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小説 「 七夕の夢、さめる頃に 」


…ああ、今日も騒がしい平安の一日が始まる。


秋雨がしとしと降っている。祭壇のような御殿には四位の小将の嘆く声がただ響くばかりである。
「あなたは、なぜそこまで孤独に、誰とも関わらず死なれることをお望みなのですか!?私には、私には理解できかねます!…なぜ!?そこまで!」
小将はそう言い平伏した。小町は黙って顔を伏したまま、少し開かれたような明るいほほえみをたたえ沈黙を楽しむように何も言わなかった。
「…あなたを、これほどに恋求めた者は、私以外に他にいましょうか⁉ 」
小町は答えた。
「いいえ、あなた以外に百夜徹して私に通い詰めるということを成した者はいません…あなたが、始めて…」
「ならば、なぜ!?」
「あなたには、あなたのことを大切に思われる方がいらっしゃいます…どうか、その方を…大切に…」
「私にはあなた以外に…」
「四つ葉のクローバーを探すために三つ葉のクローバーを踏み倒すようなことがあってはなりますまい…あなたは幸せにならねばなりません」
「それでも私は、私は…‼」
小将は言葉を失った。
なぜそうまでして小町が自分との婚姻を拒むのかが理解出来ない自分がいた。
小町は確かに百夜徹して通い詰めたならば夫婦のちぎりを結ぶと言った。
しかし、その約束は今、まさに真っ暗な闇に沈もうとしており、自分がそれを解せないというところが小将には納得ならなかった。
「ならば、なぜ?、なぜ私に百夜通いなどと言う希望を抱かせるのですか⁉ …なんで⁉ …ああ、ああ、あなたが憎らしい‼なぜ私はこんな感情を抱かねばならないのですか⁉ 」
「…それはあなたの恋心ゆえ」
「ならばそれは愛と…あなたがそう言って下されば報われること」
「いえ、私めには分りかねます…」
「ああ‼…これだから!恋と言うものはいかなる結末であっても喜劇と呼べるものなのですね!…そのことがようやく私めにも分りました!」
「それが分かる手助けになれたのは嬉しゅうございます…それが慰めでございますゆえ」
「ああ…ああ…この涙が、この秋雨のようにあなたの袖を濡らすことが出来、あなたの心を紅葉と同じように紅く染め上げることができたならば…どんなに私は心を得ることが出来るでしょうか⁉ 」
「紅葉はさびしゅうございます。…手のひらに収まるだけと言うものは」
「ならば!枝ごと我が物に!!」
「お気付き下さいませ。紅葉は手折らなぬからこそ美しいと言うことを…」
「きれいなものはみな労してつかみたいと、そう思うものが人のさがではございますまいか!?」
そう聞くと、小町は少し頬笑んだまま応えた。
「あなたは、だから私を理解できないのでございます」
小将はあっけに取られてしばし沈思黙考した。
「どういう事でございますか⁉ …」
小町は何か言ったが小将は断続的にしか聞き取ることが出来なかった。
「…淡い恋心は夢のようなもの。神は移ろいやすいもののみを美しく彩られたのにございます」
―そこで目が覚めた。
小将はうすら目を開けて右手からさし込んでくるほのかな朝の光を見つめた。
空気が澄んでいる。
小将は遠い昔を思い出した。
先程まで夢のなかで騒いでいた胸は静まり不思議な浄福に満ちていた。
訪れる歳月は喜びを多くもたらすが、去り行く歳月によって多くの喜びは目の前から遠ざかっていく。
夢はたまにそのような去っていった幸せであったであろう昔を思い出させてくれるので、そういう時は喜ばしいものに思われる。
きっとこの世には目に見えない鳥のような生き物が棲んでいる。
厳密に言えば人には知覚できない無意識下に働く力のようなものだろう。
しかし、小町殿はあの時なんと言っていたか…。
小将は目を閉じ夢のなかの自分の心持ちをもう一度手繰り寄せ夢を復元しようと試みた。

白い肌に、真っ直ぐ見つめてくる黒い瞳、長く細い艶やかな黒髪…自分が恋がれた小町がそこにはいた。
ああ、そうだった。あの時の自分は恋い、求めた。

―生きていた。

恐らくそれは永遠に自分をとらえ続ける感覚なのだろう。
「真の愛は水のようなもの、淡い恋心は夢のようなもの、神は移ろいやすいもののみを美しく彩られたのにございます」
その時、少将の頭のなかにはある考えと、それに追随する物語の残像が浮かんだ。
少将はそれを黙って眺め、溜め息を一つし思いを定めることにした。
心に広がっていくこの波のような何かを、掬うように、祈るように書こう。
人が書き作るものが一つの祈りに支えられるなら、きっと永遠を生きるだろうから。
今となっては報いようのない物語だが、救われないからこそ残せるものもきっとある。
小将は暫し考え、思い付いたように手紙を書くため筆を取った。


―今日は七夕。宵は晴れるであろうか。



挿絵「Prithee, grant pees of herte to 」

arahaさん↓↓

https://www.pixiv.net/users/4836258

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