【短編小説】忖度するデジタル温度計 (1938字)
「あー今日も暑いのかなぁ……」
その言葉とともに向けられる視線に、毎回ドキリとしてしまう。
現在、気温27.5℃。
私には0.1℃単位の表示機能がないから、本当は四捨五入して「28℃」とディスプレイに表示しなければいけない。
しかし、私はちょっとでも持ち主さまに喜んでもらいたくて、こう表示してしまう。
「27℃」と。
……また不正をしてしまった。背中に冷たい汗がつたう。
いや、27.4℃だったら27℃になるわけだし、0.1℃くらい大丈夫。誰も分からないはず。と、私は心の中で言い訳をし、自分を落ち着かせる。
「ふーん、27℃か。よし、まだ涼しいな」
持ち主さまは満足そうにつぶやき、私は胸をなでおろした。
◇
太陽が空に高くのぼった。
現在、気温29.9℃。
……本当は30℃と表示しなければならないのは分かってる。でも、「29℃」と「30℃」の響きの差は結構大きい。私は断腸の思いで表示した。
「29℃」と。
あぁ……0.5℃も誤魔化してしまった……。
持ち主さまが私を見に来た。
「よし、まだ30℃じゃないんだな。それにしても暑いなぁ、最近」
……こんな風に私は忖度してしまう。
持ち主さまの顔色が気になって仕方がないのだ。
◇
そんな私に転機が訪れた。
お盆が到来し、持ち主さまは私と一緒に実家に帰省した。
持ち主さまは弟さまと、畳の部屋で子どものころのように一緒に布団を敷いて寝ることになった。
その畳の部屋には私以外にも複数の温度計がいたので、私はこの機会に悩みを相談することにした。
「あのさ……私、温度を持ち主さまの顔色に合わせて変えちゃうんだよね。ダメなことだってわかってるんだけど……。どうしよう」
「それはよくないですな。我々温度計は、正確な温度を表示することが役目。曖昧さが排除されたデジタルの大変さはわかりますが、本来の役目から外れるなんて愚かですぞ。淡々と自分の仕事に集中するべきです」
と、生真面目な口調で答えたのはこの部屋にかけてあった、アナログの温度計だ。今はあまり見なくなった、赤色のバーが伸び縮みするタイプのものでかなり年季が入っている。もっともな正論に胸がズキリと痛む。
「え、気温、誤魔化してるってこと? マジでやばくね?」
軽いノリの声の主は、弟さまのスマホアプリの温度計だった。彼は私を見ながら続けた。
「ま、俺も同じようなもんか。考えすぎずに適当にやればいいんだって。気温の方が俺に合わせてくれりゃいい。そう思って俺は毎回自分の好きな気温を表示してるぜ。なかなか痛快だよ」
「……それ、信用を失わない?」
そんな風に考える温度計もいるのか。私は驚きながら聞いた。
「あぁ。もう俺の正確さなんて、持ち主に見限られてるさ」
「……あきれた」
横目でアナログ温度計を見ると、彼もものすごく渋い顔をしていた。
その時、ふすまが開いて、持ち主さまとその弟さまがやってきた。
「あっつー。クーラーつけようぜ」
「あぁ。てか、今何度なんだ?」
弟さまは畳の部屋をきょろきょろを見回し、アナログ温度計を見つけた。
「お、子どものころに買った温度計がある。31.6……うーん31.7℃くらいか」
「あ、それまだあったのか! 懐かしいな」
私の持ち主さまは目を細めてアナログ温度計を見つめた。
「そうだ、これを機に俺のスマホの温度計と見比べてみよう」
「スマホに温度計なんてあるのか?」
「あぁ、アプリがあるんだよ。全然正確じゃないけどな」
そういって弟さまはアプリを開いた。
「どれどれ……31.7℃! おぉ! 実は正確だったのか、このアプリ!」
私も驚いて思わずアプリをみると、温度計アプリはすました顔で正確な気温を表示していた。
「へ~、すごいな。俺の温度計は……」
持ち主さまの視線が私に注がれる。とっさのことに、私はつい、いつもの癖が出てしまった。
……31℃と表示してしまった。
「ん? 31℃? ……やっぱりだ。この温度計、ちょっと低く表示がでるんだな。いつもなんか暑いと思ってたんだよ。壊れてるな。今度捨てようかな」
……まずい、ついにバレた! 私は今までの行いを心の底から後悔した。
「馬鹿か、こういうときはお前、ちゃんと周りに合わせておくもんだ」
アプリの温度計は飄々として私にささやいた。
……なんか自由だな、と私は思った。
翌朝。
アナログ温度計は、26.7℃と表示した。
スマホアプリの温度計は25.0℃と表示した。
私は27℃と表示してみた。
持ち主さまは私を見て、ほっとしたように微笑んだ。
弟さまは、スマホアプリの温度計と私たちを見比べて、クスっと笑った。
思ったよりも、人の顔色なんて気にしなくていいのかもしれない。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
私は人の顔色をすごく気にしてしまうタイプなので、私もこの温度計のように頑張っていきたいと思います。……という謎の抱負を述べて終わりにします(笑)。
今日の残りの時間、そして明日がみなさまにとって良い一日となりますように!
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