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移住したからこそ広がった世界。異能のチームで”創る”こととは。

不動産、建築、デザインを軸に事業を展開しているクラシカですが、蓋を開けてみると、ウェブ制作や創業支援、動画制作、ライティングなど業務は多岐に渡ります。

社内にいても、「あれ、こんな仕事もしてるんだ」と思うことがしばしば。

それも、多様なバッググラウンドを持つ個性的なスタッフが在籍しているからこそです。


そんな「個性的なスタッフをもっと知ってもらいたい!」という思いで、インタビュー企画をスタートしました。

今どんな仕事をしているのか、積み重ねてきたキャリアや、クラシカと出会った経緯、これから挑戦してみたいことについて聞きながらメンバーの魅力を深掘りします。


クラシカのヘッドデザイナーである除村さん(通称:むーさん)。むーさんは、デザイナー兼イラストレーターですよね。元々デザインに興味があったんですか?

元々は絵描き志望でした。幼少期に母親がサインペンでイラストを描いて見せてくれたのが自分の中で衝撃的な出来事で。白い紙の中に自由に世界を創るという原体験から、絵描きになりたいと思うようになりました。学生の時はノートの切れ端に落書きをしたり漫画を描いたりしてました。

すごい!そんな小さな時の体験が今に繋がってるんですね。

高校3年間は応用デザインっていう、アート関連なんでもありの学校へ進学しました。はじめから「作家になりたいな」という気持ちもはっきりしたものではなくて。短大に進学したものの、「若い自分には、表現して人に見せたいと思うものはない」と思ってそっちの道はは置いておこうと思いました。でも卒業したあとに、どうやって生きていけばいいのかは全くわからなくなりましたね。


そうだったんですね。そこからはどういう道に進んだんですか?

当時は三重県の鈴鹿に住んでたんですけど、その辺りって車関係の仕事か農業ぐらいしか仕事なくて。どっちも想像できないなぁって思ってたら、あるとき求人に一つだけコピーライター募集って書いてあるのを見つけたんですよね。

コピーライターですか! てっきりデザイン事務所に入っていたのかと。

そこに行ったら、「絵がうまいから」ってよくわからない理由で採用されて(笑)。でも結局は営業をしないと企画もコピーも書けないって言われて、イベントの企画とか広告の原稿を書いたり、デザインしたりしてました。Macを独学で使い始めたのもこの頃です。


全然コピーライターじゃない!(笑)

なんでもやってましたね。で、その会社にいたときに、当時、鈴鹿短期大学に佐治晴夫さんというとても著名な博士に出会う機会に恵まれたんですが、先生が話すことがいちいち面白くて。かなり年上のはずなのに自分よりも純粋で本質的。すごく楽しく話される姿をみて、「こんな生き方でないと生きてる甲斐がない」ってすごく感じたんですね。それが転機のひとつになって、名古屋のデザイン事務所に籍を移しました。


人との出会いで人生が豊かになっていくことはありますよね。

その後、東京に出向して、ナショナルカンパニーとかの仕事をやらせてもらったりしていましたが、市場は広くなった気はしたんですけど、やっぱり広告の世界は狭い。限られた業界の中で創り続ける日々に限界を感じました。ここが第2の分岐点です。

次はどんな転機だったんですか?

糸井重里さんが代表を務める「ほぼ日」が従業員募集をしてたんです。結果的には落とされたんですけど、糸井さんにお会いできる機会があって。名刺を出したんですが、すごく嫌だなって痛感して。代理店で請け仕事をしているだけの自分のような人間が、ゼロからものごとを組み立てるような糸井さんに名刺渡していいわけないなって感じました。肌をそれを感じることができて本当に良かったと思います。そこから紆余曲折あって、体を壊したのもきっかけに、一旦広告から離れようと 40の時に退職しました。


名刺を渡しながらそんなことを・・・。それから大分移住ですか?

そうですね。その頃、奥さんと竹田市に遊びに来たのをきっかけに、いろんな方と知り合いになって、大分移住を考えるようになりました。

もう大分に来てどのくらいになりますか?

6〜7年くらいになるかな。竹田に住みたかったんだけど、家がなくて。それで大分市内で探そうってなって調べてたら、1つだけ頭抜けて個性的な部屋を見つけたんですよね。それが森岡さん(クラシカ代表)が手がけてた部屋だったんですよ。その話がどこからか森岡さんの耳に入って、「自分たちの作った空間が好きなんだったら、価値観もきっと合うだろう」と思ったみたいで、今につながっています。


家がきっかけで、入社されることになったんですね! クラシカではいろんなスキルを持つ人が働いていますけど、働く環境としてはいかがですか?

 どうやらやっぱり創ることは好きだとわかったので、一人で起業に挑戦してみましたが、あんまり面白くない。クラシカが異能集団だからこそ違う感性を持つ人間同士で、そう言う可能性を模索していけることがすごくいいと感じています。しかもそれを年下とやれるっていうのがすごく幸せに思います。


作り手は孤独ですもんね。

そうなんです。自分が考えたものを膨らませていきたいという想いが根っこにあって。アートとか芸術でもそうなんですけど、それを見た人が何かを受け取って、自分の日常にちょっと広がりや膨らみっていう土壌が生まれて、なにかの違いを生んでいく、その積み重ねで世界が変わるっていうのは、頭の中だけで考えていると理解のできない世界です。毎日一緒に仕事をできる仲間がいることは本当に幸せなことです。

いろんなバッググラウンドを持つメンバーと作り上げる仕事が楽しいんですね! 今後クラシカで挑戦してみたいことはありますか?

ギャラリーを会社の中で作るという議題があって、僕のこれまでの土台にしてきたものを活かす一つの方向性だし、会社にとってもアートのような価値観を揺さぶる要素は必要なので、これからそちらの方向にも目を向け直して、学ぶことも必要だなと感じています。

以前、個人として作品を売ったり、展示したりというのは経験したことがありますが、一からアートについては勉強しなおしたいという気持ちになりました。それが自分の「創る」っていう行為に対してどういう 影響をもたらすか、それも面白そうだと思えるんです。

 

ギャラリーってその人の思考が出るじゃないですか。 どんな内容になるんだろうって思います。

個人でギャラリストをやるのとは違うというのが大切で、僕が一人でやったら前衛的にはやれるかもしれないけれど、たぶん続けていくことが難しくなると思います。

ここでも会社と仲間たちがいるからこそ持っている世界観があって、この会社の事業は全てそこから派生した中で生まれてきているので、それを土台に面白い取り組みにしていきたいですね。


ギャラリー楽しみにしてます! 


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