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「名探偵を夢見て」最終話

 市の南西にあるその公園は、姉貴のマンションから二駅ほど離れたところにあった。公園の外には集合住宅が並んでいる。涼しげな浴衣の集団が、何度も目の前を通り過ぎた。

 屋台が連なる公園の中を歩いていると、佐藤さんたちの姿があった。挨拶とお礼を伝えた。姉貴には佐藤さんから連絡してくれたらしい。北川さんのことには触れず、ただ一緒に祭りに参加しないかと誘ってくれたという。マジで気が利く人だ。俺も見習わねえとな。

「北川先輩は公園の向かいに屋台を出してるよ」と佐藤さんは教えてくれた。
 再度彼女に礼を伝えて、公園の外に向かった。隣を歩く深山の心音が、俺にまで聴こえてくるようだった。

 公園を出ると、甘く香ばしい匂いがした。パンケーキの香りだ。向かいの道にキッチンカーが数台停まっていたが、どれが北川さんの店かはその匂いですぐにわかった。

 長くて賑やかな行列に、俺たちも並んだ。早く食べたいねと騒ぐ子どもたちの声が微笑ましかった。商売うまくいってるじゃねえか。本当にやれば何でもできるんだな、あんたは。すげえよ、マジで。本人には絶対言うつもりのないセリフを、心の中で呟いた。

「咲希と海斗だね。はじめまして」
 俺たちの番になると、北川さんはそう言って笑顔を見せた。中性的な人だった。背が高くて、美形だ。こんなん絶対モテるっつーの。俺までドキドキしてきた。

 深山も頬を赤く染めてる。目も赤い……そうか、泣くのを堪えてんだ。それがわかった瞬間、俺は深山から目を逸らした。胸に、何かが込み上げてきたからだ。

「北川氏。私はずっと、あなたのような名探偵になることを夢見てきました。ずっとあなたに会いたいと願ってた」

 ありかとうと北川さんが答えた。

「私は名探偵になることができませんでした。もう、心が折れてしまったんです。だけど、これまでの努力が無駄だったとは思いません。私は新しい道を探します。あなたみたいに……他分野でも活躍していきたい」

「咲希。君は私とは違う。だからこそ、私は君を見込んだんだ。今の君の目には、諦念と未練が共存している。君はまだ本当の答えを見つけられていないんだ」

「本当の答え……ですか?」

「そうだよ。でも、それを示すのは私の役割ではないんだ。私から言えることがあるとすれば——」

 北川さんは一瞬だけ俺をちらりと見て、続けた。

「前にも言ったように、君は必ず名探偵になれる。だから、自分の可能性を信じて、突き進んでいってほしい」

「北川氏……」

 背後に客が並ぶ音が聞こえた。そろそろ姉貴もつく頃だ。もうあまり喋ってる時間はねえ。

「海斗。君にはぜひ、このパンケーキを食べてほしい。私が志帆に向けて作り上げたパンケーキだ」

 北川さんはそう言って、小さなパンケーキを紙袋に入れて、俺に渡してくれた。中を覗くと、三角とか星形とか、とにかく色んな形をしたパンケーキの姿があった。さすが型から作ったってだけのことはある。見事な出来だ。

「あんたの気持ちはよくわかったよ」

 だけどな、こんなん見なくても、俺はもう決めてたんだよ。

「なあ、北川さん」
「なんだい? 海斗」

「姉貴のこと……頼んだぜ」

 えっ? と、北川さんが目を丸くした。呆然としてやがる。いいもん見られたぜ。これで十分だ。

 俺は列から離れた。深山は別れ際に、「今まで本当にありがとうございました」と北川さんに礼を告げた。北川さんも深山に何か言葉を返したようだった。でも、その声は俺には届かなかった。

・・・

 うっかり姉貴と鉢合わせないように、公園から少し離れた物陰に身を潜めた。こちらからだけ北川さんの屋台が見える、まさにベストポジションだ。

 二十時少し前に姉貴が到着した。パンケーキの匂いに気づいて、俺たちと同じように列に並んだ。

 北川さんと話す姉貴の顔は晴々としていた。もう大丈夫。そう確信することができた。

 姉貴は佐藤さんたちが待つ、公園の中へと歩いていった。

「依頼解決。一件落着だな」
「ああ、そうだな」
「海斗には大変世話になった」
「そりゃこっちのセリフだ。マジでありがとな」

 縁があればまた会おうと言って、深山が右手を差し出した。握手を求めていることは理解できたが、俺は手を出さなかった。

「海斗……」
「お前は名探偵になれよ」

「え?」
「お前ならなれる。俺はそう思うし、あの北川さんのお墨付きなんだ。絶対なれる」

「でも、私は……」
「戦うのが、怖いか?」

「……うん。怖い。今の私には、抵抗する犯人と対峙することができない。情けなくなるくらい、暴力を見るのが怖いんだ」

「情けなくなんてねえよ。暴力が怖いのは当たり前だ。……あんなひでえ目に遭ったんだから尚更な。でもよ、それで諦めちまうのはもったいないねえと思う。いい仕事じゃねえか、名探偵ってのは」

 深山は無言で目を見開いた。驚いた顔も姉貴に似てるなとか思いながら、言葉を続けた。

「俺は物心ついてからずっと、やりてえと思うことが何もなかった。何か試したところで、北川さんみてえにうまくこなせるわけでもねえしな。何かにのめり込んだことなんて一度もなかった」

 だけどな、と力を込めて、その先を紡ぐ。

「姉貴のことでお前と一緒に頑張ってみてさ、人の力になれる仕事っていいよなっつーか、名探偵ってすげえいいじゃんって思ったんだよ。お前はこれまで必死に努力してきたんだろ? そんなお前だから、助けられる人たちがいるんじゃねえか?」

「……海斗。そういう風に言ってくれるのは、とても嬉しい。でも、犯人を捕まえられない名探偵なんて論外だ。どんなに望んでも、私は名探偵になれない」

 深山がうつむいた。俺は思わず、彼女の両肩を掴んだ。驚いて顔を上げた深山と、目が合った。潤んだ瞳に、全力で語りかけた。

「俺が捕まえる。お前が見つけた犯人を、俺が捕まえてやる! お前に襲いかかってくるやつがいたら、絶対に俺が守る! 何があっても、守り抜いてやるよ!!」

「海斗……本気か?」

「冗談でこんなこと言うわけねえだろ! お前の力になって、色んな人を助けたい。それが俺のやりてえこと——俺の、初めての目標ってやつだ」

深山の瞳から涙がこぼれた。背後で道行く人々がざわつく気配があったが、今はそんなことを気にしている場合じゃねえ。俺は俺の全力をぶつけるだけだ。

「お前と一緒に北川さん探しててさ、適材適所の大事さがわかった。俺じゃ佐藤さんと今みてえな関係は築けなかっただろうし、お前が神谷を説得することもできなかったと思う。互いができることを全力でやったからうまくいったんだ」

「うん。同意だ」

「そうだろ? それにさ……北川さんのパンケーキ見て思ったんだよ。色んな形のがあるだろ? 人にも様々な形があって、それだから合ったりぶつかったりするんだよな。北川さんが姉貴に伝えたかったのは、そういうことだと思う」

「……あれはそういうメッセージだったのか。私にはよくわからなかった」

「ああ、だから北川さんは、お前がまだ本当の答えを見つけられてねえって言ったんだ」

「大した推察力だ。本当に君の方が探偵に向いているのかもしれないな」

「誰にでも得手不得手ってのがあるだろ。ふたりで協力し合えば、得手の幅も広がる。北川さんが俺に伝えたかったのは、多分そういうことだ。まあ、俺は言われるまでもなく、自分で気づいてたんだけどな」

 ふふふと深山が笑った。

「そうだな。君とふたりなら、どんなことでも乗り越えていけそうだ」
「そうだろ。ふたりで北川さんを超える名探偵を目指そうぜ」

 今度は俺の方から手を差し出した。深山は俺の手を力強く握ってくれた。

「これからもよろしく頼むよ、海斗」

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