11.第一次世界大戦とロシア
ロシア革命(1917-23)
二月革命、十月革命の二つの革命の総称
二月革命
⇒複合的な革命
1.農民革命(共同体を基礎とする農民の反地主革命)
2.労働者・兵士の革命
3.民族革命(抑圧されていた民族が、それぞれ組織をつくり自治・自決を目指す)
⇒ex)ウクライナ
これにより帝政ロシアを崩し、臨時政府を成立させる。
十月革命
・臨時政府は戦争(第一次世界大戦)は継続。またソヴィエトも存続
⇒二重権力状態
・11月 レーニン、トロツキーらはペトログラードで武装蜂起し政府を打倒
⇒ソヴィエト政権へ
・「平和に関する布告」「土地に関する布告」を出す
⇒民族革命、農民革命の追認
・平和に関する布告
敗戦国から賠償金をとらない無賠償(最近は無償金という表現が多い)、敗戦国を併合しない無併合、民族自決を原則とした即時停戦提案。
・土地に関する布告
地主の土地を無償没収。その後農民に分配。
ソヴィエト政権と戦時共産主義
・ウクライナ人民共和国宣言(1917.11)
⇒レーニン政府はこれを認めず軍隊を派遣
⇒民族革命と衝突
・ドイツとブレスト=リトフスク条約(1918.3)
⇒西部領土割譲へ
・1918年後半 事実上ボリシェヴィキの一党支配へ
⇒共産党が国家機構と一体化、野党は禁止
※ボリシェヴィキはレーニンを支持する革命的左翼。
内戦・干渉戦争
・対ソ干渉戦争(1918)
ex)シベリア出兵
※シベリア出兵というふんわりした名前だが内容は普通に戦争。実際ロシア革命への干渉戦争として認識されている。
・内戦 赤軍(ソヴィエト政府) vs 白衛軍(帝政派、リベラル派、社会革命党など)
⇒20年秋には内戦締結→ボリシェヴィキ勝利
・コミンテルン創設(1919.3)
⇒ロシア革命を世界革命へ
※コミンテルンは別名第三インターナショナルで、以前紹介した第一、第二インターナショナルが前身となる。
ちなみに日本共産党はコミンテルン日本支部。
ネップとソ連の成立
・1918-19ごろ 戦時共産主義(農民から強制的に徴発)
⇒農民革命と衝突
・1921.3 新経済政策ネップ 一致絵の範囲で市場経済復活
ex)農産物自由取引容認、企業の国有化など
⇒反乱は鎮まり国民経済は回復
・国際関係改善
ex)1922.4 ドイツがラパロ条約でソヴィエト=ロシア承認
※帝政ロシア→ソ連と思われがちだが、実際にはその間にソヴィエト=ロシアが存在する
・1922.12 ソヴィエト社会主義共和国連邦結成
まとめ
・ロシア革命=二月革命+十月革命
・二月革命は3つの革命の要素があった
・政府と3つの内2つの革命が衝突
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