恥
今日は理不尽な事がおきた。
その時私は
自分の考えを認めてもらおうと思った。
理解してもらおうと思った。
なんとも言えないもやもやで帰宅した。
家庭祈祷会中に思った。
キリストが十字架にかけられる時、
こんな理不尽な事が行われようとしている時、
キリストは一言も反論しなかったが、
そんなこと私にはできない。
心底、痛感した。
だから信仰を使って祈った。
私にはできません。あなたのようになれません。
赦してください。
できない私を感謝します。
相手に謝ってほしいと心底思っています。
でも主が許可された出来事は
必ず祝福になりますから感謝します。
こう祈り尽くしたら
今日の私を思い返すと恥ずかしくなった。
自分の義にたつ私の姿はあまりにも滑稽だ。
明日、会社に行くのも恥ずかしい。
もう、しょうがない。
このどうしようもない罪と弱さをもつのが私だ。
このどうしようもない私のために
キリストは十字架につけられたのだ。
神様、まずは本当に赦してください。
そして、全て棚にあげた甘えた祈りですが、
今日の出来事も主が許可されたから
私の滑稽な姿も皆の益になるように
あなたが働いてください。
恥ずかしいが記しておく。
この滑稽な姿をキリストが
祝福に必ず変えてくださる事を信じて。
いのちを捨ててまでも
私を愛してくださったその愛が
必ず解決してくださる事を信じて。
そのとき、ピラトはイエスに言った。
「あんなにいろいろと
あなたに不利な証言をしているのに、
聞こえないのですか。」
それでも、イエスは、
どんな訴えに対しても
一言もお答えにならなかった。
それには総督も非常に驚いた。
マタイの福音書 27章13~14節
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