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探しても探しても「私」はなかった
韓国の「いばら」という歌に「わたしの中にはわたしがあまりにも多くて、あなたの休む所はないんだ」という歌詞がある。今になっては、この歌詞の意味がより深く聞こえる。
「自分らしさ」「自分軸」というキーワードをよく聴く。私もその答えを求めて、長年自分探し、自己探求をして来た。「今生を自分らしく、自分軸で生きたい」という熱望で自分の心の声に素直に生きる、つもりでいたら、私の人生は目まぐるしく変化し続けていた。
いつになれば答えと出会えるんだろうと、ある意味、焦ってたと思う。だが、出会ったのは答えの代わりに色々な私だった。
様々な出来事や人、因縁の中で優等生の自分、ヤンキーの自分、無気力な自分、頑張り屋の自分、物質主義の自分、精神主義の自分、優しい自分、厳しい自分、弱い自分、強がる自分、繊細な自分、傲慢な自分、等々。。
陰と陽、両極端を行ったり来たりしながら、喜んだり悲しんだり様々な感情を味わっている「私」。これが「私」か?あれが「私」か?これが、あれが「私」だろう。自分で自分を疑ったり、レッテルを付けたり、忙しく一人ごっごをしていた。
これが「私」、これこそ「私」、と思いきや、また新たな自分が出てくる、探しても探しても「これだ」と言える「私」はなかった。
(続く)