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環境問題に対する自分の極端な思考を変えたい

近年の異常気象とか、猛暑・酷暑とか、自然災害の多さに触れるたびに、とても不安になる。

もともと色んなことに不安を感じやすいたちだから、未来の地球とか自然環境とか、どうなってしまうんだろうと考えるととても怖くなる。


環境問題に関心を持ったのは、小学生の時だった。子供向けの教育雑誌で環境問題(地球温暖化)について知って、「このままでは地球は大変なことになってしまう!」と幼心にとても怖くなったのを覚えている。地球環境を守るために自分たちの行動を変えなければ、と思って、それから極端なエコな思考を持つようになってしまった。
その教育雑誌に書かれていることをそのまま素直に受け取ってしまったから、もちろん個人の努力だけでは環境問題を解決するには到底及ばないということも考えつかず、とにかく環境にいいことをするために自分の欲求を我慢するようになっていった。

暑いのに冷房を使わず、冷凍庫の保冷剤を体のあちこちに貼り付けて暑さを凌ごうとしたり、「トイレ1回で使う水の量はすごく多くてもったいないから、トイレに行くのは1日◯回にしよう」と自分で自分に制限を作ったり、部屋の中で防寒着を着ることで「私は絶対に暖房を使わない!」と頑なになっていたりした。
電気代ももったいないから、なるべく1人で自分の部屋にいるよりも家族がいる居間にいるようにしたりした。
食べ物を捨てることももったいないから、同居していた祖父母が溜め込んで忘れてしまった期限切れのお菓子を、美味しくないなと思いながらも腹の足しにしようと捨てられる前にこっそり食べていたりもした。
鉛筆は、鉛筆削りでトキトキに削るとその分芯が削れてしまってもったいないから、カッターを使って、先端が尖らなくてもなるべく無駄に芯を削らないように削った。残り5センチくらいになるまで使ったら、そこに金属製の鉛筆補助軸を取り付けて、残り1センチくらいになるまで使っていた。
お風呂の追い焚きをするのももったいなくて、冬でも我慢してぬるいお湯に浸かったり、もったいないから頭を洗う間もシャワーは絶対に流しっぱなしにしたりせずにシャワーを止めていた。

別に家がものすごく貧乏だったわけでもない。親や祖父母に虐待されていたわけでもない。親に「そんなことするのはやめなさい」と何度も注意されたけれど、私がただただ頑固なだけだった。

そんな極端な行動を繰り返してしまっていたのは、“我慢すること・苦労することが美徳“みたいな考えがあったからだと思う。祖父母の影響もあったのか、子供の頃からそういう考えが刷り込まれていて、「今苦労すればきっと将来いいことがある」「悪いことをしたらいつかバチがあたる」みたいに思っているところがあった。だから、「今我慢してでも環境のためにいいことをしていれば、きっと将来大変な思いをしなくて済む。そうしていればきっと大丈夫」と思いたくてやっていた行動だった。

私は中間子で、親の関心があまり向けられていないと感じてしまっていたこともあり、その感情が環境問題と重なり「私は生きているだけで環境に負荷をかけてしまうのだから、私なんていなくなった方がいい」と思っていたこともあった。


そんな極端な思考は、大学生になるまでしばらく消えなかった。大学生になって、ようやく「個人の努力だけでは環境問題を解決することはできない」ということが理解できるようになった。

かなりゆるくはなったが、それでもまだ当時の自分の思考は完全にはなくならない。

今でも冷暖房を使うことは少し抵抗があるし、穴が空いた靴下は何度でも自分で繕って使ったりしている。ゴミの分別をしないことに罪悪感を感じるし、洗濯物は外に干せば自然に乾くのだから、乾燥機で乾かすことにもすごく抵抗がある。ペットボトルの飲み物は1年間で数えるほどしか買わない。
異常気象のニュースや、11月になっても半袖で過ごせるような日が続いたりすると、不安に駆られて仕方がない。四季それぞれの自然の美しさを感じられなくなってしまうこともとても悲しい。自分の行動が世界を変えられるのにも限界があって、自己犠牲や我慢だけではエコな活動は続けられなくて、もどかしくなる。

そんなに不安に思わなくても、自分が生きている間は地球は同じように存在しているかもしれないし、心配するほどの大災害が起こらない可能性もあるかもしれない。だけど、少しでもその不安を拭いたくて、ちょっとした罪滅ぼしの気持ちで環境にいい選択をしたいと思っている。

本当にこの問題をなんとかしたいと思っているのか、と言ったらそういうわけではないのだと思う。もっと環境問題について勉強して本気で変えるために大きな規模で活動している人も団体も存在するはずだし、私はそこに関わろうとまでは思っていないのだから、実際そこまで環境問題に関心が強いわけでもないのだと思う。ただ自分の不安を和らげたいという気持ちが強いだけ。



ここから、もう少し変えていきたいのは、「自然環境の変化に対して極端に不安に感じないようにすること」だなと思う。

もちろん将来の地球環境に対して不安なことは変わらないけれど、「自分のせいでこんな環境になってしまった」と極端に考えて自分を責めることはやめたいと思う。
こうなってしまったのは、一個人の責任だけではなく社会全体の責任だし、私が今この瞬間この世界から消えて環境への負荷が私1人分減ったとしても、大した変化はないと思う。

大災害が起きたら死ぬのはみんな一緒だし、環境問題は1人で抱え込んで不安になるのではなく、多くの人と共有してみんなで変えていくことで初めて大きな変化が生まれるはず。

だから、なるべく1人で抱え込んだり過度に不安になったりしないで、多くの人と一緒にエコな活動を無理せず継続できるようになったらいいなと思う。




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