レッチリのライブにいく物語
Red Hot Chill Peppersのライブをみた。
生まれて初めて見た。
生まれて初めての東京ドーム。
生まれて初めて1人でライブをみた。
何もかもが生まれて初めてだったのだが、最高だった。
キッカケは友人がSNSで、「チケットが余っている」という書き込みからだった。
金額は5万。しかも火曜は予定が入っていて、調整しなければならない。
悩みに悩んだ。
いつもだったら、行かなかっただろう。
しかし2023年、レッチリのライブが告知されたとき、チケットが5万と高額なニュースが流れ、行かない決断をしたのだが、知人が何名も見に行っているのをSNSで知って悔しい思いをした。
それに44歳は毎日何かに調整んする歳である。
いろいろ悩んだが、悩む前に決断しようと思った。決断したら悩みは消えて、お金を払い、調整するという行動しか無くなる。
友人に連絡して、そっこーでお金を払ったのだった。
あれからずっとレッチリのことを考えた。歌詞を覚えようとしたり、んヒューアルバムを繰り返し聞いたりした。
仕事は多忙を極め、なかなか家に帰れなくなってきたが、レッチリのことは頭から離れなかった。
そして18日。
ライブは5/18と5/20に開催される。
5/18の情報がxを通じて次々と飛び込んでくる。みんな最高と言っている。セットリストが公開され、予習するプレイリストを作った。
どんどん現実味を帯びてきた。
レッチリを知ったのは、中学生の頃で、1995年9月12日に出たone hot minuteというアルバムからAeroplaneがMTVで流れた時だ。めちゃくちゃかっこいいと思った。
その後、Under the bridgeを知って繰り返し聞いて、完璧に好きになった。
バンドを始めた時、ベース担当になったのでフリーに憧れた。スラップ奏法に憧れたが、難しくすぐに諦めてしまった。あの時もっと続けていれば。
レッチリは聞くたびに、気持ちを上げてくれた。最高のバンドだった。
1999年。彼らを不動のものにするCalifornicationというアルバムが出た。すごいアルバムだった。
しかしそれで終わることなく、By the way、Stadium Arcadiumが出た。感動しまくった。すごい。
その後、ジョンが抜けた。ジョンが抜けてレッチリはどうなるのかと世間が騒いで、僕自身少し気持ちが離れた。
ジョシュを迎え入れて出したIm with youはなかなか良いアルバムだったが、斜に構えてしまってしばらく聞かなくなってしまった。そう、今日はまで。
18日のセットリストを見た時、ヒット曲からライナップされていることはもちろん、ジョシュやデイブの曲は入っていなかった。当然のようにジョンである。少し寂しい気もしたが、理解はできる。
19日は、次女の授業参観やクロアチアの曲をピアノで演奏するコンサートを見に行ったりした。
コンサートでは、音楽について意識を新たにした。
華奢なおばさんが、非常に激しくピアノを弾く。何かを伝えようとしていることは明らかだった。
考えてみれば、アーティストはずっとずっと繰り返し繰り返し演奏してきたので、今更、きちんとプレイするということはしなくてよい。
なぜその曲を選び、この日この場所で演奏しようと思ったのか。何か伝えたいことがあるに違いない。
それは多分、これなら喜んでもらえるかな?とか、これを知ってくれ!とか、元気出してくれとか、ありがとうとかかもしれないが、あまり言語化してはいけないのではないか。
わざわざ演奏しているのだから、演奏を体験して感じる感情のままでいいのではないか。
レッチリが、Cant Stopの中で、Music, the great communicatorという。
そうか。そうなのだ。
音楽はわざわざ言葉にしたくても一体化できるんだ。
音楽に対する意識が変わって、20日が怖くなってきた。何も感じられなかったらどうする?あるいは過剰に感じて、泣き出して、聞けなかったらどうする?
なぜかとても緊張して、眠れなかった。不安もあるし楽しみでもあるし、遠足の前の日ってこんな感じだったっけ。
数時間しか寝ていない感覚で、東京行きの飛行機に乗った。17:15発。
息子がお守りをくれたおかげで、かなり揺れたが無事に到着した。
迷いに迷ったが、ここも挑戦ということで、グッズにならんだ。3時間近く並んでグッズもゲットし、少し雰囲気をしれた気がして緊張が和らいだ。
チケットをくれた友人は、他にも数名にチケットを譲っていて、FBグループを作って打ち上げを企画してくれた。
そのグループでグッズをついでに買うか聞いたら、2名が反応した。責任重大である。3時間ならべたのはその責任によるものもあっただろう。終わってみれば、衝動買いしまくって楽しかった。
17:00の開演まで時間がたっぷりあるので、ホテルにチェックインした。早めだったが許してくれて、部屋で寝た。
18:00くらいに会場に入り、アリーナ石専用ゲートから自分の席へ。
思ってたよりも近く、真ん中で、感動と緊張がよぎった。
会場を軽く散歩して戻ってみると、隣に誰か座っていた。その人は、グループにいた人で、グッズを依頼した1人だった。
待っている間、どんな曲が流れるといいよねって話をしながら、レッチリ愛を語った。彼はグッズのお礼にビールを奢ってくれた。
開始直前にもう1人も合流し、楽しくなってきた。仲間はいいよね。
会話していたら、暗転。一気に歓声があがる。レッチリの曲ではない何かが流れた。
ステージを凝視していると、フリーが逆立ちしながら出てきて、チャド、ジョンが続いた。
そしてIntro jam。これは逃すまいとスマホで撮影した。1曲目はCnat Stopだろうと思った。
ところが、Around the worldだった。ビールを奢ってくれた彼が聞きたかった曲だ。会場もセトリが今日は違うということを知って、爆発した。
アンソニーが登場して、心が震えた。鳥肌は立たなかったが、体が無になって体験していくのがわかる。
ここからは正直、細かく覚えていない。曲順も覚えていないし、最高が連続したことくらいしか表現できない。
ゼファーソングやsnowが演奏されたのはよかった。Suck my kissはあまり好きな曲の方ではないが、ライブでは最高だった。
フリーの東京ソングも、なんかよかった。
フリーを凝視し、チャドに関心し、ジョンに良いしれた。アンソニーの声はちょっと心配になった。辛そうなシーンがあったからだ。
それでもアンソニーは最高で、声に張りがった。脱いだ体はデカかった。フリーの機動力もやばい。チャドのパワーもすごい。
ジョンはスピーカーに向かって弾くシーンが多かったが、返し(モニター)が弱かったのかもしれない。
スピーカーに向かって眉間に皺を寄せ、語るようにならすギターはやはり最高だった。なんだろう、悔しいが最高だ。
突如、四人が去って会場が映し出された。自分が映るかと期待したが、何かしら工夫した人だけのようだった。
そしてついにきた。
Under the bridgeをジョンが弾きながら出てきたのだ。
涙がちょっとだけだが出た。
感情が表現できなくなった。ビールくんに後ろを振り向くよう言われてみると、みんなスマホのライトを照らしていた。感動した。たしか鳥肌がたったと思う。
僕も真似をして、一緒に歌った。
ゆったりとしたいい時間だった。
この曲が終わると、あと1曲で終焉なのだろうか。まだ少し時間はあるのだが。
次の曲はGive it awayだった。
エンディングとは思えないほど激しく、会場は沸きに沸いた。
そして終わってしまった。
アンコールはなかった。会場は明るくなり、アナウンスは終わりを告げていた。
なんかモヤモヤしたが、最高の余韻はそんなものなのだろう。いつ終わっても物足りないはず。
三人で語りながら、居酒屋に移動した。
グループの五人が集合し、音楽の話をたっぷりしながら12時まで飲んだ。
最高の1日だった。合計で10万以上使ったと思うが、安い。というか、こういうところにお金が使えるようになっててよかった。
本当に良い1日だった。
仕事も大事だが、こうした遊びも必要だ。同じくらい大事だ。
これからももっと遊びたい。沖縄にはライブがないけど、ライブだけとは限らない。
一生懸命、1日1日を生きよう。
きっとレッチリはそうやって音楽を作っているに違いない。
Give it away からこの歌詞を引用。
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