14.戦争恐慌とファシズム諸国の侵略
世界恐慌とその影響
世界恐慌と原因
世界恐慌:1929年、アメリカでの株価の大暴落に端を発した世界的な経済不況
※株価暴落の原因については現在でもいくつかの説が存在するようである
1.一般国民の購買力が大量生産された製品を買い支えられるほど強くなかった
⇒所得が富裕層に集中していたおり、バランスを崩し易かった
2.政府が十分に経済をコントロールできなかったために悪化
3.当時の世界経済の過度なアメリカ依存
ニューディール政策とブロック経済
ニューディールがもたらしたもの
1.連保レベルへの権力の集中。特に大統領権限と行政機能の拡大
ex)大統領府や大統領補佐官の新設
2.一定程度の福祉国家化
ex)失業や年金制度成立、労働者の権利教科
3.民主党支持のニューディール連合成立(南部白人・労働者・黒人・農民・低所得者層・中産階級など)
⇒黒人の支持政党の変化 共和党→民主党
※それまで、黒人や南部白人は奴隷解放宣言を行ったリンカーンの所属する共和党を伝統的に支持していた。
ここから民主党の長期的優位がしばらく続く
満州事変・日中戦争と中国の抵抗
山川教科書の日本史と世界史の記述の違い
世界史
満州事変を受けて中国が提訴
→リットン調査団が派遣
→調査団が日本に厳しい報告書を提出
→反発した日本が国際連盟脱退
日本史
満州事変を受けて中国の提訴と日本の提案
→リットン調査団が派遣
→調査団が日本・中国双方に妥協的な報告書
→反発した日本が国際連盟脱退
※日本が中国に持つ利権の正当性や中国の荒野開発における功績を認めた上で、今回の満州事変について自衛権の発動とは言い難いというような内容が含まれていた。詳細はこちらリットン調査団 - Wikipedia
満州事変はドイツ・イタリアの先例になったのか?
満州事変をワシントン体制への揺さぶりと捉えて、その後の日本の国際連盟脱退までを含めてのちに同様の流れで国際連盟を脱退するドイツ・イタリアの先例をつくってしまったという説がある
・欧米諸国は当時日本に積極的な対応をしない「対日宥和」政策を取っていた
⇒日本にソ連に対する防波堤としての機能を期待していたため
またこれは、1930年代後半のドイツ・イタリアへの宥和政策の原型になったとされている
・1933.3 日本 国際連盟脱退を通告
⇒国際連盟の制裁前に率先して脱退
⇒ドイツに先例を与える
・満州事変の「成功」に刺激
⇒イタリアがエチオピア侵攻
ナチス=ドイツとヴェルサイユ体制の破壊
ナチスに関する誤解
①ヒトラーは選挙で選ばれた国民意見の体現者
・ヒトラーが首相になったのは、選挙で選ばれたからではなくヒンデンブルク大統領が任命したため
・ヒトラーが首相になったのは第7回議会の後。ヒトラーの率いるナチ党が最大の議席数を持っていたのは第6回議会の時であり既にピークを過ぎていた。さらにナチ党は国会第一党とはいえ、全体議席の三分の一ほどの議席数で、連立していた国家人民党と合わせても過半数に満たなかった
※任命後の第8回議会では大きく議席数を伸ばすがこれは国民の支持と権力の行使と明確に区別することが難しいとする説もある
②ヴァイマル憲法(当時のドイツの憲法)は破棄された?
・破棄はされていない。しかし。全権委任法により国会の立法権を政府に移し、首相は国会審議を経ずに、予算案などを含めたすべての法律を制定可能になっている
・全権委任法によると、新たに制定された法は「憲法に背反できる」ため、そもそも手間をかけて憲法を破棄する必要がなかった
⇒憲法の形骸化
※「憲法に背反できる」とは、憲法に反することを書いていても問題ないという意味。多くの立憲国家において憲法はその国の最高法規であるためその下に位置する法律が「憲法に背反できる」というのはなかなかやばい
枢軸国は一枚岩?
枢軸国:アルバニア,ブルガリア,フィンランド,ドイツ,ハンガリー,イタリア (のちに脱落して連合国側に参加) ,日本,ルーマニア,スロバキア,スペイン,タイの諸国(コトバンクより)
・1937.11 日独伊三国防共協定
⇒枢軸国陣営の誕生
一方で、
・日独防共協定(1936)締結後も、ナチス=ドイツは中国に軍事顧問を送り兵器を輸出
⇒日中が喧嘩しないようになんとか仲を取り持とうとしていた
⇒もともとドイツは中華民国時代の中国と仲良し
・日中戦争で日本軍が戦った中国人部隊はその多くが、ドイツ人軍事顧問による訓練を受け、ドイツ製の武器を使っていた
⇒なんちゃって日独戦争
※このなんちゃって状態は日中戦争初期のみであり、後にドイツは対日関係を重視し中国から引き上げる
まとめ
・世界恐慌がアメリカの政党優位を変えた
・満州事変がヴェルサイユ=ワシントン体制への挑戦のきっかけとなった