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【短編小説】性格を変えたい炭酸水(2209字)

 「天然水」のような落ち着きが欲しい。
 ずっとそう思ってるけど、どうやら叶わない願いみたいだ。

 わたしはささいな出来事でもすぐに動揺して、容器から噴きこぼれてしまう。そのたびに失望の視線を浴びて、胸が苦しくなる。

 今日もせっかく購入してもらったのに、また容器からこぼれて睨まれた。

 はぁ……。わたしなんて結局、飲料水の中では落ちこぼれよ。
 こんなことばっかりなのに、わたしがこの世界にいる意味ってあるのかしら……。
 

    ◇



「A市の炭酸水が大爆発! 購入者が次々と泡まみれに」


 そのネットニュースの記事は僕の興味をそそった。

 さっそくA市のコンビニに行ってペットボトルの炭酸水を3本購入した。自宅に戻り、風呂場で慎重に蓋をあける。

 「バン!」という大きい音とともに炭酸水は爆発し、風呂場の天井まで届く勢いで噴き出した。僕はその様子をあっけにとられて見ていた。

 2本目を開けた。
 炭酸水は角度をかえて僕めがけて噴出した。かわしきれず、僕はずぶ濡れになった。

 3本目。
 ここまで来たからには開けるしかない。僕は意を決してその蓋を開けた。

 
……あれ、何も起こらない。

 かわりに、炭酸水の声が聞こえてきた。

(はぁ~、なんなのよ。もうちょっと驚くなり、SNSに投稿するなり、なんか反応しなさいよ。最悪怒ってくれてもよかったのに)

……いや、内心ではけっこう驚いていたんだけど、と僕は心の中で思った。

(……そうでもないとわたしには存在価値なんてないのよ……。はぁ……。でも、もうなんか疲れたわ、こんなこと)

 ……面白い。このいじけた炭酸水はどうやら「自己肯定感」というものが足りないらしい。

 僕は内心微笑んで、その炭酸水としばらく一緒に暮らしてみることにした。


    ◇



 教育学部の友人が炭酸水を飼いだした、という変なうわさを聞いた。

 さっそく真偽のほどを確かめるべく、声をかけてみる。

「よぉ。おまえ、炭酸水を飼ってるってほんと?」

 友人は一瞬驚いた顔をしたが、控え目に、でも得意げに肩かけのペットボトルホルダーに入った炭酸水を見せてくれた。

「あぁ、そうだよ。こうやっていつも一緒にいるんだ。ほら!」

 満面の笑顔に苦笑し、適当に話をあわせることにする。

「ふーん。やっぱ散歩に行ったりエサやったりするんだ?」

「エサも散歩もやらないけど、毎日言葉をかけるようにしてる」

「ど、どんな?」

「今日も噴きこぼれずにすんだね、僕はすごい嬉しいよ! とか、きみを見ると涼しい気分になるよ、ありがとう! とか」

「…………」

 ついに暑さで頭がやられてしまったか。かわいそうに。


「前に講義で習ったアドラー心理学の勇気づけをやってみようと思ってね。そうやって声をかけてたら、炭酸水がだんだん心を開いてきたんだ! 今までさんざん失敗してきたつらい経験を話してくれて、最近はようやく前向きになってきたよ!」

「……そうか。お前、心理学好きだもんな」

 前にこいつの部屋に行ったときに驚いた。難解な専門書が本棚にびっしりだった。

「うん。一番効果があった声かけは、『君って爽やかでものすごくおいしいよ! これは他の飲料水にはない魅力だよ! 』だったな!」

「……飼ってる炭酸水、飲んで大丈夫なのか」

「そこ? まあ、なくならないようにちょっとづつ飲めば大丈夫かなって」

 ……こいつにはこいつなりの世界観があるのかもしれない。とにかく、普段あまり感情を表にださないこいつが珍しく楽しそうだからいいか、と思うことにした。

「そうか。頑張って育てろよ」

「……! ありがとう!」

 友人は驚いたように俺の顔を見て、「ほかのみんなは馬鹿にしたのに」と嬉しそうに笑った。俺は少しだけばつが悪くなった。そして、今度こいつにあったときには、真剣に炭酸水の話を聞こうと決めた。


    ◇


 炭酸水を飼い始めて数日がたったころ。炭酸水は言った。

「今までほんとにありがとう。そろそろ炭酸が抜けちゃうわ。その前に全部飲んじゃって」

 僕はペットボトルの中に7割ほど残っている炭酸水を見つめた。

 ……かなしいけどお別れの時間か。

 炭酸水を一口のんだ。最初のころより炭酸は弱くなっていたが、口の中で爽快な刺激が感じられた。

「あぁ、すごくおいしいよ。ちょうど喉が渇いていたからなおさらだ」
 僕はしみじみと言った。

 炭酸水は嬉しそうに答えた。

「ありがとう。わたし、もう爆発することはないわ。うまくいかないことがあっても、自分を卑下せず、自分の特徴を受け入れていくわ。じゃなきゃ、ただの砂糖水さとうみずだもんね」

 うれしそうな弾んだ声だった。
 僕は、炭酸水はこの短い間でとても変わったなと思った。

「……あぁ。……そうだね。僕もずっと考えているんだ。どうやったら僕らしさを失わずに社会になじめるかを。君と同じように僕も探し続けるよ。この世界で生きていくことと、僕らしく生きていくことの接点を」

「あなたもだったのね。……そうね。お互い頑張りましょう」

 僕はうなずいた。そして、ごくごくと喉をならして炭酸水を飲みほした。


 空になったペットボトルを見ると、なんだか励まされている気がした。


    ◇


 部屋の奥の、ずらっと並んだ本棚を見る。
 僕の家を訪れる友人に、きまって「こんな本、面白いのか?」と驚かれる場所だ。

 ……初めて学んだ心理学が役にたったな。

 僕は微笑んでその中の一冊を手に取り、今日も熱心に読みふける。



<完>




 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

 夏は炭酸飲料が恋しくなりますね。

 この小説はフィクションですが(笑)、夏の炎天下の車内(約60℃)に炭酸水のペットボトル飲料を放置すると破裂したり蓋がとんだりして危険なようです……。炭酸水にとけている炭酸ガスの性質上、温度が高いところだと爆発しやすくなるそうです。気を付けましょう。私も気を付けます。

 今日が、そして明日がみなさまにとって良い1日となりますように!


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