クラブで踊れない生活 #1 ―シガ(Touch & Go)
COVID-19の感染拡大によってクラブで遊べなくなった日々の記録を試みる連載。「クラブで踊れない生活」をテーマとし、自由に話してもらう。今回はパーティーフォトの撮影や名古屋のパーティー『Touch & Go』のスタッフとしてもクラブに関わるシガによる日記をまとめて寄稿してもらった。
200320
渋谷、club asiaへ。
渋谷は休みの夜だというのに、いやに人が少なかった。先日、新宿でも感じたが本当に歩いている人がいない。飲食店はそれなりに人が入ってたりするところを見ると、来るやつは変わらず来るし、距離があったりハードルが高かったりと普段気合いを入れて来るような層が来ていないのではないか、ということを思ったりした。
ドアを開けてエントランス代を払って、バーカンの前にスーさんとアリムラさんがいるので声を掛けに行く。ゼロではないがやっぱり人は少ない、多少戻ってきてはいるしキャッシュが回らなくなる恐れもあるのでイベントをやるしかないのだというニュアンスの話をした。それはそうだろう。どう考えてもイベント、ライブハウスを運営する人たちや出演することによって食っている人たちは”やるしかない”状態なんだろうと思う。結局、来てくれる人の良識を信じて普段通りをやっていくしかない。
そのためにも、行ける範囲で行き、遊べる範囲でお金を落としてくるのが自分にできることなのではないかと思ったりした。自分の体調、濃厚接触者たり得る人たちの体調、渡航の有無や感染が拡大している地域からの人との接触の可能性、いろいろなことを天秤にかける必要はある。それでも行きたいと思うなら行くべきだし、できるだけ普段通りのことをする、ということを少なくとも自分は続けていきたいと思った。
200322
社でTOEICを受け、梅ヶ丘quintetに向かう。
3回目くらいだけどなんとなく雰囲気にも慣れてきて、近所にこんな場所があったらいいなとは思うくらいに素敵な空間である。しょーごさんがやりたかったことを全身で感じ、日曜日なのにまあまあ酔って総武線で1人帰った。
大学の友達と、さよならするときに握手したりハグしたり絶対しないよな、と思ったのは後日。最近はすぐ接触してしまう気がする。
相変わらずコロナウイルスが猛威を振るう。もう東京も近くパンデミック状態になるのではないか。なにが正解かわからない。自分の身を守る、知り合いの経済を守る、身の回りの人を守る、全部同時に成立してほしい。とても歯痒い。
200330
もし、この2〜3週間の間に自分の収入が変わらず、財布から出て行くお金が減ったと感じている人がいるのであればそれは今困窮している人のところに回るはずだったお金なのかも知れない、ということを思った。
以前アルバイトをしていた自転車屋であるCirclesが営業方針を表明している。
代表の田中さんには散々お世話になり、経営者として、ローカルに貢献する人としての考え方を常に聞かされていたことは間違いなく今の自分の糧になっていると思う。大学生のうちにそういった話をしてくれる大人はとても少ない(自分が出会わなかっただけかも知れないが)。
”自転車屋のみならず、その他の販売店、レストラン、ギャラリー、シアターなどは全て地元の経済に必要不可欠なのです。 もし家で暇を持て余しているのであれば、自分のお金がどこでどのような形で使われているのかを今一度考えてみるのもいいかもしれません。 そして、この非常事態が終わってから、自分が住んでいる街がどのようになってほしいかを考えるのもいいのではないでしょうか? 地元のコミュニティーにおいてまだ経済が回っているのであれば、できれば地元を支援し、あなたのお金をその地域コミュニティーで使ってみてください。”
ローカルや、友達、自分の愛すべき人たちが困窮することだけは見ていたくない。内輪でお金を回してでもなんでもいいから、とにかく助けたい。「普通」に戻ったときにそれがないことは考えたくない。
「ローカルにお金を落とす」ことをいつもぼんやりとしか考えていなかったけど、それは地域的なローカルだけでなく文化的なローカルに対してもそうであるべきだとここ数日とても強く感じている。
助成金が全てではないが、悩んだ末署名した。
今回はっきりしたのはロビー活動は非常に大事だということ、政治家は票田のおじいさんたちのことを考えていること、そして想像力が欠如していること。あまり普段政治に対するスタンスを表明したりはしないし、どちらかといえば保守的な頭ではあるものの声を上げるべきタイミングで声を上げるということに躊躇っている状況ではないと感じた。ぶつくさ文句を言ってても始まらないのだ。
幸い、自分の今就いている業界に関しては今回の影響はマイナスにはならない。むしろプラスというか、必要不可欠な部分もある。業界の旧態依然とした働き方やいつまでも先手を取って動くことのできないもどかしさを感じながらも我々の社会的意義は生産し続けることだと強く思う。頭の片隅で、自分の楽しみである音楽やアウトドアに目を向けつつ自分のできることをまずはやらねばという思いが強い。
何ができるのか?という永遠にも続くような自問自答に対して答えは一向に浮かばないので、取り急ぎバンバン金を払うようにした。馴染みの店には現金で。対した稼ぎではないが少なくともこの騒ぎで影響を受けない範囲で、なんとか回して、あわよくばそのうち戻ってくればいいというぼんやりとした考えである。
200404
ZOOMで会話しながら #MU2020 を観た。
正直今まで、配信イベントとか投げ銭に対してそこまで興味がなかった。MOGRAがやってるのは知ってたし、遠隔イエーガーとか見てて面白いなと思ったことはあるけど自分の生活には必要では無かったし、何もきっかけがなければ観なかっただろう、と今回思った。
少し前からフジロックも一部のアーティストを配信するようになって #おうちでフジロック みたいなタグが生まれていたり、コーチェラの配信をのぞいたり、音楽イベントの配信というのはそれなりに市民権を得てきたタイミングなのか、と思ったりもした。MOGRAに関しては以前からやっていたことであるし、DOMMUNEなんかもそう、元々こういった文化に触れていた人からすればそこまで新鮮味がなかったという意見も頷ける部分がある。
ただ、今回なぜ自分が楽しかったかというと、そこには確かに現場があったからなのではないか。
当日は今セキュリティホールでやんややんや言われているZOOMで主に名古屋の人たちと遠隔飲み会をしながらの視聴。みんな画面の中で踊ったりいつの間にか寝落ちる奴がいたり(家だから)、全く喋らない人もいたりで意外と楽しかった。これが毎日がいいとは言わないけど。あと、投げ銭システムは知ってる人の名前が出てきたりするとやはり楽しい。別件だけどshin sakiuraのリリーススタジオライブのときに思ったのは、金額と名前が出ることのプラス面とマイナス面。
名前と金額が出ると射幸心みたいなものが煽られて、どんどん投げてしまう人もいるだろうなと思った。これはクラブで酒を奢る感覚と同じ。あと、YouTubeのスパチャとかではマウントに使われてそうだなと思った。これは完全な偏見です。マイナス面としては、例えば今みたいな状況で収入が、、とかバイトが、、、みたいな人たちが後ろめたさみたいなのを感じることもあるのかなと思ったりした。この辺は議論してみたい。
一晩を終えてみて、抱いた感想はやっぱ現場やな、ということ。どうしても現場でできない、行けない、今みたいな状況なら仕方がない。
でも結局、体を動かしたいし、自分にとってライブやクラブというのは身体的な体験を伴う空間であることに違いはない。このまま隔離分断が続いて、半年も現場を感じることできなかったら自分はどうなってしまうのだろう、と若干の恐れを抱いた。
200413
26歳最後の日は爆弾低気圧に関東が襲われ、大雨だった。
土日とも人とずっと喋っていたのであまり家にいた感覚がない。これも慣れると危ないなと思っていたところ、会社で俺は自粛してねえぜみたいな話を聞いて気持ちが地に落ちてしまった。我々はインターネットの外に出なければいけないのかもしれない。
帰り際、スーパーへ買い物に行きたいなと思っていたけれど、あまりにも雨風が酷いので大人しく家にまっすぐ帰る。いつもならもう少し散らかっている部屋は、ずっと家にいるため幾分整っている。低気圧のせいか、冒頭の話のせいか気分は落ちたままで、少しNujabesとShing02のmixを聴いてから無音の部屋に戻す。雨音と、自分が起こす衣擦れの音くらいしか聞こえない部屋になる。
0320の日記を少し見返して、自己嫌悪に陥る。あの頃は自分も考えが甘かった、と思うし過ぎたことだ、とも思う。もう少し楽観的に生きたいなと思うことはあるけれど、一人になったときにネガティブに振ってしまうのは思考面では嫌いではない。
家にいることが多くなったせいか、服を欲しかったはずなのにアナログシンセを買ってしまったりDJコントローラを新調(と言っても古いものを譲り受けた)してしまったり余計なものを買ってしまった。今はcontaxT2が無性に欲しい。自分へのプレゼントとして買ってしまうべきか、いや落ち着けと思う部分もあり、もう少し悩むことにする。
都内に足を運ばなくなり、音楽イベントにお金を落とさなくなったが、交通費も含め浮いたはずのお金は各所へのクラファンや投げ銭で消えていった。こういうときにあまり難しく考えるのはやめて手の届くところから、と思って最初は投げていたけど、だんだんとあれもこれもとなってしまい、若干の疲れがある。毎週のように開催される配信イベントも、家での時間を奪われるようでなかなか難しいものがある(じゃあ観るな、という話ではある。あるのだが)。
自分をコントロールする、ということがうまくいっていただろうか。
読み返してみたが、全く成長していない。言ってることは変わってないし行動も大して伴わないまま歳を重ねそうだ。両親が結婚し、自分を産んだ歳になると考えるととても感慨深いが、同時に怖くなる。今日は少しネガティブに過ぎるな、と思い湯船に湯を張ることにした。
テキスト:シガ
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編集:koharu(クラブと生活)