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「夢のパンケーキを求めて」第2話
押し寄せる人波と熱波を潜り抜け、地図アプリが示す地点に到着した。
どう見ても、ドーナツ屋さんだ。それも有名なお店だ。いつだったか、同僚たちが動物を模ったこのお店のドーナツを大絶賛していた。
犬、猫、うさぎ、ブタなど、動物の種類はバリエーション豊富で、それぞれに異なる味付けが施されているらしい。店員さんもとてもフレンドリーなのだと聞いた。
いつかは行ってみたいと思っていたドーナツ屋さんが、今目の前にある。パンケーキに負けず劣らず、ドーナツは美味しい。大好きだ。
だけど、今日はパンケーキを求めてここにきた。
初志貫徹。ドーナツ屋さんは、また今度入ろう。
・・・
地図アプリで店舗住所を確認すると、パンケーキのお店は同じ建物の地下にあるということがわかった。
よく見たら、ドーナツ屋さんの看板に隠れて、パンケーキ屋さんの小さな看板が立てかけられていた。その横には地下へと続く階段がある。
場所の確認ができたので、最寄りの駐輪場まで移動して自転車を停めた。
存在感に乏しい看板の有意性に疑問を持ちながら階段を下りていくと、目立つ看板など不要とばかりの繁盛ぶりが目に飛び込んできた。狭く長い階段の中頃から、たくさんの女子が華やかな列を成している。
待ち人数は十名程度、おそらくは三、四組ほどと思われた。それなりの待ち時間が予想される。店内に待ちスペースがある場合は、さらに進行が緩やかになるだろう。
でも、構わない。
この位置からでも、店内の賑やかな談笑が耳に届いた。甘いものは人を幸せにする。自分もその幸福を享受したい。
期待に胸を膨らませて、希望に満ちたキラキラの列に加わった。
・・・
待っている間、お店の公式サイトやInstagramに掲載された写真の数々に目を輝かせた。
オーダーが通ってから作り始めるというパンケーキは、黄金色のコロッケのように可愛らしく膨らんでいる。
ぱかっと開かれた断面の写真を見ると、まるで小さなオムレツのようだ。トロトロしていて、ふわふわで、すごく柔らかいというレビューが多数あった。
強い興味を惹かれる一方、これが夢で見たパンケーキなのかといえば、正直まったく自信がない。
トロトロふわふわなパンケーキなんて、食べた記憶がない。体験したことがないものでも、夢で見ることがあるのだろうか。
いや、ある。普通にある。知らないはずのことを、あたかも知っているかのようにふるまう夢を、これまで幾度となく見てきた。
夢は就寝時に行われる記憶の定着化の際に見るものだと聞いたことがある。だから、暗記系の勉強は就寝前に行い、その暗記の復習を頭がスッキリして集中力がある起床後すぐに行うと効率が良い。先輩からの受け売りだ。
そんな夢の中で、見知らぬパンケーキを食べるというのは不思議なことな気がする。
もしかしたら、これが集合的無意識というものなのだろうか。誰もが無意識の奥底に持つとされる、普遍的な元型。
異なる文化や時代の中でも、人は共通した認識を持っている。各国、各派の神話や寓話に共通点が多いのは、人類が普遍的かつ典型的な元型を無意識の深層で共有しているからだ。
集合的無意識について、正確に理解できているか定かではないが、以上が自分なりの解釈だ。
つまり、トロトロふわふわなパンケーキは全世界中の人々が意識の深いところで夢見る、愛しい幸せの象徴なのかもしれない。人が甘いものを食べて感じる幸せの背景には壮大なロマンがある……そんな気がまったくしないでもない。
あ、でも、甘いものが好きではないという人もいる。何にでも例外はあるが、ここでマジョリティとマイノリティを持ち出すのは些か乱暴に過ぎるだろうか。
そんなことを考えているうちに、自分の番が回ってきた。店員さんが小さなテーブル席に通してくれた。
お店の名を冠したパンケーキを追加トッピングなしで注文した。ドリンクも頼まない。
パンケーキ。ただそれ一点に、全ての神経を集中させる。
メニューには、オーダーからパンケーキができあがるまで約二十分かかると記されていた。店内は強めに冷房が効いていて、肌に浮かぶ汗が少し冷たい。
お冷を口に含み、周囲を見渡す。
パンケーキ専門店だけあって、内装はかなりガーリーだ。客層も九割が女子。隣のテーブルでは、女子高生の集団がパンケーキを撮影してはしゃいでいる。
カップルか夫婦と思われる男女の組み合わせもいるが、家族連れはいないようだ。そして、女性の一人客も見当たらない。
こういうときに、自分は周りから浮いているのかもしれないと気にする人がいるけれど、そんなことは気にしなくていいと思う。いつどこにだって、少数派は存在する。そして、法を破らない限り、後ろめたさを感じる必要はない。
自分を支える強い芯。絶対に折れない信条。それを持てるかどうかが、分かれ目のように思う。
信じるものは人それぞれ違う。人によってはそれが国であったり、著名人であったり、または宗教であったり、自分自身の意思であったりする。人は実に様々なものを拠り所とする生き物だ。
信じることは決断の行方に影響する。何を信じるかによって、何を選んでいくかが変わる。それならば、信じるべきは善悪を司るもの。ルールだ。ルールを遵守すること。それが一番大事なことなのだと、自分は信じている。
そんなことを考えているうちに、読モのような店員さんがパンケーキを運んできてくれた。
さっき写真で見た、ころっとした大きなパンケーキ三枚、優雅に重なっている。
香り豊かな本物のバターを下地に、粉雪のようなきめ細かいシュガーパウダーに、なめらかなホイップクリーム。そして、バニラビーンズ入りのアイスクリームと凍っているようなベリーたちが彩りを添える。
見目麗しい。見た目も味のひとつだと先輩が言っていたが、まさにそのとおりだ。食べることがもったいなく思えるほどの完成度だが、せっかくの出来立てをいただかないのはなおもったいない。
純カナダ産だという濃厚なメープルシロップをかけて、奇跡のように輝くパンケーキを惜しみなく頬張った。
美味しい。柔らかい。溶ける。美味しい。
フォークが生地を切る感触さえもが心地よい。口の中で甘い香りがふわりと広がる。
個体と液体の絶妙なバランス。程良い甘さとほろ苦さのハーモニー。噛まずとも口の中で溶けゆくような幸せのカケラ。血中を巡る糖分は幸福の雫。
ああ、これはスイーツ界の前衛芸術だ。このお店が、このパンケーキがある今の日本に生まれたことに、心の底から感謝する。
だけど、これじゃない。夢で見たパンケーキは、この対極にあるものだったように思う。もっと従来的で、でもモチモチしていた。形状、食感ともに、よくある典型的なパンケーキであったことを思い出す。
それはそれとして、眼の前のパンケーキがご馳走であり、今回巡り会えたことは僥倖に他ならない。
美しいパンケーキを平らげ、時間を確認するとちょうど13時になったところだった。お冷を飲みながら、スマホで次の目的地を探す。このお店のおかげで、ある程度の方向性を掴むことができた。
気になるお店を何軒か保存した。有望なお店は全体的にここよりも北側に多いようだ。
会計を済ませて、お店を出た。大繁盛にも関わらず、先程の店員さんが店先まで見送ってくれた。誰にだって全力で紹介できる、本当に素敵なお店だと思った。