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「note」はじめました。③

[自己紹介3]

 生い立ちから、現在の状況までお話ししました。

 現在、無職であろうと、私の環境は大変恵まれていたと言えるでしょう。
 ただ、家族の思惑と違う方向に向かっていったことが、今、同じ屋根の下に住む両親の理解を得られない事に繋がっているように思います。

 働けなくなり、しばらくして、当時の就労の基本は、平日は毎日出社し、時には残業をするのが、大前提。
 私のような、毎日の出社と残業をこなし、雑務までみる余裕のない人間は、会社にとって迷惑者そのもの。

 そこで、30歳過ぎてから起業をボンヤリ考えていました。
 ただ、40歳まで行動に移せませんでした。とりあえず、美大卒なので、絵画教室を非営利で公民館を借りてやりました。
 そして、その年の年末、姉が自死しショックで寝込みながらもその年度の受け持った生徒さんの作品を何とか仕上げてお別れし、しばらく寝込みました。
 その後、父に内緒で起業スクールに通い、修了したところで、団塊の世代のザ・サラリーマンだった父に、恐る恐るカミングアウトしました。
父は「やっと、やる気になったか」と、私の気持ちも知らず言いました。

 当時の起業の内容はインバウンド向けのヲタク事業でした。
 でも、2016年の初めにJapanExpo.に参加する準備中、只でさえ下降気味な体調に立て続けの大雪。とうとう、入院することになりました。

 入院してしばらくは、とにかく、動けるようになることを目標にパワハラ紛いのスタッフの扱いも無視して、コツコツ治療しました。
 入院前は、食事もロクに摂れず、トイレも這って行く始末だったのですが、食事も定期的に出る事がありがたく、次第に回復して、周りの患者さんをみる余裕も出てきました。

 驚いたのは、本来ならスタッフが聴いてあげなくてはならないような事が沢山あるのに、スタッフは患者さんのために仕事をしてないのです。
 パワハラするようなスタッフもいましたから、空いている時間を、リハビリとして他の患者さんの傾聴に充てました。
 すると、スタッフは話を聴いてくれないので、聴いて欲しいとき、私のところに来るようになり、スタッフの面目丸潰れに…
 でも、例えば座っている人に話し掛ける時、立ったままとか、「病院だぞ!」と脅して無理やり下剤を飲ませようとしたり、病院スタッフとしてあり得ないと思う事が他にも沢山ありました。

 そこで、私は外に出たら、こういう病院に入院する前に息をつける心のシェルター(オンラインもリアルも)を作りたいと思うようになりました。

 もう、あれから5年弱経っていて、何時の事やらとも思いますが、諦めないで、こうやってブログを書いたり、そのうち、オンラインサロンも作ろうと思ってたり、オンラインで出来る事からはじめてみようかなと思っています。

 以上が自己紹介(長くてすみません)になります。
 とりあえず、ここまで読んで下さりありがとうございます。

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