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戦争はアカン

父親は広島で生まれ育ちました。
祖父は原爆ドーム(当時の産業奨励館)の地下で仕事をしているときに被爆しました。
地下だったので助かったけれど身体中にガラスの破片が突き刺さり、歳を取ってからも体から出てきて痛く苦しかったそうです。
火葬するために累々たる遺体を運び続けたそうです。
口数の少ない祖父でしたから、それらの話は両親から聞かせてもらいました。
毎夏8月6日平和記念日、式典が映されるテレビに手を合わせながら、「ぎょうさんの人が死んだんよ」とだけ語り、涙を流しながらただただお経をあげる祖母でした。
多くを語らなかったからこそ、その想いの重さを幼いながらも感じていました。
棚にあった熱戦で焼けた湯飲み、原爆ドーム、平和記念資料館、本安川、毎夏広島に帰るたびに戦争を感じていました。
自分が生まれた日が8月15日だからこそ、ますます感じていたのかもしれません。

人類はなぜ戦争をやめることができないのか。
いつも考えています。
僕はこの残りの生涯を馬を追究することに費やす覚悟です。
子どもたちもまた、これから、それぞれの人生を歩んでいくのです。
ノーベル財団が平和賞を日本被団協に与えたのはなぜか。
ただの労いではないはず。
自分の人生を見据える一人の人間として、教育者のはしくれとして、戦争反対と核廃絶の意思を、あらためてここに表明します。


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