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「名探偵を夢見て」第30話
神谷の助けで病院にたどり着いた俺は、丸二日間ぶっ倒れた。さすがに今回は身体が限界を迎えたらしい。まあ、あれだけ連続でやりあったんだからしょうがねえ。
翔太と深山は毎日見舞いに来てくれた。神谷や山田、高野さんも顔を出してくれた。罪滅ぼしのつもりか、神谷は妹が載ってる雑誌やグッズを置いていった。気持ちはありがたかったが、正直扱いにかなり困った。
入院三日目の夕方。
「ふむ。神谷アイリは整った容姿をしているが、あまり人気が出そうなタイプではないな。神谷兄もこれ以上は過剰な心配をせず済みそうで何よりだ」と、深山はティーンズ雑誌をパラパラめくりながら、極めて失礼な発言をした。今この場に神谷が居合わせなかったことに心の底から感謝した。
「俺は悪くねえと思うけどな」と一応のフォローを入れると、「海斗はこういう女子が好みなのか?」と返ってきた。めんどくさいから回答は控えた。
「それより、佐藤さんと話してくれたんだよな? 何て言ってた?」
「佐藤さんは我々と会った翌日から、少しずつ上司や同僚たちに志帆さんとの距離を縮めるよう、呼びかけてくれていたらしい。あとちょっとのところまで来ていると言ってた」
「マジかよ。佐藤さん、すげえな」
「うむ。叶課長からは反発されたが、気合いで言い負かしたそうだ。佐藤さんは最初の一歩を踏み出したら強いタイプなんだろう」
そんな人だから、俺たちに協力しようって思ってくれたのかな。あの日、深山が佐藤さんを見つけてくれてなかったら、こんなにもスムーズに事は運ばなかった……どころか、何もうまくいってなかったかもな。
「元々みんな志帆さんのことが気になってはいたそうなんだ。北川さんが言ったとおりだったな」
「で? その北川さんはどうなった?」
「どこかの公園近くで屋台を構えるそうだ。どこの公園かは教えてもらえなかった。我々が知ったら、どうせ志帆さんに教えようとするだろうと言われた。それでは意味がないんだそうだ。彼女が自分で気づいて、答を見つけて、初めて意味をなす。北川さんはそういっていた」
「確かにそうだな。ってか、姉貴に直接教えても、あの人は北川さんに会いに行かないかもしれねえ。そういう性格だってことも、北川さんはわかってくれてんだよな」
「複雑だな。ちなみに、店は今週末には開くそうだ。以前から契約等は済んでいたが、パンケーキの型の完成と、神谷の件の片がつくまで待っていたらしい」
「そうか。あとは姉貴が北川さんを見つけられるかだな」
「そうだな。そこは我々には手出しできないところだ」
話が一段落ついたところで、俺のスマホが着信音を鳴らせた。おふくろだ。明日退院だってさっき連絡したから、その返事だろうか?
チャットを開くと、思わぬメッセージの衝撃に脳震盪を起こしそうになった。その様子を見ていた深山が心配そうに声をかけてくれた。
「どうした海斗? 何か問題か?」
「深山……。姉貴が……」
「姉君がどうした?」
「姉貴が、週末にうちに来るらしい! やべえぜ、退院したら急いで大掃除だ!!」
・・・
その週の土曜日、予定どおり姉貴は家に来た。俺が入院したと聞いて、心配して来てくれたそうだ。見舞いには来なかったくせに……そう思いながらも、胸が熱くなるのを感じた。たまには入院するのも悪くねえな。
久しぶりの家族団欒を楽しんだ。まだ家にいた頃、姉貴は親父ともおふくろともよく揉めてた。頻繁に起こる口喧嘩を聞いてるだけでうんざりしたもんだ。でも、今みたいに、たまに会うと仲良いんだよな。多分、ずっと一緒にいるのがダメなんだろ。そういう相性ってのはあるもんだ。
夕飯を食べ終えると、姉貴は帰ると言い出した。うちにはまだ姉貴の部屋が残ってるが、泊まっていくことは稀だ。この人はほんと、落ち着いて家にいたことなんて、ほとんどねえ。
相変わらずだなと思いながら、「駅まで送っていってやるよ」と申し出てみた。姉貴は「めずらしいね」と驚きながら、「ありがとう」と言ってくれた。
駅まではわずか十分弱の距離だ。あっという間の時間だが、最初の数分間は何を話したらいいのかわかんなくて、無言で過ごした。俺たちは元々会話が多い姉弟じゃねえんだ。
いや、ガキの頃はそんなことなかった気もする。いつからこうなっちまったんだろうな。
「お見舞いに行けなくて、ごめんね」と姉貴が言った。
「なかなか仕事抜けられなくて……」
「気にすんなよ。そう思ってくれてるだけでも嬉しいってもんだ」
「えっ?」
「な、なんでもねえよ! 忘れてくれ」
早足で歩きたくなったが、タイミング悪く、横断歩道の信号が赤に切り替わった。まったく、空気が読めねえ信号機だぜ。
「海斗……。なんか、変わったね」
「そうか?」
「表情も言葉も、優しくなった気がする」
「そんなことねえと思うけどな」
「自分じゃわからないのかもね」
そう言われてもよくわかんねえ。なんだろうな。目標ができたからか? そういうのはドラマやマンガの中でだけ起こることかと思ってたが、案外人生もそういうものなのかな。
「なあ、姉貴」
「なに?」
「姉貴には夢とか目標ってあるのか?」
「うわ。海斗の口からそんな思春期真っ只中なセリフが出てくるなんて……」
「そういうのはいらねえよ! で、どうなんだよ?」
「夢かあ」と姉貴が呟く。声の感じも体型も、深山にちょっと似てる。まあ、姉貴はあんなボサボサ頭じゃねえけどな。
「夢は特にないよ。でも、もっと色んなことを知っていって、正しく生きていきたいと思う」
「お、おう……」
正しく、か。北川さんや佐藤さんが言ってたように、この正しさの押しつけが周りとの軋轢ってやつに繋がってるんだろうな。俺は今でも姉貴は間違えてねえと思う。これは変わらねえ。でも、それが生きづらい性格だってのも、今はわかる気がする。
信号が変わって、駅が見えてきた。お別れの時間だ。
送ってくれてありがとうと姉貴はまた礼を述べた。俺は無言で手を振った。姉貴は小さな背を向けて、改札へと歩いていった。これで俺の役目は終わりだ。後はただ、姉貴の幸福を祈るだけだ。そう思った。
だが、不意に言葉が口から飛び出した。
「姉貴、パンケーキは好きか?」
「え? パンケーキ? 嫌いじゃないけど、あまり食べないよ。持ち歩けないし」
予想どおりの回答に思わず笑みがこぼれた。そうだよな。やっぱこの人は、俺の姉貴だ。
「そっか。変なこと聞いて悪かったな……」
少し溜めた後、もう一言投げてみた。
「でもよ、そのうち食べたくなるかもしれねえぜ」