実力も運のうち。でも、運も実力のうち。
人とくらべるな。
そう言われても無意識にくらべてしまうのが人間なんじゃないかと思います。
「あの人、あんなにがんばってるのに自分なんて…」
「あの人にくらべたら、努力が足りない」
「どうやったらあんなにがんばれるんだろう」
「あの人みたいになりたい」
意外とこんなふうに思っている人、多いんじゃないかな。今の資本主義社会では、がんばった人が報われる。と刷り込まれているように思います。
がんばれるかどうかは運。
がんばれないのは怠惰な証拠。
今の社会で生活していると、こう言われているようにも感じます。
でも、よく考えたらがんばれるのって、がんばれるような環境で育ったかどうかが大きく関わっていると思うんです。
私はよく、それは池田さんだからできるんだよ。と言われます。
正直、そうかもな。と最近は思うようになりました。親が厳しかったということもあるのですが、周りの人よりはがんばるだけの体力があるのかもしれない。また、育った環境も恵まれていたんだなとも思います。
そう思うと、実力主義、能力主義、がんばったものが報われる。
これらって運じゃん。
運だとしたら、悩む必要なんてない。
だってどうしようもないんだもん。
だとしたら、人とくらべて自分なんて…と苦しむのってなんの意味もないんじゃないか。そう思えてきました。
でも、がんばった先に運がある。
実力が運のうちなのだとしたら、もうがんばるのやめよう。
と割り切るのは、それはそれで今度は人生がおもしろくなくなってしまう。
量子力学では、宇宙があって自分があるのではなく、自分があって宇宙があるとされています。そうだとした場合、目の前の嫌な状況や環境を変えるのは自分であるということになる。また、楽しかったりワクワクしたりする状況や環境にできるのも自分次第ということになる。
要は、自分がこうしたい、こうなりたい、と思うことを大切に持って、そのためにがんばればいいんじゃないか。それは、すごい人のがんばりにくらべたら米粒程度のがんばりにしか値しないかもしれない。それでもいい。こんな生活をしたいという自分の願望のために、自分のペースで血眼にがんばる。その先に運がよかったと言えるくらいのことが起こるんだと思います。
がんばらなくてもいいなんてことは生きている以上ない。
ただ、人とくらべてがんばってるかどうかを考えるのは時間がもったいない。それだったら、自分がどうしたいかを明確にして、そのためにはどうしたらいいかをただただ考えて行動すればいい。
とは言うものの。
言うは易し。
無意識にくらべてしまうのが人間だとも思うので、まずは、そことうまく向き合う訓練が必要ですね。
今一度自分にも言い聞かせたいと思って書き記しておきます。