皋
先月までの穏やかな晴れが続いていた印象で、結構青空も多く心地よかったのですが、例年通りゴールデンウィーク終盤を目安に「夏日」だとか「強い雨」だとかがワードとして出て来るようになって、終盤にはどんよりした日よりにもなってきたかな、次の季節がまた来るかな、という匂いをかんじながら2024年の5月もおしまい。
こちら長野の高地は晴れの日はそこまで夏日というわけでもなくて風もまだまだ冷たく、初旬を中心にかなりお出かけ日和は多かった印象ですが、例えば子供を抱っこ紐で抱えると、設置面であるお腹とか胸にややじわっと汗が来る、みたいにはなってきたでしょうか。
そんなお出かけ日和が続いた気候の中、僕自身は所属させて頂いている企業に先月までの育休を終え、月頭から勤務を再開させて頂いております。
大事にご対応頂きただただありがたいのですが、じゃあ自分がそれに見合った業務が出来たのか、というと全く期待外れのことをいくつかやってしまっているはずなので、反省に尽きません。
二ヶ月も電源OFFの状態になれば、それは。
「慣れ」は特に今の業務の様にある程度反復を必要とする内容では重要で、長いお休みを頂いた中で忘れないよう努めたつもりですが、やはり復帰直後は調子が崩れてしまった印象です。
やり方を少し変えるか、検討をしなければというところです。
しかしながら、お仕事や趣味で絵を描く日常が帰っては来ました。
ただし当然育児は続きますので、勤務+育児の、バージョン2.5みたいな新生活に突入したという印象です。
幸いリモートでの勤務を続けさせて頂いているため、トイレなどに席を立った時に子供の顔が見られるこの環境はとても贅沢でありがたいですが、余計に時間の使い方には気を付けないと、すぐに趣味に費やせる隙間なんて過ぎ去ってしまいそうなくらい、日々はめまぐるしくなってきています。
さらに業務以外、後は漫画のリメイクに手を付けたり、という日々ですがまたまた現状話すことは出来ないことがらを先月から開始し、一旦落ち着くまではそれに時間を取られるんだろうなという印象です。
本当に落ち着き切ったタイミング―たぶん何年後かなのでしょうが、うまくいった暁には話が出来ればなと考えております。
今はただ、無心になって無駄を極力省いたり、そんな中どれだけ怠惰を捨て去って丁寧に苦労するかの修行が始まったのだと言い聞かせながら、再び必死に耐えようと思います。
相変わらず、地元や未だ出会いのないシーンに売り込みもしてみたいし。
そんな気持ちで、業務用のポートフォリオに少し改変を加えさせて頂いたりしています。
(URLは更新の度に変わりますので、アクセスできなくなってしまったご関係者様はご一報くださいませ)
今月お世話になりましたご担当者様、企業様大変ありがとうございました。
今月触れたエンタメです。
…が、今月は記載は控えます。
やはりというべきか、業務再開の今月こそそんな暇ないって!という状況でございました。
ブログの挿絵が描けたのが唯一のそれかな。
来月からは、少しずつ時間が生み出せるはずなので、接種もしていきたいです。
さて。
月半ばには実家の田植えも手伝いまして、忙しい季節となってきましたね。
とにかく、復帰した業務でのつまづきが尾を引いておりますが、切り替えていかないと周りにも迷惑を掛けてしまいますので。
自分の時間はーもとい、自分の絵を描く時間はどんどんと無くなっていますが、その中で出来ることを。
案外、それだけを考えていた育休前の方が邪念が無く全てに集中出来ていた気もします。
そして、気づけは5月。
来月は誕生月となるため、三十代最後のひと月だったのか。
ということで軽くこの10年程を振り返りつつ。
10年前は思い出したくない程はっきり覚えていて、路頭に迷っていました。
このままではいかんぞ、と分かっていながらも八方ふさがりでどう動くことも出来ない毎日、みたいな言い方が本当にしっくり来るという状況でした。
とにかく手をすくう形に構えて、入って来たものがゴミだろうがホコリだろうが虫だろうが食う、みたいに無いものを求めるが来るものは来ず、何とか手繰り寄せたものもなんだか上手いことさばけているのか分からない、という状況で不安と焦りで埋め尽くされていました。
じゃあ10年経った今、それは変わったのかと言われれば相変わらず手探りで対応するお仕事もあれば、満足するだけの依頼に恵まれているわけでもなく、日に日に衰えを感じる体力で出来るだけそれらをこぼさないようにひっしに支える、という風に状況自体は変わっていないかもしれません。
世の中的にも物価も高騰を続けるし、何だかイラストレーターというお仕事自体も、もう存在して良いのかダメなのかも分からない。
とんでもないことになってしまった、という世の中をギリギリで飛行していることに何も変わりはありません。
僕は有名なイラストレーターでもないし、お金だって全然持っていないです、それは今も変わらないです。
もうたった一つ。
「絵を描くこと」と恋人になって30年くらい経つのですが、それだけがこの10年間をも暖かく照らしてくれていました。
というかもう、それしかないという確信なのか、いやただの情念なのでしょうけれど。
実際、この10年間には絵を描くことが好きな自分が「絵を描かない」という選択を何度かした期間がぽつぽつと存在します。
それまでいつだって絵を描いていた自分からすれば、それは怠惰であり、慢心であり、傷です。
しかし「絵を描かない」期間に得られたものは何だった?
結婚、子供、そしてお金。
人生とは、と自責の念が尽きません。
そうして得られたもののお蔭で、今も「絵を描くこと」にしがみつくどうしようもない人間なのだと、いつもなら隠してしまう影の部分を語るとこうなります。
しかし、運でも何でも使ってここまで飛んで来られたのも事実であります。
有名なYouTuberも言っています「全ては運だった」と。
そして自分のこんな状態は、果たして守りたい程素晴らしいものかどうかと聞かれると、全く自信はないです。
でも、飛び続けなければと感じています。
低いのは元々承知の上で。
出来るだけ遠くへ。
幸い、衰えているとは言えど体はまだほころびが見つかっていません。
ここから見える幸せそうなみんなは、もっと沢山色んなものを持っているのでしょうか。
また、逆にそっちから僕を見て幸せそうだと感じるみんなは、これを読んで何と感じるのでしょうか。
僕が持っているものはそんな取るに足らないものですが、ここからの10年、そして死ぬまでずっと持っていなくてはいけないものを何とか手元に残すことが出来た、そんな10年ー三十代だったと感じています。
「攻め」と「守り」が交代する人生の後半に突入します。
しかし守るために攻めるのは、ずっと前からやっていた気がします。
攻めたいから守っていたようにも感じますが、そうだとすれば、守っていた刃も自然と錆びてしまうぞ、という戒めも自分にしつつ。
とにかく、四十代からも絵を描くこととは恋人でいさせてもらうつもりですし、この10年で得たものは、この先失うわけにはいかないものばかりです。
慎重になるだけ必然と、その歩みは遅さを増すことは容易に想像できますが、それでも出来るだけ遠くへ。
これが願いだろうが確固たる意思だろうが、もう関係なく。
39歳ラストの自分がほぼ即席でブレストしてみた今の気持ちです。
この10年間も応援して下さった皆様、すれ違いざまにいいね、として下さった皆様、もちろんお仕事で繋がって下さっていた皆様、家族、本当にありがとうございました。
来月からも本当によろしくお願いいたします。
梅雨になりますね。
雨の被害が出ないと良いなー。
では、また来月。
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