをやるしかないのですが、余裕が本当に無いのかは一度整理して考え直す必要はあるのかもしれない。
色んなことを考えるのには十分な涼しさが戻ってきて欲しいところです。
どうにかならないかなー、うーん。
では、また来月。
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