クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.22
エリザベスは米国でリングリングサーカス”地上最大のショウ” ブルーユニットに入団! 今回はザ・キロスについて綴ります。
リングリングサーカスでの経験で面白かったのは、世界一流のアーティストと知り合いになれたことです。
ハイワイヤーアーティストの一座のザ・キロス(The Quiros)は、生計のために死に立ち向かっていると正直に言い切れる希少なアーティストと言えるでしょう。キロス家は長いキャリアを持つサーカスパフォーマー一家で、スペインのマドリード出身。この家族の一員である3兄弟、ロバート、ヴィンセント、エンジェルが今回のハイワイヤーアーティスト達です。彼らはキロス家5代目のサーカスアーティストで、同親族である曲芸師、動物調教師、そしてクラウンの子孫でもあります。彼らはハイワイヤーアーティストとしての恐るべき才能は家族のおかげだと思っています。彼らがもう一人のブラザーと呼んでいるリネイもハイワイヤー熟練者。彼はアヤラ家のヘアーハンギング姉妹の兄妹で1992年にハイワイヤーアーティストとしてキロス一座に加わります。ヴィンセントはこう言います。「僕たちはいつも全員一体になってアクトをしている。だからお互いに何を考えているのか、何を感じているのか相手に聞かなくても感じ取れることができる。非現実的だけどね。」
リングマスターが彼らを紹介すると4人はスペインの情熱的な音楽に乗って闘牛士のコスチュームを身につけて登場します。真っ白いエレガントなブラウスにスパッツ。アクセントに紫がかったスパンコールと闘牛士が身につける濃いピンクのハイソックス。おとぎ話の王子様のような4人の騎士のアクトの始まりです。バランス用の長いポールなしでフロアーから本ステージのハイワイヤーまで急傾斜のワイヤーを登り歩いていきます。実はこれだけでも難易度が高い危険な芸なんです。観客はこの時点からアクト終了時までハラハラドキドキさせられることになります。キロスは空中30フィート(約9メートル)の細い綱線上で演技をします。万が一のためのセイフティネットなどの安全装置は一切ありません。キロスは難易度の高い技を一つ一つは超人的な速さで成し遂げていきます。まるでタンゴを踊るように鋼線の端から端まで軽い足さばき動いていきます。次は縄跳び。その後は二人のアーティストによる剣を使った決闘。世界で最も致命的な技と言われる高所馬跳び。ヴィンセント、エンジェルそしてリネイが鋼線上に隣り合わせに座り、その上をロバート・キロスが飛び越えていきます。ヴィンセントはこう言います。「鋼線上で3人を飛び越える高所馬跳びができるのはロバート以外にはいない。」クライマックスは3人間ピラミッド。ヴィンセントとエンジェルがそれぞれ自転車に乗り、その間に橋の様にかかっているポールの上にロバートが椅子の上でバランスを取り続け、その間2台の自転車は鋼線上を端から端まで渡っていくというもの。無事に渡り終えた後、4人の闘牛士達は大きな笑顔で誇り高いフラメンコダンサーのようにポーズを決めて拍手喝采。観客もハラハラしながら彼らが失敗しないように見守り続け、最後は英雄を称えるように大歓声。
キロスのすごいところは、芸に終始一貫性があるところ。器用な人ならある程度新しい技を練習すれば人に見せられるほど上達し短期間であればステージでもプロ並みに演じることができるという様な人はたくさんいるでしょう。しかし、何十年もの間今日のショーのあとはまた明日、そのあとは明後日のショー、と限りなく何十年も続けていくだけのスタミナ、体力、集中力、精神力を保っていくのは並大抵ではないと思うんです。人間だから誰でも疲れる時もあるでしょうし浮き沈みもある。キロスは日々の自己のコンディションをコントロールしてパフォーマンスを最高の状態で毎回挑んでいつも同レベルのパフォーマンスを提供できる耐久性を持っているのは本当にすごいと思いました。どのようにして神レベルの力をつけることができるのか? 一緒に仕事を共にしてその方法がわかりました。答えは単にひたすら「練習」のみ。
当時私とスティーブは犬達と共に毎朝午前8時半のサーカスバスに乗ってサーカス会場のアリーナへ行きウオームアップや練習をしていました。アリーナには午前9時前に到着します。私達がパフォーマンスフロアーに向かっていくとそこにはいつもキロスがいてすでに練習を始めています。自分の身長よりずっと低い位置に設置された鋼線上で彼らはウオームアップや技の練習をしています。鋼線の上を高速で走ったり、時にはゆっくり歩いたり。またサッカー選手のウオームアップの様な膝を胸につく位曲げてするハイジャンプなど。皆もうすでに汗だく。練習中も特に大声をあげたりすることもなくとても静か。早朝から昼まで毎朝練習。ヴィンセントによると、彼らは小学生の頃から毎日父親と練習をしたそうです。ハイジャンプの練習は、父親が細い棒を高く掲げ、綱線上でその棒を飛び越えるという練習。高く飛べなくて棒に足が引っかかったりしたら棒で足を叩かれるというルールだったそうです。時々サーカスはキャストのためのパーティーを夜遅くまで催したりすることがありました。でもキロスは前の晩に何があろうと翌朝同じ時間にフロアーに来て練習。練習しなかった日は私が覚えている限り1日もありませんでした。当時彼らは冒険心一杯の若者で同世代のアーティストと一緒に思いっきり遊んだり気分転換にスケジュールを変えたかったりしてもおかしくない年頃だったけれど、そんなことは一切構わずただ淡々といつもの時間にアリーナに来てに静かに練習していた姿は忘れられません。エンジェルはこう言います。「セイフティネットなしで地上30フィートの鋼線上を超人的なスピードで走るためには100%確実に技が成功しなければいけないということさ。」
続く。。。
書いたのは、
エリザベス
1990年クラウンカレッジジャパン2期卒業生。7年間日本でクラウンとして活躍後、渡米。アメリカとカナダのサーカスで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカ在住。
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