「石川加賀ワンダーランド」に、「誰一人取り残さない」をはるか昔からやっていた、日本人の偉大さを見た In “Ishikawa Kaga Wonderland,” I saw the greatness of Japanese people who have been doing “leave no one behind” for a long time.
地元コアネタまるさんです。
まるさん夫婦は計画有休をとって、2/12(月)、2/13(火)、石川県に行きました。
いいですね、「石川加賀ワンダーランド」。石川県が、ジモネタ魂が沸き立つコンテンツ満載の場所であることを、再認識しました。それに気づかせてくれたのは、地元を愛する人達でした。
今回「まいどさん」と言われる現地ガイドの方、旅館の仲居さんに積極的に、「なぜなぜ」でいろいろなことを聞いてみました。その結果、石川県民の根源にある「加賀人」のなりわいが、まるさんには見えてきました。今回そのことなどを入れて、徒然なるままに、そして時に熱く語って行きたいと思います。
元日の能登半島地震の時から、「今何ができるのがベストな支援になるのか」と考え続けました。東日本大震災の時のことが、頭をよぎりました。あの時初めて現地に支援に行ったのは震災から6ケ月後でしたが、あの時現場のボランティアスタッフが強く訴えていたのは、「現場が今本当にほしいニーズと支援者の支援のマッチング」でした。どんなに支援したい気持ちがあっても、現場のニーズに合わないと意味がない、そのためには現場の人の生の声を複数、自分自身のニュースソースで集めるべきとだと思いました。
今回元旦数日後に、YouTubeで石川県在住の参政党神谷宗幣議員から、以下のことを聞きました。
「今一番助かることの一つは、現地の経済を回してもらうこと。現地に観光に行ってほしい。能登震災で石川県全体が被害があると思われている。2月、3月のかホテル/旅館の書き入れ時(この字が正しいんですね)に、予約のキャンセルが相次いでおり、大変困られている。金沢、加賀あたりは被害が少ない/実質無いので、どんどん観光に来て地元の経済も回してほしい。」
今回来てみて、まさにそう思いました。金沢市長町という武家屋敷街を回った際にいろいろと教えてくれた「まいどさん」いわく「金沢が栄えないと、能登を救えない。どんどん来てほしい。」と。会社の同期の大田いわく「観光が最大の支援の一つ。石川県にどんどん来てほしい。」と。今回来て、その通りだと思った。情報はTVからでなく、自分が信頼するSNSメディアや信頼する現地を知る人から得よう、そう思いました。
それではまるさんの「石川加賀ワンダーランド巡り」、スタートします!
0.序章 え、車がない?
「北陸応援割が出るらしい」という情報を得た時、まるさんの頭に前回のコロナの際の「GOTO」が頭をよぎった。
あの時偶然にも加賀に旅行を計画し、GOTOを使えるつもりだったら、何と直前でGOTOが中止になった。その時に決めた、「もう政府に多くを期待するのはやめよう、自責で決めよう」と。それで加賀温泉ツアーを決行した。宿は満席、どんなことがあってもその旅館を応援する「ファン」で一杯だった。
今回も同じだった。政府がどうだからではなく、自分がどうなのかから決め、そして予定通り2月に決行した。3月から北陸応援割が出るかどうか知らんけど、「そんなの関係ねえ、はい、おっぱっぴー」とまるさんは走り出した。
驚きは最初にやってきた。石川加賀ワンダーランド巡りのためにレンタカーを借りようと、予約を調べたらなんと「予約対象車在庫ゼロ、ゼロ、ゼロ」のオンパレード。
「やばい、車が借りれない、ワンダーランドツアーのプランが狂う」と思い調べ続けたところ、かろうじて軽自動車を予約できた。来てみてその理由を聞いたところ、「能登震災支援のボランティアがどんどん来ている。レンタカーを大量に借りて、どんどん能登に行っている。だからレンタカーが無いんです。」とのこと。やはり日本人は民度が高い。政府が支援策を出したから、テレビで言っていたからではなく、自ら調べ自ら動いている。素晴らしいと思った。
今回借りたのはダイハツのMOVE。いろいろあったけど基本的に日本の車は信頼している。非常に軽快で小回りが聞いていい車だ。走っていて思った、「やはり地方は車がないと生きていけない。車はライフラインだな。」と。それに対してガソリン代が高い!リッター174円! 首相がトリガー税制を発動する決断をすればいいだけなのに、そんなことさえできない。
民度の高い日本人に、だいぶ前から見透かしている、「恵まれた環境に居続ける彼らには、我々の気持ちはわからないし、わかる気もない」と。
ということでまるさん夫婦は、ChatGPTにまるさんブレンドをまぶした、「石川加賀ワンダーランドプラン」に従い、金沢駅前を12日10時頃出発しました。
1.武家屋敷が並ぶ長町で、加賀の「誰一人取り残さない」精神を垣間見た
最初に行ったのは、「長町武家屋敷跡界隈」。いきなり地元コアネタらしい場所です。
もともとは、金沢の地元コアネタを調べていて、「鈴木大拙館」と「足軽資料館」がヒットしました。最初に行こう思っていた鈴木大拙館ですが、何とリニューアル中で閉館。ChatGPTは教えてくれなかった。ついてはスタートを「足軽資料館」からにしました。
「加賀の足軽が、どんなに大変だったかがわかるのかな」と思っていました。ところが実は。。その真逆であることを知り。。これは後でお話します。
最初に金沢駅中にある観光案内所で、「足軽資料館に行きたいのですが、その近辺で面白いところはありますか?私は一般の有名観光地ではない、地元コアネタを探しています。」と聞きました。
さすが人間、AIにはできない心づかいのアドバイスをもらいました。「そうですか。それでは足軽記念館あたりが、長町という城下町で、昔の風情が残った武家屋敷跡界隈となっています。そこを回るといい。レンタカーで行くんですか。そうしたら、長町に町営のパーキングがあるので、そこで車を停めて歩いて回るといいですよ。」ナイスアドバイスをもらった。まず長町町営パーキングで車を停め、長町武家屋敷跡界隈を歩き出した。川2つに挟まれたその場所は、石川県(というか多くの主要都市)で発生した数々の火災から、川の間にあるということで火災による被害が最小限で済み、結果として荘厳な屋敷が当時にかなり近い形で残っている。ということで、長町武家屋敷界隈のトローリングを開始した。最初に行ったのは、パーキングすぐ近くにある「老舗記念館」。ここがいきなり良かった。
「老舗」とは、「代々続いて同じ商売をしている格式・信用のある店」をいいますが、加賀にはそのような老舗が多く、100年以上存続している老舗も多くある。ここで加賀の老舗のお店と家がほぼ原形で残ったものが移築されている。当時の加賀の商人の状況がリアルに伝わる非常に素晴らしい施設だった。
こんなにすごくて、何と入場料100円。外国人なら10倍は払うのではないか。それほど価値があると思った。
次に行ったのは、「武家屋敷跡 野村家」。入場料550円。ここも渋くて良かった。前田利家の戦で一番槍で功績をあげた野村氏は、そこから出世しその邸宅はずっと残った。加賀の武家の気高さがよくわかる邸宅だった。まるで兼六園が邸内にあるような立派な庭。邸内にある茶室で、抹茶をいただいた。とても風流だった。どこで知ったのか、外国人がとても多かった。今外国人はまさに地元コアネタに動いているんだなということが、よくわかった。
http://www.nomurake.com/origin/
http://www.nomurake.com/garden/
http://www.nomurake.com/tearoom/
そして長町武家屋敷跡のメインイベント、足軽資料館に行った。ここで本当に驚いた。加賀藩は足軽に対して、50坪の庭付き一戸建てを提供していた。複数の足軽ではなく、一人の足軽家族にだ。加賀藩が裕福であったことはもちろんだが、外国なら奴隷扱いにもなり得る最下層の足軽を、戦になれば先頭に立って働く功労者として厚遇する。これこそが日本が古来から、「誰一人取り残さない」「働いた人が正しく報われる世界」を築いていていた証拠だと思った。
このことを教えてくれたのは、「まいどさん(シニアの地元ガイド)」だった。長町の中間ぐらいの場所にまいどさんがいる場所があり、そこでガイドをお願いした。このような深い歴史的背景を教えてくれた。大変ありがたかった。
2.金沢港のある大野町に、厚生食堂→からくり記念館→ヤマト糀(こうじ)パークを巡る武家屋敷跡で十分に加賀の歴史を満喫した
まるさん夫婦は、次に金沢港のある大野町に行った。ここでまずよかったのは、「厚生食堂」。地元の漁師さんの食堂だ。並んでいる地元の方に聞くと、地元でも有名らしくいつも行列らしい。「何がオススメですか?」と聞くと、「海鮮丼よりフライ定食やね」という意外な答え。それでかみさんは刺身定食、私はフライ定食を注文し、食べ合った。共に珠玉のネタと美味しさで、大満足だった。今までで食べた魚のフライの中で、一番美味しかったかもしれない。大きくはないので混むと思うが、オススメの地元コアネタだ。
おいしいランチの後は、次に会社の同期で石川県出身の大田も勧めてくれた「からくり記念館」とヤマト糀(こうじ)パークに行った。からくり記念館では、京都に生まれ最後に大町に居を構えた、幕末の発明家大野弁吉の作品と、日本人が江戸時代から楽しんできた「からくり人形」を見ることができた。実際にからくり人形が目の前で動くところを見れたわけではないが、棒を引くとからくり人形が動いたり、子供達が手を使って遊べる木製遊具が多数置いてあったりして、楽しかった。子供連れの家族もとても楽しんでいた。
https://www.ohno-karakuri.jp/
次に行ったヤマト糀(こうじ)パークだが、正直言ってちょっと期待外れだった。若い女性向けのスイーツや美容にいいこうじランチなどはあったが、醤油やこうじを楽しめて気軽に食べられるもの(しょうゆアイスなど)は、気軽に食べられる場所がなかった。本当はあったのかもしれないが、入り口付近にあれば、わかりやすいかなと思った。ただ震災で人が少なくなっている影響もあるかもしれない。
https://www.yamato-soysauce-miso.co.jp/koujipark.html
3.松井秀喜ベースボールミュージアムに、松井さんの誠実さと地元愛を感じた
そして今日最後の訪問場所、能美市にある「松井秀喜ベースボールミュージアム」に行った。ここも大田が教えてくれなかったら行っていなかった。
松井さんの実直な性格が感じられる、素晴らしい場所だった。大田、教えてくれてありがとう。
https://www.hideki.co.jp/
松井さんは、私がプロボノで従事しているアフリカ野球・ソフト振興機構(JーABS)でにおいて、プラチナドリームパートナーとなってくれている。
https://www.j-absf.org/corpdpabout
松井さんは、石川県能美市で、少年野球から野球を始め、そして中学は何と軟式野球部、そしてご存知星稜高校で「ゴジラ」になった。そのベースにあるのは
お父さんが宗教家で、その中で育ち、誰でも人を敬うこと、努力を怠らないことなど人としての芯を形成した。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784072406557#:~:text=%E5%AE%97%E6%95%99%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%80%8C%E7%91%A0%E7%92%83%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%8F%B8%E6%95%99%EF%BC%88%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E5%BD%B9%E5%93%A1%EF%BC%89%E3%80%82
そしてその教えのまま行動し、人と接してきたからこそ、あのジーターがこの能美市のミュージアムを訪れている。彼が全ての人を大事にしてきたこと、それをジーターも心から感じていたからこその訪問であることが写真からも感じられる。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/24/kiji/K20150424010230010.html
松井が能美市を盛り上げる看板やポスターがあったが、彼が真に生まれ育った地元を愛し、そこを盛り上げようとしていることがわかった。能美市のミュージアムがあるあたりは他に大きな施設もない。まさに彼が故郷に錦を飾り、1つの市場を、ビジネスを、何もないところから作り出していることが、よくわかった。
https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1687745612334/simple/2-5.pdf
4.山中温泉にある天国、ゆのくに天祥での夢の宿泊体験
宿はこれも同期の大田が教えてくれた「ゆにくに天祥」に泊まった。1つの宿の中に3つも源泉かけ流しがある。しかも客室にも露天風呂がある。人生に一度は経験したかった夢の世界を、体験できた。客室にある露天風呂につかった時、まさに「真実の瞬間」を心から感じた。
https://yunokunitensyo.jp/
5.伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」
翌日の14日は、「ゆのくに天祥」が作り、運営する伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」に行った。ここも素晴らしかった。
https://yunokuninomori.jp/
人生初のろくろ回し体験、そしてぜひ実現したかった今回震災で大変だった輪島への支援(輪島塗りの箸を買いました)が、ささやかながらできた。
「ゆのくにの森」は家族、友達、誰と行っても楽しい、手作り体験型テーマパーク。素晴らしい着想と運営だと思った。
一昨年香川県のベネッセアイランド「直島」に行った時も思ったが、このような地元を盛り上げる施設を、維持運営し、発展させていくには、会社の事業でやるのが、やはり正道だと改めて思った。
今回の旅で私達地元ネタまるさん夫婦が伝えたかったこと、それは「GO石川、GO地元」です!
今も震災で大変な能登は、今回ゆのくにの森の輪島塗りのブースで聞いたが、やっと水道は通ったが、本当に復旧が始まるのは3月以降。だから今我々ができるのは、石川県のものを買ったり、石川県に行くことだと思った。日本の現首相は、今や能登の地元民の生死を分けるとも思えるガソリン価格を下げられる「トリガー条項の解除」を決断する気は、毛頭ない。今のままだと今の170円代でも高いガソリン代は5月から一気に上がるだろう。恐ろしい。
外国への支援金や派閥の解消は即断できても、地元民を今助けられる減税措置は即断しない。先日の国会でそれははっきりした。「地方を、地元民を救う本気がないんだ」、私はそう受け取った。
であれば、政府がどうあろうと、できる支援をひとりひとりやる。そういうことだと思った。これはどの地元にもあり得ることで、これからはさらに地元地元で、地元民ができることを考え抜き、一つ一つ実現していくことだと思った。
そのために、また日々の仕事、日々の生活をがんばろう、そう思った。
今回たくさん写真や動画をとりましたが、今回まず文面とURLリンクと一部写真で投稿します。写真、動画は順次追加していきます。
以上地元ネタまるさんでした。それではまた。
This is Marusan, a local core story. Marusan and his wife took a planned paid vacation and went to Ishikawa Prefecture on 2/12 (Mon.) and 2/13 (Tue.). Nice, “Ishikawa-Kaga Wonderland”. We realized again that Ishikawa Prefecture is a place full of contents that excite our gimoneta spirit. It was the people who love their hometown that made me realize this. This time, I proactively asked local guides, known as “maido-san,” and ryokan waitresses about various things with a “why-why” approach. As a result, Marusan was able to see the origins of the “Kaga people,” who are at the root of the people of Ishikawa Prefecture. I would like to include this and other information in my rambling and sometimes passionate talk. Since the Noto Peninsula earthquake on New Year's Day, I have been thinking “What can we do now to provide the best support? The Great East Japan Earthquake came to mind. It was six months after the earthquake when I first went to the disaster site, and what the volunteer staff at the site strongly emphasized at that time was “matching the needs that the site really wants at the moment with the support of the supporters. No matter how much we wanted to help, it would be meaningless if we did not match the needs of the disaster victims, and for that reason, we knew that we had to gather the real voices of the people on the ground through our own news sources. A few days after New Year's Day this time, I heard the following on YouTube from a member of the Upper House of the Diet, Sohei Kamiya, who lives in Ishikawa Prefecture. One of the most helpful things we can do right now is to get the local economy going. I want people to go sightseeing in the area. People think that Ishikawa Prefecture as a whole has been damaged by the Noto earthquake, and they are very worried about cancellations of their reservations in February and March, when hotels and inns are at their peak (is that the right word?). Kanazawa and Kaga were not affected much or practically nothing, so I hope that more and more tourists will come to visit these areas and help the local economy.” That is exactly what I thought when I came to Kanazawa this time. Mr. Maido-san, who taught me many things when we toured the samurai residence area called Kanazawa Choshomachi, said, “If Kanazawa does not prosper, Noto cannot be saved. I want you to come here more and more. I want you to come here more and more. Mr. Ota, a colleague of mine, said, “Tourism is one of the biggest ways to support Noto. I want you to come to Ishikawa Prefecture more and more. I thought he was right. After coming to Japan this time, I realized that he was right. I decided to get information not from TV, but from SNS media I trust and people I trust who know the local area. Let Marusan's “Ishikawa-Kaga Wonderland Tour” begin! 0. Introduction: What, no car? When Marusan heard that the “Hokuriku Ouenwari Discount” was available, she thought of the “GOTO” she had seen on her last trip to Corona. At that time, he had planned a trip to Kaga by coincidence and was planning to use GOTO, but to his surprise, GOTO was cancelled just before the trip. I decided at that time, “Let's stop expecting so much from the government and decide on our own responsibility. So we decided to go on the Kaga Onsen tour. The inns were fully booked and filled with “fans” who would support the inns no matter what. This time was no different. Marusan decided on the tour not because of the government, but because of how he felt about himself, and he went ahead with the tour in February as planned, not knowing whether the Hokuriku support discount would be available from March or not. The surprise came first. When I checked the reservation system to rent a car for our tour of the Ishikawa-Kaga Wonderland, I found a parade of “zero, zero, zero cars available for reservation”. I thought, “Oh no, I can't rent a car, I'll lose my Wonderland tour plan,” and kept checking. When I arrived and asked why, I was told, “Volunteers for Noto earthquake relief are coming in droves. They are renting a lot of rental cars and going to Noto more and more. That's why we don't have any rental cars. So there are no rental cars available. The Japanese people are very generous. They are not just doing it because the government has come up with a support plan or because they heard about it on TV, but they are doing their own research and moving forward on their own. I thought it was wonderful. The car I rented this time was a Daihatsu MOVE. It is very nimble and easy to maneuver. As I was driving, I thought to myself, “I can't live without a car in a rural area. A car is a lifeline. I thought, “A car is a lifeline. But gasoline is expensive! Gasoline costs 174 yen per liter! All the prime minister has to do is make a decision to trigger the tax, but he can't even do that. We have long since seen through the folksy Japanese, “They don't know how we feel, nor are they willing to understand, as they continue to stay in their privileged environment. So, Mr. and Mrs. Marusan left Kanazawa Station around 10:00 a.m. on January 12, following the “Ishikawa-Kaga Wonderland Plan,” which is a blend of ChatGPT and Marusan. 1. The first place I visited was the “Naga-machi Bukeyashiki Ruins” area. Originally, I was researching local core stories in Kanazawa and found “D.T. Suzuki Museum” and “Ashigaru (foot soldier) Museum”. I was going to visit D.T. Suzuki Museum first, but it was closed during renovation. So I decided to start from “Ashigaru Museum”. I thought, “I wonder how hard it was to be a foot soldier in Kaga. But in fact, I found out the opposite. I found out the exact opposite. I will tell you about this later. First, at the tourist information center in Kanazawa station, I was asked, “I would like to visit the Ashigaru Museum, but is there anywhere interesting in the vicinity? I'm looking for core local stuff, not the usual famous tourist attractions.” I asked. As expected of a human being, I received thoughtful advice that an AI could not give. I was told, “I see. The area around the Ashigaru Memorial Hall is a castle town called Naga-machi, where the old samurai residences still remain. You can go around there. Are you going to rent a car? If so, there is a town parking lot in Nagamachi, so you can park your car there and walk around. Nice advice. I parked my car at the Naga-machi parking lot and started walking around the Naga-machi Buke Yashiki area. The location between two rivers has suffered minimal damage from fires that have occurred in Ishikawa Prefecture (and many other major cities) because of its location between the rivers, and as a result, the majestic residences remain quite close to their original state. So we started trolling around the Naga-machi Buke Yashiki area. The first place I visited was the “Old Restaurant Memorial Museum” located right near the parking lot. This place was suddenly good. The term “long-established store” means “a store with prestige and credibility that has been in the same business for generations.” There are many such stores in Kaga, and many of them have been in existence for more than 100 years. Here, a long-established store and house in Kaga that has remained almost in its original form has been relocated. It was a very wonderful facility that realistically conveys the situation of merchants in Kaga at that time. The admission fee was only 100 yen for such an amazing facility. A foreigner would probably pay 10 times as much. I thought it was worth it. Next, we went to “Nomura House, a former samurai residence. The admission fee was 550 yen. This place was also nice and austere. The Nomura family, who had distinguished themselves with the first spear in the battle of Maeda Toshiie, rose through the ranks and their mansion remained there for a long time. It was a residence that clearly showed the nobility of the samurai families of Kaga. The garden is so magnificent that it looks as if Kenrokuen Garden is inside the mansion. We were served matcha (powdered green tea) in a tea room inside the mansion. It was very elegant. I don't know how many foreigners knew about this place, but there were many of them. I could understand that foreigners are now making a move for local core stories. http://www.nomurake.com/origin/http://www.nomurake.com/garden/http://www.nomurake.com/tearoom /And then we went to the main event of Naga-machi Buke Yashiki Ruins, Ashigaru (foot soldier) museum. I was really surprised here. The Kaga clan provided the ashigaru with a detached house with a 50 tsubo garden. Not to several foot soldiers, but to one foot soldier's family. Of course, the Kaga clan was wealthy, but it also treated the lowest class of foot soldiers, who in other countries would have been treated as slaves, as distinguished warriors who would lead the way in a war. I thought this was proof that Japan had built a world in which no one was left behind and those who worked were rightly rewarded. It was a “maido-san” (senior local guide) who told me this. There is a place in the middle of Nagamachi where Maido-san is located, and I asked him to be my guide there. He gave us such in-depth historical background that we were very grateful. After fully enjoying the history of Kaga at the samurai residence site, Maru-san and his wife next went to Ono-machi, where Kanazawa Port is located. The first thing they liked here was Kosei Shokudo. It is a local fisherman's restaurant. When we asked one of the locals in line, he told us that it was famous among the locals and that there was always a long line. When I asked him what he recommended, he replied, “Kaisen-don (seafood bowl). The answer was surprising: “The fried fish set meal,” rather than the seafood bowl. So my wife ordered the sashimi set meal and I ordered the fried fish set meal, and we ate them together. We were both very satisfied with the excellent ingredients and tastes. It was probably the best fried fish I have ever had. It's not big, so it will be crowded, but it's the local core stuff that I recommend. After a delicious lunch, we next went to the Karakuri Memorial Museum and Yamato Koji Park, which was recommended by Ota, a colleague of mine from Ishikawa Prefecture. At the Karakuri Memorial Museum, we were able to see the works of Benkichi Ohno, an inventor at the end of the Edo period who was born in Kyoto and last lived in Omachi, as well as “karakuri dolls” that Japanese people have enjoyed since the Edo period. Although we were not able to see the karakuri dolls in action in front of our eyes, we enjoyed pulling a stick to make the dolls move, and there were many wooden toys for children to play with using their hands. Families with children were also having a lot of fun. https://www.ohno-karakuri.jp/次に行ったヤマト糀 (kouji) park, but to be honest, it was a bit disappointing. There were sweets for young women and kouji lunches for beauty, but there was no place to enjoy soy sauce and kouji and eat them casually (such as soy sauce ice cream). Perhaps there really was, but I thought it would have been easier to find if it had been near the entrance. However, it may be due to the fact that the earthquake has reduced the number of visitors. https://www.yamato-soysauce-miso.co.jp/koujipark.html3. I felt Matsui's sincerity and love for his hometown at the Hideki Matsui Baseball Museum, and the last place I visited today, We went to the Hideki Matsui Baseball Museum in Nomi City. I would not have been able to visit this museum if Ota had not told me about it. It was a wonderful place where I could feel Matsui's honest character. Thank you, Ota, for telling me about it. https://www.hideki.co.jp/松井さんは is a Platinum Dream Partner of the African Baseball and Softball Promotion Organization (J-ABS), where I work on a pro bono basis. https://www.j-absf. He started his baseball career in Nomi City, Ishikawa Prefecture, Japan, playing for a youth baseball team, then for a junior high school softball team, and finally for Seiryo High School, where he became a “Godzilla”. His father was a religious man and he grew up in a religious environment, which formed the core of his character, including respect for everyone and never neglecting to work hard. https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784072406557#:~:text=宗教教� E6%95%99%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%80%8C%E7%91%A0%E7%92%83%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%8F%B8%E6%95%99%EF%BC%88%E4%BB%A3%E8%A 1%A8%E5%BD%B9%E5%93%A1%EF%BC%89%E3%80%82And it is because he has acted on his teachings and interacted with people that Jeter is visiting the museum here in Nomi City. The photos show how much he cared about everyone, and how much Jeter truly felt that.
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