私は多分、同性愛者では(でも)ないと自覚した瞬間
私の身体性別(sex)は女性で、性自認も女性である。
("女性"としてよりも"私"という個として認識してほしいという気持ちが大きいが、自分を男性・男性的だと思ったことは無いので、一応は女性ということにしておく)
そして私はほとんど恋愛というものに興味が無く、結婚願望も無い。
その理由で思い当たるものとして、
・そもそも先天的に恋愛に興味がなかった
・今までの人生の中で関わってきた男性達へのトラウマがあり、"男性"という性別そのものへの苦手意識がある
(もちろん全ての男性が酷い人だというわけではないとは分かっていても…申し訳ないが苦手なものは苦手なのだ)
・男性と共に過ごすよりも、女性の友達と過ごす時間の方が大切だし楽しい
他にもおそらくあるが、上記のようなことがまず真っ先に頭に浮かぶ。
そこで私は考えたことがあった。私は同性愛者なのかもしれない、と。
男性といるより女性の友人といるほうが幸福感があるし、初対面で関わる人も男性より女性の方が安心するからだ。
そんなことを考えながらも結論が出ないまま日々を過ごし、その中で私はある女性と出会った。
彼女とは職場で出会い、明るく元気で場を盛り上げるのが上手で、すぐに仲良くなれたし、一緒に働いていて楽しかった。そして私は、こんな人と一緒に暮らしたい!とさえ思った。
だがこの彼女へ抱く感情が恋なのかどうかも分からないまま、彼女は別の部署へ異動してゆき、ほどなくして私も別件で体調を崩してその職場を退職した。
月日は流れ、連絡先だけは交換していた彼女と久しぶりに連絡を取る機会がついこの間あった。そしてそのやり取りの中で、彼女には男性の恋人がいることを知った。
その時私はショックを受けたが、「意中の相手に既に恋人がいた」ことへのショックとは少し違う気がして、この感情を自分の中でもう少し掘り下げて考えてみることにした。
まず、「彼女とお付き合いをしている男性のことが羨ましいか、あるいは妬ましく思うか。」を考えた。彼女のような素敵な女性とお付き合いをできる立場というのは少し羨ましくはあるが、私自身も彼女とはお互いに別の職場になった今でも連絡を取り合う仲ではあるので、ひどく妬ましく思うことはなかった。
次に、「もし彼女に恋人がいなかったら私は彼女に告白をして、良い返事があればお付き合いをしたかっただろうか。もっと発展させると彼女と結婚したかっただろうか。」とも考えた。
これも何だか違う気がした。私はあくまでも「女友達」として彼女と共同生活を送ってみたいという気持ちはあったが、彼女に恋して結婚をしたいとは思っていないことに、ここにきてようやく気がついた。
ではどうしてショックを受けたのか。それは多分だが、彼女に男性の恋人がいるという事実により彼女の性的指向がストレートであることが判明したからかもしれない、と思った。
私は異性愛者ではないし、同性愛者でもなかった。私は性的マイノリティだ。でも彼女は(おそらく世間では)マジョリティの側にいる。それが何だか、悲しく感じたのだ。
もう少し狭く具体的に言うと、「彼女との恋路の可能性が閉ざされた」ことが悲しいのではなく、「彼女と共同生活を築ける可能性がある相手は私ではない」ことが、悲しいのだ。
ともかく、私は今回の彼女とのやり取りの中で、「同性に魅力を感じる」ことが必ずしも「同性愛」にイコールで繋がるわけではないことを身をもって知った。
私自身、もしかしたらたまたま今回の彼女には恋愛感情を抱かなかっただけで、今後出会う別の女性には恋愛感情を抱く時がくるかもしれないし、更に言えば男性に恋愛感情を抱く時もくるかもしれない。
ただ、現時点で一番私にしっくりくるのはやはり「アセクシャル」や「フィクトセクシャル」といったカテゴリーであり、正直言ってしまうと自分のことだけでなく他人のいわゆる"恋バナ"にも興味を持てないし楽しめない。これに関しては私も、もう少し自分の中での思考を柔軟にして、他人の恋愛話に快く耳を傾けられる人間になりたいなぁと思っている。しかしそれでも、やはり自分自身に対しては恋愛に興味がなくても、人生を楽しく過ごしたいものだなぁ…性的マイノリティでも楽しく暮らせる世の中になってほしいものだなぁと思うばかりである。