クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.33
米国で”地上最大のショウ” リングリングサーカスのブルーユニットに入団したエリザベス! 今回はサーカスの団長「リングマスター」についてつづります。
サーカスと言えばリングマスター(前編)
128thエディション「サイドショー」ツアーのリングマスターは、ジム・ラゴナ(Jim Ragona)。リングリングサーカスの声として良く知られた彼はコネチカット州のブリッジポート市(Bridgeport, Connecticut)出身です。面白いことに、彼が生まれた場所は、アメリカのショーマンで有名なP.T.バーナムが過去に住んでいた家から正確に27歩歩いたところだったそうです。
ジムの少年の頃の夢は、いつかサーカスで人間大砲のアクロバットになることでした。演劇に魅かれた彼は、ニューヨークを拠点とする演劇のサマーキャンプに何年もの間参加し、ついに彼はシカゴに移り、そこで有名なグッドマン演劇学校で演技の学位を取得しました。1982年リングリングサーカスのリングマスターのオーディションを受けることになりました。そして、こんなにリングマスターの役にピッタリマッチした声を持つジムを発見したことはリングリングサーカスにとっても大きな驚きでした。その後数十年間、ジム・ラゴナはリングリングサーカスのブルーユニット(Blue Unit)のリングマスターのポジションを獲得し、伝説のリングマスター、フレッド・ブラドナ(Fred Bradna)やハロルド・ロンク(Harold Ronk)に匹敵するほどの安心感と威厳を持ってサーカスの公演を通して観客を導いていきました。
フレッド・ブラドナは元ドイツ騎兵士官で42年間リングリングサーカスの一員でした。最初は馬術部長としてスタートし、その後リングマスターに昇進し、その称号を12年間保持しました。彼はリングリングサーカスが1944年コネチカット州のハートフォード市公演時の火災の時リングマスターとして働いていたそうです。
ハロルド・ロンクは、1950年にリングリングサーカス初の「歌うリングマスター」として入団し活躍し約30年もの間「サーカスの声」として有名になっていきました。
サーカスの視野を広げることに常に熱心だったジムは、1994年リングマスターのスポットライトから離れ、リングリングサーカスのレッドユニット(Red Unit)のパフォーマンスディレクターに就任しました。その1年後、制作兼タレントコーディネーターという新たなポジションに就き、リングリングサーカス「The Greatest Show On Earth」の今後のエディションに向けたディスプレイを求めて、当時の制作兼タレント担当副社長のティム・ホルスト(Tim Holst)を補佐しながら100万マイル以上旅しました。ジムは今回のブルーユニット128thエディション「サイドショー」ツアーにリングマスター兼パフォーマンスディレクターとして戻ってきて、再びサーカスの声を担当できたことにこれまで以上に幸せを感じていたそうです。
ジムはこう言っていました。「自分がやっていることは一つの仕事だけれど、リングマスターから離れるまで自分がリングマスターであることがどれだけ好きだったか気づきませんでした。戻ってきた今では他に居たい場所は考えられません。これは世界で最高の仕事です。」
続く。。。
書いたのは、
エリザベス
1990年クラウンカレッジジャパン2期卒業生。7年間日本でクラウンとして活躍後、渡米。アメリカとカナダのサーカスで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカのサウスキャロライナ州在住。