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ぼくたちの『死にたい』がどうか致命的なものになりませんように。

村上春樹の『一人称単数』という短編集で何度も思い出してしまう話がある。
「普通に社会の授業を教えてくれる善良で普通な社会科教師がある日、思想の行き詰まりで自殺してしまう」
という短編の中の登場人物が、高校時代の思い出のひとつとして語るとてもみじかい話。
初めて読んだときにその簡潔さに笑ってしまったのをよくおぼえている。思想の行き詰まりで、自殺。それ以上の説明はない。まるでナイフで刺された他殺というかのようなシンプルさだ。ナイフで心臓を刺されたら人は死ぬだろう。思想の行き詰まり、なんてものが一見してぼくには致命的なものには見えなかった。だから、初めて読んだときはふふっと笑った。気の毒に、それだけのことで死んでしまうなんて。

繰り返し思い出していくうちに、印象が変わっていった。比較的ラフな感情ではあるけれど、ぼくが死にたいと思うときの感情が「思想の行き詰まり」という風にだいたいに置いて言い表せることに気がついたからだ。『思想』というといかにも大層なものに聞こえるけれど、かっこいい考えだけが思想なわけではもちろん無くて、『ゲームさえ出来たらずっと幸せなんじゃね?』とか『今好きな人のことずっと好きでいたらずっと幸せなんじゃね?』とかだって思想だ、行き詰まれば死にたくもなる。
社会科教師さんにも同情できた。たとえばapex legendsのことなんて知らないだろうから、教えてあげたら案外ハマってチャンピオン画像をTwitterにあげるようになったかもしれないのに。その内apex legends的な行き詰まりにたどり着いてしまうかもしれないけど、死んでしまうよりずっといいはずだ。死んだことがないから分からないけど。

死にたいって思ってしまうときは少しだけでも考え方を変えられたら、ちょっとは上手に生きれるようになるのかも。そんなことをおもうのでした。

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