学校の勉強は「必要ない?」「役に立たない?」「無くても生きていける?」
はじめに
「必要ない」「役に立たない」「無くても生きていける」は学校教育批判三銃士です。学校のせいで勉強嫌いになった人々が、学校教育批判をする際には必ずと言っていいほど登場しますし、それに対する学校教育側の応えでしっくりくるものを見た覚えがありません。学校教育について少し語らせて下さい。ちなみに私は現在の学校教育アンチ寄りです。
「必要ない」「役に立たない」「無くても生きていける」に対する応え
「必要ない」 $${\Rightarrow}$$ 何を持って必要とするのか分からない
「役に立たない」 $${\Rightarrow}$$ 役に立てようとしていないのでは?
「無くても生きていける」$${\Rightarrow}$$ 無くても生きていける
ここでは「高校・大学受験で使うから必要だし役に立つし無いといけない!」というのはもちろん省きます。
「必要ない」について
「必要ない」と言われると、何をもって必要とするのかが分からないというのが私の回答です。確かに「全人類に絶対必要か?」と言われるとそんなことはないと思いますが、多くの人にとってある程度の必要性があるものだと考えています。
しかし「必要ない」とまではいかずとももっと重要なこと、やるべきことがあるんじゃないか?と思うような単元があるのは確かです。古典とか漢文とかね。
余談
個人的には古典や漢文の時間数はもっと減らしてもいいような気がしています。古典や漢文を学ぶ意義として「日本人固有の感性について~」など様々な理由を挙げているシーンを見かけます。それ自体は確かに価値のあることかもしれませんが、一から古語や漢語ごと学ぶ必要性には繋がらないと考えています。つまり古語や漢語のままではなくある程度現代語訳された状態で、その内容などに応じて単語や時代背景の解説がある、というスタイルでも十分に達成しうる目標であるように思うのです。
そうでなくとも古典・漢文以上に重要な分野は恐らく山ほどあるでしょう。現代だとプログラミングとか倫理・哲学とか。これは古典・漢文なんて必要ないと言っているわけではなく政治・経済や倫理・哲学、理科、数学など時間の関係で泣く泣く削られてしまった重要単元が多くある中、わざわざ遠回りしてまで古典・漢文を学ぶ意味が本当にあるのか疑問である、という意味です。
「役に立たない」について
ダウトです。そんなことはありません。と言い切りたくなるほど私にとっては役に立っていますし、ほとんどの人にとって十分役に立つと考えています。例えば中学理科なんかはそのまま使えます。料理や掃除、夏の猛暑対策や冬の防寒まで様々なシーンで中学理科の内容が活躍します。また怪しい健康法やダイエット、筋トレサプリなんかも最低限中学理科の知識があれば嘘だ詐欺だと見抜けることも多々あります。
あとはデータの出所や単位、因果関係の不明な謎統計データやグラフなんかもよく目にします。「数字は嘘をつかないが、噓つきは数字を使う」と言いますが、嘘つきを見抜くためには正しい知識と理解が必要です。「騙されなにくい」というだけでも十分に価値はあるんじゃ?
「役に立たない」のではなく「役に立てようとしていない」もしくは「実践できるほど理解できていない」状態であることの方が多いような気がしています。これも学校での勉強やテストが丸暗記でなんとかなってしまうことの弊害かもしれません。
「無くても生きていける」について
その通りだと思います。実際、義務教育範囲ですら理解していない、覚えてない人の方が大多数だと思いますし、そういう人たちがみんな不幸になってるかといえばそんなことはないです。
使わなくても生きていく道はいくらでもあります。
まとめと余談
今回この話をしたのは、この三つがよく同じ意味のように語られていると感じていたからです。「無くても生きていける」=「役に立たない」ではなく、両者の間にはかなり大きなギャップが存在するはずです。無くても大丈夫だけどあったら役に立つというものは結構あると思うんです。
この論理の飛躍は少なからず議論している人の論理的思考力の程度や勉強に対する思い込みが現れるものだと考えています。論理的な思考は天才ではない凡人に許された非常に強力な技術ですから、ほとんどの場合使わない手はありません。磨いていきたい。
学校教育において文科省が意図している育成したい能力は、学習指導要領という難解極まりないふざけた文章として公にされていますが、中でもこの論理的思考力は、その軸となる能力の一つでかつ社会においてもトップクラスに役に立つ能力と言っていいでしょう。学校教育においては主に数学などで育成することを目指す能力であり、数学ほど具体・抽象の程度別に学ぶことができる分野も珍しいので、これだけでも十二分に価値があるんじゃないでしょうか。
まあ「別にやりたいことや進路を既に決めていて、それを目指すために勉強よりも大事なことがある」のように、きちんと考えた上での取捨選択であれば問題はないと思います。
例えばオリンピック選手を目指すとか、イラストレーターを目指すとか、プロゲーマーを目指すという時に、勉強している時間も練習に使いたい!という動機のもと、きちんとメリット・デメリットも考えた上での判断とかでしょうか。
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