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リスポーンのごあいさつ

おおしまやすゆきです。
2020年の2月にイラストレーター業に復帰し、再始動しました!
再始動にあたり、今一度ご挨拶ではないですが、自己紹介的なものをまとめた方が良いのでは?と考えていましたが、どこが良いかな、どうまとめようかな、そんなことを考えていたら季節は梅雨を超えて夏も終わろうとしているではありませんか!

そんなわけで、こんなタイミングではありますが「二度目まして!」、初めましての方には「はじめまして!」な記事を投稿したいと思います。

とても長文になってしまったので、お時間のある時にちょっとずつ読んで頂ければ幸いです。



どんな絵を描く人?

イラストレーターですから、人となりというよりまずはどんな絵を描くのか見せんかい、というのが早い話かと思います。
ただ文字もの主体であるSNSにおいて、どう表現するのが適切がをずっと悩んでおりまして、ずらっと今まで描いた絵を貼っていくのも容量ばかりかさばってしまって記事的にどうかと思うのです。

ので、ここでは おおしまやすゆき のwebサイトへのリンクをする程度に抑えておこうと思います。
気になる方はギャラリーを見てみて下さい。
この記事はそういう絵を描く人のお話でございます。

▶Yasuyuki Ohshima Illustrations Archives



デビューまでの流れをだらっとまとめますね

ということで、あらためてはじめまして。
昔から知って下さっている方ももしかしたら数人いらっしゃるかもしれませんが、もう本当に数人だと思っていますので、人となりから紹介していきますね。

1984年生まれ、先月36歳になった男性です。
もうすっかりおじさん絵描きの仲間入りです。
生まれは長野県茅野(チノ)市。
特に何が有名、という地域でもないですが、たまに「寒天の産地」としてキー局のテレビ番組などにも取り上げられているのを見かけます。
寒天というのは「寒くて乾燥した気候」を使って、外気で今で言うフリーズドライをして保存食にしていくわけですが、要はそんなものが作れてしまう程、冬場は寒く乾燥した地域なんですね。
じゃあ冬寒いのであれば同じ長野県の有名な避暑地、軽井沢みたいなところなのかな、夏涼しいのいいね、と想像される方もいらっしゃると思います。
夏は確かに涼しい、のですが日中はちゃんと暑い時間もあって、特に他の地域と変わらず昼〜夕方は暑いです、ピーク時は35、36°にちゃんとなりますし。
ただ太陽が沈む頃には山からの風も冷たく、夜はひんやり過ごしやすいという感じ。
お盆過ぎにはもう秋の気候になっていきます。
そういう意味では後にも書きますが、夏にちょっとだけアドバンテージがある地域なような気もします。
地形とか地理には全然疎いのですが、いわゆる盆地の気候だと思っています。

自然は豊かで、ゴールデンウィーク付近で桜が咲きます。
有名なのは高遠(タカトウ)峠の桜並木でしょうか。
観光客でごった返すので行ったことはないですが。
緑も空も綺麗なところだと思います。
おすすめは1〜2月の柔らかい太陽光降り注ぐ林の中ですね。
寒いけど写真を撮ったりするのに完璧なライティングなんです。
一応、県の中部に位置していて、太平洋サイドの気候ではあるので、冬は晴れ間が多いです。

そして地域としては諏訪というところに属するのですが、諏訪湖という湖があります。
そういう豊かな自然を活かした観光業、そして豊かで澄んだ水を使って精密機器やその部品の製造が盛んだ、とうたっている地域…で合っているかな、だと認識しています。

そんな環境下で生まれ、ほぼ30年くらい過ごしました。
保育園〜高校まで市内のものに通わせて頂き、大学は石川県金沢市にある金沢学院大学の情報デザイン学科(今は無くなっちゃってる学科?)へ進学しました。
大学在学中に昔から憧れだったデスクトップパソコンやPhotoshop、ペンタブレットに触れてデジタルでイラストを描くうちに「イラストレーターになりたいな」と思ったのが最終的な動機になったのかなと記憶しています。

「憧れだった」ということで、絵自体は小さい頃から描き続けていました。
古い記憶だと保育園児の時にクレヨンと画用紙で、当時好きだった戦隊モノのロボットの絵を描いているものがあります。
あとクレヨンや画用紙、コピー紙、鉛筆やシャープペンシルなどの画材そのものが好きだった記憶があります。
デザインとか形とか、色んな色の同じ形状のものが並んでいる美しさとか。
こういうものに囲まれていたいし、見ていたい、使っていたいという気持ちが強い男の子でした。
小学5年生のクリスマスプレゼントにはこんな画材セットをサンタさんにお願いしなくてもサンタさんが届けてくれる程でした。
性格は今でもあまり変わらず内気で自信が無く、周りを結構気にしてしまうタイプなので、絵を描く人としてはいわゆる昔からいるステレオタイプな気がしています。

デジタルの絵が描ける機器があって、それらを使って描く「デジタルアート」なるものがあることは、小学6年生か中学1年生の頃書店で見かけた「天才パソコミ塾 PhotoshopElementsで描く最強入門書」という冊子の、「尾田栄一郎×鳥山明 デジタルイラスト対談」みたいなみたいな内容で知りました。
「Photoshop」っていうソフトがあるのか。
家(親父)のノートパソコンにインストールされているソフトなのかな、無いな。
(ネットや書籍で調べて)じ、15万円もするソフトなのか!?
自分で手に入れるのは無理だな、大人になってから買うか…。
諦めつつ憧れの存在として頭に留めつつ、絵は紙に鉛筆やシャープペンシルといったアナログの画材を引き続き使って描いていました。

結局デスクトップPCもアプリケーションも機材も、最初は大学生の頃、資格取得者への奨励金(色彩検定とか画像処理検定を受けて受かると奨励金がもらえる制度が大学にあった)で揃えたのを覚えています。
当時の友人に教えて頂いた方法で、「バイトしかないか」と諦めかけていた自分にはかなりの朗報でした(絵を描く時間が欲しかったし、バイトしたくなかった…!)。

デジタルでの機材が手に入るより前は漫画にも興味があって、熊倉雄一先生の「王ドロボウJING」シリーズや小畑健先生の「ヒカルの碁」の絵柄全てに関心を持っていかれていたため、そんなアナログの画材もむしろ欲しくて、つけペンやスクリーントーン、羽箒と言った画材を一通り集めながらも恥ずかしいので誰にも見せずにオリジナルの漫画を描いていたりもしました。
結構本気で取り組んでいたんですよね。
すごくぼんやりした絵を仕事にするという概念よりも「漫画家になる」という方がいささか具体的な気がしていました。
ただ上達していくのは「絵」の方ばかりで、漫画の根幹である「ストーリー」はからっきしでした。
元々本を読むのも毛嫌いしていましたし、漫画も基本的に描かれている絵を観ていた気がします。
やっぱり絵を描くことが好きだったようです。

そしてこれだけ長い時間をかけて一つ「絵を描く」ことに固執してきたわけですから、時を重ねる毎に「絵を描き続けたいな」「イラストレーターになりたいな」「漫画家になりたいな」「絵で食べていきたいな」という気持ちは当然強くなりますし、しかし比例して「それはほんの一握りの人がなれるもの」「もっと頑張らないと無理」「そもそも無理」という周りの声もあってそういう方向に進むのが怖いな、という気持ちが常に対峙していました。
思えば結構昔から、小学生の頃くらいからこの概念を抱え続けていたように覚えています。
とにかく内側でずっともやもやしていたなぁ。

時系列的にまとめると、

[保育園児〜中学2年生]
《使用画材》
・広告の裏
・Campusノート
・コピー用紙
・クレヨン
・クーピーペンシル
・色鉛筆
・シャープペンシル
《何描いてた?》
・好きなイラスト(ROCKMAN(初代無印の説明書とかカードダスのイラスト/王ドロボウJING/ヒカルの碁))の模写
《精神状態》
・真剣に、というよりは遊びの一環として描いていた感じ → 上手いねと周りに褒められ得意だと勘違い

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[中学3年〜大学生]
《使用画材》
・Campusノート
・コピー用紙
・罫線の無いメモ帳
・シャープペンシル
・鉛筆
《何描いてた?》
・オリジナルキャラクターをひたすら生み出す
・オリジナルの漫画
《その他》
・親父のノートPCを借りてwebサイトを作成してみる
《精神状態》
・デビューしたいな、絵を描いて生きていきたいなという気持ち VS 険しい道なので怖い、できないだろうなという気持ち

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[大学2年〜大学3年]
《使用画材》
《線画》コピー用紙 → スキャナで取り込み → 《着彩》Adobe Photoshop 7.0
《何描いてた?》
・オリジナルのイラスト作品
・オリジナルの漫画
《その他》
・イラストの描き方、絵の描き方は大学の講義では学べず、独学
・Adobeの一通りのソフト、htmlなどを講義で学ぶ
・ロゴや紙媒体のレイアウトデザインの基礎なども講義で学ぶ
《精神状態》
・憧れだったデジタル機材一式を手に入れてとにかく嬉しい
・デビューとかは一旦置いておいて、今はとにかくデジタル環境で絵を描くことが楽しい

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[大学3年〜大学4年]
《使用画材》
《線画》SAI → 《着彩》 Adobe Photoshop 7.0
《何描いてた?》
・オリジナルのイラストを引き続き独学で制作
《その他》
・大学の講義、ゼミで3DCG(3dsMAX)も学ぶ
《精神状態》
・田舎に帰りたくなる:慣れ親しんだ場所で絵を描きたい

…と、ずっと「絵を描く人になりたい」という気持ちを持ちながらも「今の自分からは遠過ぎてどう繋がったら良いか分からない」という状況で10代を過ごした、といった感じです。
本当に当時は門が狭かったように思いますが、単純に自分の努力が、そして絵に対する愛が足りなかっただけだとも思います。
もっと本気で動いていれば、それこそ大学ももっと今の自分に早く繋がったであろう美術大学への進学のために勉強出来ただろうし、社会人になってからも漫画のもう一本も描いて持ち込みすることも出来たはず。
そういう努力を放り出して、ゲームも沢山していましたし、テレビもいっぱい観てしまっていた。
繋がれたであろう色んな道を自ら切り離してきていた自負もあるので、自業自得ではあるかと思いますが、何か簡単に考えすぎていたのを思い出して今では反省しています。

そんな感じで高校、大学と青春時代を過ごし、就職を機に自分のそれまでを振り返ったりするうちに、現状何かしらイラスト関係の職につくことや、個人的にデビューすることは出来ないので、一旦実家に帰り家賃などを免除してもらいながら具体的(金銭的)に体制を立て直ししよう、と大体方向性を定めます。
怖がっていたことを一つずつ潰して行こう、まずはお金だという目算を立てました。
ただこの時点で「どうやったらイラストレーターになれるか」は分かっていませんでした。
ネットで調べても今と違って具体的な例なんて一切出てきませんし。
「イラストレーター」という職業があるのは知っていましたが、それが本当に自分がなりたいものなのかどうかすら疑う程分からないものでした。
世の中の「イラストレーター」は幻の存在だと思うくらいでした。

就職は地元の印刷会社に内定を頂きました。
大学で学んだ知識はあまり活かせず、一から学びながら働かせて頂いた感じです。
PCやAdobeのソフトを使い慣れていたことが唯一のアドバンテージ、というくらいです。
初年度の給与なので一月の額は大したことはありませんでしたし、今は分かりませんが「印刷業」自体、顧客へのひっきりなしの対応が求められている体制でしたので、上司からの技術や知識の伝授の時間も取れず、言われたことをただこなしながら、後先の工程の担当者に怒られながら、勤務開始3日目にはすでに残業がスタートして、その後辞めるまでずっと続く程でした。

心の支えと言えば、大学生の時代に、同じクラスの子とお付き合いを開始していたのでそのことと「お金が貯まったらイラストレーターになる」というものでした。
あと「PCとかAdobeのソフトが触れる」みたいな小さな要素を必死に心のトリガーにして、思い返せば結構な苦行でしたが乗り越えていきました。

当時はSNS「mixi」が流行っていました。
でもmixiを使ったイラストレーターに関する情報の収集は出来ておらず、同じように絵を描いている恐らく同世代の絵の上手い人の投稿にリアクションをしたり、自分でも描いたものを投稿したり、大学の同じ趣味の人とやりとりしたり、と本当に欲しいものからは近からず遠からずの情報をやりとりしていました。

転機としては「pixiv」との出会いでしょうか。
丁度印刷会社を辞めたのと同じくらいのタイミングで確か大学の友人が教えてくれました。
mixiみたいなものかな、と思って描きためていたオリジナルのイラストを一度にどっと投稿しました。
当時はお付き合いしていた方との別れもあって精神的に健康でなく、また当初3年は努める予定だった印刷会社も、あまりの重労働に1年で辞めてしまったことも重なって、急にぽっかり空いてしまった時間とハートを埋め合わせるように絵を描いていたように記憶しています。

描いた絵はすぐにpixivへ投稿。
反応があればすべからくお返事し、感謝を伝える。
ウザがられることも少なくありませんでしたが、住む場所がそこにしかなかった、みたいな感覚でした。

そして2008年10月頃だったと思いますが、一本の電話が入ります。
「文芸社」という言葉を聞いてびっくりしました。
イラスト集を出してみないか、というお話でした。
当時貯めた貯金と同額くらいの出版費用ではあって、かなり悩みましたが動かなければ何も始まらないと思い立ってローン契約、2009年の4月にそれまで制作したイラストをまとめ『虹色眼鏡』というタイトルで出版しました。
出版の内容に沿って全国の書店に並んだそうです。

しかし無名の実績も無いイラストレーターがイラスト集を出したところでそうそう売れるものではなく、具体的にはデビュー自体はこの出版ではないと感じています。
この出版をpixivさんが取り上げて下さいました。
ここが大きいと思います。
「ピクシブ通信」という、pixivユーザの活躍を取り上げて下さるニュース記事の公開企画のようなものが当時あって、そこにこの『虹色眼鏡』の出版を取り上げて頂いたところ、すぐに書籍へのイラスト制作、そして個展の依頼が舞い込みました。
これが具体的なデビューかなと思います。

その書籍へのイラスト制作をきっかけに、徐々に商業的な依頼が舞い込むようになります。



デビュー~今をだらっとまとめますね

デビューさせて頂けてからは、途切れながらも少しずつお仕事の依頼を頂いてきました。

・書籍カット/表紙イラスト
・専門誌への寄稿(描きおろしイラスト込)
・素材としてのイラスト/カット制作

その他、合同展や個展のお誘いも頂きました。
一応、経歴的なものをざっとまとめているページがあるのでリンクを。

▶Biography | YASUYUKI OHSHIMA WEBSITE


因みに、デビューから今まで、折に触れて他所にお世話になってはいるものの、「フリーランス」の形態を取っている人間ですので、絵を描く以外にも、

・売り込みの(メールや書面)
・契約や金額の交渉
・必要書類の準備/発送
・受注中の必要なやり取り(メールや電話対応)
・〆切などスケジュールの管理
・各種データ/書類のバックアップと管理
・確定申告/国民現行保険支払いなど行政的な手続き

などといったいわゆる事務処理や裏方仕事も全て自分で行いますし、でもデビュー当時これらの知識は持ち合わせていなかったので、調べながら聞きながら覚えていきました。

正直、最初こそ安定した収入だったものの、なかなか安定した額を安定した周期で頂けるように至らず、また展示にもお金が掛かっていったため資金がつきかけ副業でアルバイトをする、といったサイクルに陥りました。
pixivのお蔭で運よくデビュー出来てしまったため、売り込みのやり方とか重要性にまったく気が回らず、ずっと行っていなかったことが原因でしょう。
当然、自分よりも技術も知識も上回る方が出てくれば一瞬で不要となる存在。

大学の非常勤の講師やコンビニの深夜勤務など、絵を描くための副業の方が忙しくなることもザラで、なかなか苦しい日々を送りました。
家族の助けも借りてしまい、迷惑を掛けることも少なくなく、辞めようと思ったことも沢山あります。
しかしギリギリ独りで生きられなくもない状態が続き、でもそうなってくると自分がイラストレーターだと胸を張って言いづらくなってきます。
絵を描くことがむなしくなって、段々とSNSへの投稿も、絵の制作頻度も減っていきました。
完全に負のスパイラル。
ただ出来ることは何でもしたつもりです。
動画配信が流行っていると聞けば、慌てて環境を構築し配信してみたり、同人誌の即売会にもできる範囲で参加。
グッズ販売系のショップサイトへのデザイン登録も、ソーシャルゲーム系の作家登録も、章レースへの応募やコミュニティ参加、作家集団への入団などなど…。
twitterにかじりついて、ネットの検索をとにかくして、流れて来る情報に出来る反応は全てしましたし、頂ける依頼はこちらが出費するものであろうと全てお受けしてきました。
借金やローンなどといった無茶は結局しませんでしたが、何度も頭を過りました。

そんな中、プライベートではデビュー前に別れた方のことを引きずっていたので、当面恋愛とか人付き合いはゴメンだ、なんて思っていたのですが、大学の講師の業務で奥さんとなる方と出会います。
先生に恋い焦がれる学生、みたいな言い寄られた構図ですが、当時そういう精神状態だったため上記のような理由を正直に添えて「僕と付き合っても幸せにはなれないよ」と断っていました。
ただ嫁は辛抱強かった。
彼女が社会人になるまでアタックを続けてくれ、気持ちは本物なんだなと気づかされました。
ただ、そこにお返し出来るだけの懐がどう捻出しても、無い。

そこで一念発起して、今まで興味はあったけれど住む場所もあってなかなかご縁の無かったゲーム業界にお世話になれば、少しだけ安定した収入を頂けるかな、と動いてみることにしました。
当時ゲームの業界からお仕事を頂くことがちらほらあって、少しだけコネクションがあったのですね。
幸い、イラストレーターとして10年の継続となっていて、経歴的には問題なしとのことでとある現場に携わらせて頂けることになりました。
年齢は30を過ぎていましたが、考えている余裕もなく関東へ。
3年程とあるプロジェクトにアサイン頂き、無事に世に出る運びとなったのと同タイミングで目標としていた金額を蓄えることが出来たため、2018年にプロポーズ、そして2019年プロジェクトのリリースと同時に結婚式を挙げることができました。

現場では実に沢山のことを学ばせて頂くことが出来ました。
ソフトやアプリの使い方は現場の方の熟練度に到底及ばず、プロジェクトとしての物事の進め方、受注ではなく発注する側の重労働や気苦労、時間の使い方や、取り組む姿勢も、自分よりも何歳も若い方に叱咤されながら初心を思い出せて頂いたように感じます。
またプロジェクト管理の方法の一部や、それこそ表計算ソフトの使用法まで学ぶことが出来、現場初心者にも拘わらず優しく接して下さった現場の皆さんと、現場へのアサインを手助けして下さったご関係者には感謝してもしきれないという状況です。
もちろん絵についても、絵と向き合う姿勢についても沢山学ばせて頂きました。
本当にありがとうございました。

そして2019年12月を持って現場から離れ、2020年の1月再び地元茅野市へ帰って来て今に至ります。
丁度帰ってきたのと同時期に発生した新型ウィルスによるパンデミックに多少振り回されたりもしていますが、今はイラストやデザインの業務からのご依頼がコンスタントにあり、再び何とかイラストレーターとして生きていられているという状況です。

それなりに色々ありましたが、起こった問題の原因は常に「動かない自分」が作り出しているものだとも思うので、20代はそんな反省が残ります。
思い返せばその都度、いや毎日必死に動いていたように思いますが、もしかしたら「本当にやりたいことの芯を食っていない下準備や行動」、「本心を大事にしなかったこと」などで空回りしていたようにも思います。
初心忘れるべからず、運も実力のうちとは言え、棚ぼたの惰性で生きることを絶対に辞めようと感じた10年です。



これからのことをだらっとまとめてみますね

さて、一応イラストレーターとして動かせて頂けて、結婚式という人生の大舞台にもそれなりに立たせて頂くことが出来たわけですが、ここからはなかなかの試練だと感じています。
イラストレーター的には、

若く新しい力と渡り合っていかねばならない
おじさんイラストレーターだと馬鹿にされたり、無視されたりしたいような努力を

自滅しない
もう一人の人生や懐ではない!
嫁やこれからできるであろう子供を責任感を持ってどこまで守ったり支えたりしていけるか


みたいな大きな大きな課題を背負って再びイラストレーターの大地へ降り立ったわけです。

上の2つを達成するために、今の自分の弱点となっている事柄、マインドを書き出してみました。

画力は決して一流ではない
 └ デビュー当時から、デッサン力、画力が秀でているわけではない
 └ 恐らく評価して頂けていたのは、
  ・絵を構築する上でのアイディアを落とし込むための思い切り
   └ キャラクターデザイン
   └ モチーフ
   └ モチーフと色使いや構図のバランス
   └ テーマ

〆切に対する進行も良質とは言えない
 └ 決して早いとは言えない
 └ 発注内容の見逃し、選んで頂けた意図をくみ取れないまま制作を開始してしまう

新しい事柄へのアプローチの遅さも目立つ
 └ 流行り出したことを確認出来た時点で乗る/乗らないを即決出来ていない
 └ 乗らないと決めたことへの断捨離力の無さ

…いや、これくらいにしておきましょうか。
元々弱点だらけの人間ですし、自分の弱いところばかり目にするとやる気が削がれてしまうタイプですので(笑)


これらを克服するために何をしたら良いのか、地元に帰って来る直前くらいからずっと考えてきました。
いまのところたどり着いている答えとしては至極シンプルなもので、


『初恋を忘れない』


この一言に尽きるのですが、なかなか恥ずかしい言い回しになってしまった上に意味も分からな気味ですので、もう少し具体的に描いてみますね。

絵に恋をした頃の気持ちを忘れない
当時は空っぽの気持ちを埋め合わせるために絵にしがみつくことが出来たが、その空っぽも風化し、ましてや愛する人も新たに出来た。
当時のものは歪んだバイアスがかかっていたため特例と言わざる得ないが、新たに自分の絵と絵を描くこと自体を好きになる必要があるし、その気持ちを維持する必要がある。
全ての業務を「これも絵を描くことの一部である」ということを忘れず手を抜かない

絵を描かせて頂けるという気持ちでいたい
依頼はもとより、個人的に描く絵も、その時間を家族のために使えていたものだと考えると時間は無駄に出来ないし、絵だけに自分の時間を捧げるという思考は今の自分向きではない
自分の身内が不安定な収入の職業に就いている、という不安を奥底では持っているであろう家族の不安を都度思い出すこと

理想像を忘れない

イラストレーターは本来お金持ちになれるポテンシャルを持っている職業だという夢を、落ち込んだ時ほど忘れない
自分も今よりもっと、出来るだけ成功している著名な作家や憧れとして持っていたイラストレーター像に近づくことを惜しまないし忘れてはならない

未体験なこと、苦手なことに挑戦する勇気は常に持ち続ける

ソフトの新しい機能、新しいデバイス、イラスト表現、それらから目を離さず、常に自分の一部にならないか試行錯誤を続けることを惜しまない
新しいことを取り込みつつも、自分が評価された要素を忘れず、できるだけブレないように変化する
出来るだけ関わって下さる方ともコミュニケーションを取ることから逃げず、孤立しないようにする

…といった感じ。
これ全部を心に刻みながらやっていくのはすっげー難しいですが、全てではないにしてもこういったことをずっと続けていたから曲がりなりにも10年イラストレーターを続けて来られたのかもしれません。
都度忙しくて上手くまとめられませんでしたが、言葉にすると別にイラストレーターに限った話でもないようにも感じられますし。
元々才能が多分にある自負がないので、コツコツ繰り返した結果、首の皮一枚で何とかここまで来られた、ということなのでしょう。

人間の恋愛とか夫婦の維持に似ているような気がします。
物事も人も一緒で然りなんでしょう。

さらにこれらを達成するために必要な物事があるかと思いますが、
それら具体的な内容は機会があれば文章にしますし、何より行動や描かせて頂くもので示していければと思います。

10年前から眺めたら、確実に人として新たなステージに立たせて頂けてはいますし、先にも書いた通りラッキーで立たせて頂いた舞台であれど、続けることでラッキーではなかったと言わせたい部分もあります。

もちろん、途中の副業も作用してですが、引越と同時に自家用車の新調まで行うことが出来ました。
次は家族で幸せに暮らせるお家が欲しいですし、どうせする心配なら上のベクトルに向いたものにしたいです。
何分根暗なのですぐ良からぬ方へと思考を巡らせがちですが、これらを維持することによって悪い結果になるイメージは出来ないので、目標としては良いものではないかと。

気負わず、でも決して忘れず。
受験生のように筆なんかで描いて壁に貼っておこうか迷いましたが、おしゃれじゃないのでこの記事にまとめる程度に留めておこうと思います。

初恋を忘れない
恥ずかしいのでひとまずしばらくは覚えていられそうです。
とか言いつつ。




最後に

いかがだってしょうか。
久々にしたタイピングはえらい気持ちが良く、ついつい長文になってしました。
最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。

おおしまやすゆき というクリエイターは、おおよそこんな人物でございます。

この度イラストレーターとして再始動しております。

…あ、本当にこの記事の最後の最後に。

★お仕事のご連絡はプロフィール文章に記載のメールアドレスまで
★その他お声がけ、ご挨拶は各SNSのメッセージ送信機能から頂けますが、100%応答は出来かねますのであらかじめご了承下さいませ

としております。
では、よろしくお願い申し上げます!

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