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座り込んでいる女・第一幕

座り込んでいる女を見ても、声を掛けてはいけない。
奴らは苦しんでいるフリをして、獲物が掛かるのを待っている。
自分が襲える獲物が掛かるのを……。


私は三十五歳の主婦だ。夫は小さい同族会社の社長令息。
彼との間に設けた子は、今年で小学一年生になる。
それなりに幸せな日々を送っている。

ある金曜日、近所に住む高校時代の同級生の家に行った。
互いの子供を遊ばせておいて、母親同士は優雅にアフターヌーンティー。
ありがちな家族ぐるみの付き合いだ。

夕方になったら会をお開きにして、私は息子と一緒に帰ることにした。
金曜日の夕焼け空は普通に茜色で、何の変哲もない。
そんな中、ふと息子があるものに気付いた。「あの人、お腹でも痛いのかなぁ? 大丈夫かなぁ?」
息子が指したのは、私たちが居る歩道とは車道を挟んで反対側の歩道。
車の通りが無かったから、よく見えた。
人が蹲っていた。頭を抱え込んでいて顔は見えなかったが、髪が長くてスカートを穿いていたから女性だと判った。
息子は彼女の体調を案じ、車の走っていない車道を横断し、彼女の居る方の歩道まで行こうとしていた。
その時、私は息を呑んだ。
「駄目! 見ちゃ駄目! 行くよ!」
私は咄嗟に息子の腕を掴み、自分の方に引き寄せた。
何故止めるのかと訊ねた息子に、私は答えなかった。
とにかく息子を連れて足早に進んだ。
(何年座り込んでるの、あの子? いい加減にしてよ!!)
私は、座り込んでいる女の方を振り向かなかった。
息子にも、振り向かないよう言い聞かせた。私は座り込んでいる女に苛立ち、舌打ちをした。


今から二十年前だ。私があの子に会ったのは。高校一年生の時だった。
私が高校生だったのって、二十年前なんだ…。
私も老けたな。いや、そんなことはどうでもいい。

私が進学した高校は私立の女子高で、偏差値は真ん中より少し下……という学校だった。
あの子とは、高一の時に同じクラスだった。出席番号の関係で、あの子は私の前の席に座っていた。
控えめで、余り目立たない子……。

あの子の印象はそんな感じで、席は近かったけど余り話すことはなく、私が親しくなったのは、あの子ではない他の子だった。

あの子と喋ったのは、中間テストの結果が出た時だった。
当時は個人情報とかそういうのにまだ疎く、成績上位者の名前と点数が掲示板に張り出されるのは普通だった。

私はたまたま、あの子と一緒にその掲示板を見ていた。
その時、私はあの子に話し掛けた。
「凄いね、〇×さん! 一位じゃん! 物理、満点だったんだね!」
あの子が学年一位だった。
しかも物理は満点で、純粋に凄いと思った私は自然とそう言った。
あの子は私に褒められる形になったのだが、照れている雰囲気や喜んでいる雰囲気は無く、何故か陰鬱な表情をしていたのをはっきり憶えている。
「だけどさ、このせいで□△(物理教師)は私をイジめるようになったじゃん。あいつは私が嫌いで、百点取ったのが気に入らないんだ!」
あの子はそんなことを口走った。
さっぱり意味が解らなかった。
あの子と同じ授業を受けていたが、物理の先生に変な言動は無く、先生が誰かをイジめていると感じたことは無かった。
私が首を傾げていると、質問するより先にあの子は説明してくれた。
「この前さ、私がちょっと間違えたら、“これは中学校でやった内容だ”とか言ってさ。皆の前で、私が馬鹿だって吊るし上げて……!」
言われたら、少し思い出せた。
先日、物理の授業であの子が当てられたけど、間違えた。
その時、確か先生はこう言っていた。
これ、中学校で習ってる内容なんだけどね。実はもう知ってるんだけど、変に難しく考えすぎる子が多くてさ。気を付けてね
(あれか? あれがイジメなの? いや、違うでしょ?)
物理の先生は、別に変なことは言ってないよ。
と思っている私の表情など意に介さず、あの子はそのままの勢いでマシンガントークを始めた。
内容は恨み言ばかりだった。

「中学の時も、教師たちは私をイジめた。英語は期末で九十点取ったのに、評定が3しか貰えなくて……」
「そのせいで私は公立の■□高校を落ちて、ここにしか進学できなかった。私は媚びを売れないから……」
未だに中学の内申点の話をするか?
この時、あの子が凄く幼く思えた。
(期末は九十点でも、中間が悪かったんじゃない? 課題はちゃんと出してたの?   内申が足りなくて■□高校に受からなかったとしても、実力があったなら私立なら◎〇高校に受かるでしょ。ここに来たってことは、そんなモンだったんじゃないの?)
と、あの子に凄くツッコミたかったけど、言ったらぶっ殺されそうな気がした。

私はいつまで、あの子の恨み言を聞いているんだろう?
と思っていたら都合よくチャイムが鳴って、あの子の恨みトークは強制終了となった。
助かった。

この時、私は思った。
あの子とは、あんまり深く付き合わない方が良いと。

物理の先生みたいに、言葉尻を捕まえられて、どんな言い掛かりをつけられるか知れたもんじゃない。
あの子とは、今くらいの関係でいよう。本当に強くそう思った。


その次の週くらいから、あの子は物理の授業に出なくなった。
現社の授業も出なくなった。
それくらいの頃から、あの子は校内で有名になりつつあった。

「ねえ、知ってる? 〇組の、あの子さ。授業サボって廊下に座り込んでんの」
「あれ、マジキモくない? 絶対、頭おかしいって」
そう、あの子は廊下や踊り場に座り込むようになったのだ。
顔が見えないよう、頭を抱え込んで。

余りに奇妙だから、先生たちから声を掛けられることもあった。
だけど、あの子は授業をサボって座り込み続けた。

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