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寛容性のない社会を生き抜くために
日本に生まれて36年経ちますが、私が小さい頃に比べると、日本社会は余裕のない社会になってきたと思います。
自分が生きてくことで精一杯で、他者への思いやりみたいなものは、どこかに消し飛ばされてしまいました(ネット社会、グローバル化、少子高齢化、雇用情勢の変化、コロナウイルスの蔓延……などなど、いろいろな要素が複合的に絡み合っているのでしょう)。
要するに、社会に寛容性がなくなったということでしょうか。
ミスしたら一発アウト、警告を通り越して、退場です。
このような余裕のない社会を生きていくには、なににおいても共感力が大切であると思います。
たとえば、おじいさんやおばあさんがいた場合、ただおじいさんやおばあさんがそこに存在しているわけではありません。
70歳なら70年の、80歳なら80年の過ごした人生がそこには存在しているわけです。
その人生を想像し、この人はどんな価値観を大切にしているのか想像することが、共感力を持つということです。
他人に共感するには、他人の視点を持つこと、他人に関心を持つことがなにより大切です。
人はなにに喜び、なにに悲しみ、なにに感動するのか。
この感覚を持つことが、寛容性のない社会で、生きていくにはとても大切だと思うのです。
今は、あらゆることにおいて自己完結できるので、内に閉じこもることができるようになりました。
しかし、自分の殻にこもっていると、他人の人生を見ることができなくなってしまいます。
世界は人の相互作用で動いているのです。
他人に関心を持っている人とそうでない人とでは、他人に与える影響は変わってきてしまいます。
家に帰ってスマホを開けば、自分の世界に入れる。
それじゃ、ダメなんです。
なぜ社会はこんな状況に陥ってるのか。
広く俯瞰し、人それぞれの人生を想像し、視野を広く持った行動を取らなくてはいけないと思うのです。
それに必要なのが、共感力です。
他人はなにに一体困っていて、なにをすれば喜ぶのか。
そこに視点を持っていくことが大切であると思います。
共感力は、一夜にして身につきません。
人、一人一人の人生、価値観を想像することから始まります。
つねに他人の人生を想像する余裕を持ちたいものです。