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「名探偵を夢見て」第24話
用意したいものがあるから少し待っていてくれ。そう言って、翔太は席を立った。
深山はうつむいて何かを考え込んでいた。声をかけづらい雰囲気だったから、俺はスマホを眺めて過ごした。少しすると、深山が顔を上げる気配があった。
そして、「そういうことだったのか……」と呟いた。
「五年前、私に話しかけてくれたSDNの創設者......あれは間違いなく、北川氏だったんだ。ここ最近、SDNについて二点ほど疑問に感じていたことがあった。そのどちらも、北川氏が創設者であると考えれば説明がつく」
深山はシャーロック・ホームズが被ってそうな帽子のイラストがプリントされたトートバッグから、見るからに高そうなノートブックとペンを取り出した。
「廃工場で私はSDNに神谷と山田の情報を調べるよう依頼した。彼らは常に迅速で正確だが、このときは違和感を覚えるくらい対応が速かった。翔太の推測どおり、北川氏はSDNに神谷アイリの兄に関する調査依頼をしたんだ。そのときに調査を担当したメンバーが私の依頼にも対応してくれたんだと思う。事前に神谷の情報を持っていたから、通常よりも調査が速かったんだ」
「なるほどな。って、待てよ、お前はSDNで北川さんからの依頼を見た憶えないのか?」
「このお店で口論が起こったのは先月のことだろう? 私はここ二ヶ月ほど、人間を無力化する技を習得することに没頭していたんだ。スレッドの確認は欠かさなかったが、自分が対応できないものはほとんど斜め読みしていた」
「おいおい、それじゃ本末転倒じゃねえか。お前が目指してるのは喧嘩屋じゃなくて名探偵なんだろ?」
「然様だ。独学はあらゆる意味で良い結果をもたらさなかった。それが喧嘩の師を探そうとしたきっかけのひとつでもある」
「そうか……。それは、まあいいや。で? もうひとつの疑問点ってのは、SDNが北川さんの情報を見つけられなかったことについてだよな?」
「鋭いな、海斗。そうだ。SDNのメンバーたちが情報を掴めないどころか、『明かすことができない』と言ってきたことが、ずっと引っかかっていた。古参メンバーは全員創設者のことを知っている。だから、情報提供を拒んだんだ」
深山は喋りながら、整理した情報をノートに書き込んでいく。綺麗とは言いがたい字だが、俺も人のことは全然言えねえ。丁寧に書こうとしてる分、深山の方が立派だ。
「これ以上に納得できる理由が今後出てくるとは思えない。北川氏はSDNの創設者だ」
深山がそう断じたとき、翔太が左右の手に皿を持って戻ってきた。「食べてくれ」と言って、彼は俺たちの前に二枚の皿を置いた。厚みのある三段重ねのパンケーキが乗せられていた。
「美味しそうだな」
深山が目を輝かせた。こいつが探偵業務と喧嘩技以外で嬉しそうにしているのを初めて見た気がする。俺的には意外な一面だ。
「北川さんのこと、順を追って話すよ。食べながら聞いてくれ」
「わかった。ありがたくいただくぜ」
そうは言ってみたものの、まだ口の中が切れてるから、結構しんどい。小鳥がつまむようなサイズに細かく切って、少しずつ口に運んだ。
俺は普段、甘いものはあまり食べない。甘いのが嫌いなわけじゃない。スプライトだって飲むしな。ただ、デザートとかスイーツってのが苦手なだけだ。
だが、この店のパンケーキは甘さ控えめで美味かった。
「このパンケーキはいけるな」
「海斗が褒めてくれたと知ったらオヤジも喜ぶだろうな。後で伝えとくよ」
ちなみに、うちの店ではこれをホットケーキと呼んでるんだと翔太は補足した。ホットケーキとパンケーキの違いが俺にはわからねえ。でも、深山は「なるほどな」と納得した風だった。
「海斗も咲希さんもさ、なぜ北川さんがこの店で働いていたのか、気になってたんじゃないかな? その答えが、このホットケーキだ」
「あん? ホットケーキ食うために働いてたってのか?」
「いや、うちのホットケーキの作り方を学びにきたんだ。修行しにきたと言ってもいいかな」
意味がわかんねえ。深山の顔にも困惑の表情が浮かんでる。
「もう少し遡って話そうか。北川さんは学生時代、名探偵として有名になった。本名では活動していなかったけど、その存在は誰もが知っていた。北川さんが創設したコミュニティは、探偵の卵たちの間でたちまちに人気になったと聞いた」
「素朴な疑問だけどよ、本名公開してねえのに、なんで北川さんが作ったコミュニティだってわかるんだ?」
半ば想像はしていたが、深山が呆れ顔で肩をすくめた。
「海斗。君は想像力が足りていないな。一部の名探偵は本名の代わりにディテクティブ・ネーム......通称、DNを使うんだ。SDN創設者のDNはKTGだった。今思えば、これは本人の名字……KiTaGawaを省略したクールな通り名だったんだな」
「なんか卵かけご飯を間違えそうな略称だな。SDNといい、北川さんは優秀な人なのかもしれねえが、ネーミングセンスはいけてねえな」
「海斗! 君は北川氏を……否っ! 我々までをも……」
「愚弄してねえぞ! ただの感想だ! 気にすんな!」
ボサボサ頭から湯気を吹きそうな深山を宥めながら、翔太に話の続きを促せた。ここからが本題だ。心して聞く必要がある。
「北川さんは本人曰く、飽きっぽい凝り性なんだそうだ。興味があればすぐに熱くなるし、誰よりもハマって、成果を出せる。でも、ある程度のところに達すると、急激に冷めてしまう。それまでにどんな成功を積み上げていたとしても、一度飽きてしまったらすぐにそれをやめて、まったく別のことを始めてしまう。そういう人らしいんだ」
なんとなく、共感できる気がした。俺は熱しやすくも冷めやすくもねえが、ひとつのことに真剣に打ち込み続けるってことができねえ。北川さんも結局は継続できない人ってことなんじゃねえか?
「探偵を辞めた北川さんは、会社員経験を積むために中小企業に就職して、営業職に就いた。探偵として培った情報収集力と社交スキルを用いて、すぐに会社のエースになることができたと言ってた」
佐藤さんは北川さんのことを、「いい加減だけど、結果を出す人」だって言ってたな。翔太から聞く北川さんのイメージと佐藤さんの持つ印象は、俺の中で綺麗に合致する。
「北川さんが就職した三年後に、志帆さんが入社してきた。所属する部が違うとかで、最初はふたりに接点はなかったらしいんだけど、何かのきっかけで北川さんは志帆さんと話すことがあった。そして、衝撃を受けたと言ってた」
「なんだ? 姉貴のどこに衝撃を受けたってんだ?」
「志帆さんは頑なにルールを遵守するし、それに強くこだわる。何にもこだわることができない北川さんには、並外れて頑固な志帆さんが新鮮に映ったらしい」
姉貴は確かにドラマや漫画に出てくる委員長タイプの人間だ。誰もがやってるような軽いルール違反だって許さねえし、自分も決してルールを破らない。一日に車が三台くらいしか通らない道ですら、赤信号では絶対に渡らねえ。そんな人だ。
「志帆さんは誰よりも正しくあろうとするし、誰にでも正しさを求める。北川さんとは真逆のタイプだ。だからこそ、ふたりは惹かれ合ったんじゃないかな」
「は? 惹かれ合う? え? ええっ?」
思わず、声が裏返った。
「テメエ、何言ってやがる!? ふざけんじゃねえぞ!!」
深山が「落ち着け」とか「暴れるな」とか言っているのが無意識に聞こえた。だが、そんなことはどうでも良くなるくらい、俺は動揺していた。