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好きは考えるよりも前にあること

確信めいたことは言えないけど、思い立って考え始めたことを残しておく!

私は今まで、幾度となく「好き」というものに救われていて、好きなものがあって良かったなってことあるごとに思っている。

歳を重ねるごとに好きなものが増えているから、その分良かったなと思うことが増える。

その中に、ドラマがある。
と言ってもドラマ全般ではなく、坂元裕二さんという脚本家のドラマ。私なんかが説明しなくても良いくらい有名な脚本家さんですが、恐縮ながら最近まで存じ上げなかったんですけど、今はサブスクで過去作を探しては観続けています。

きっかけは2021年に放送された『大豆田とわ子と3人の元夫』というドラマ。たまたま放送されたのを観たのか、何か理由があって意図的に観たのか覚えてないけど、このドラマが本当に面白くて最高で。2話以降は録画して何回も見返している。

ここで初めて私は坂元さんの脚本に触れたわけだけど、はっとさせられるセリフが随所に散りばめられていて、暮らす・働く・生きるってこういうことだよねと一人前に人生を理解した気になる。

(Netflixにあります!気になった方は是非!)

そんな中第5話、とわ子が1番目の夫に対して言った言葉に1番はっとさせられた。

「好きっていうのは考えることじゃないもん。考える前にあることだもん。」

すごい!痺れた!全細胞が沸き立った気がする!

以前から、何がきっかけか覚えてないけど、「好きに理由はない」って思ってたから、この考えを別の側面から補強してくれた感じ。

実際好きな理由を聞かれた時、こう、言葉ですらすらと説明できないことがほとんどで、直感的に好き!って思ってるからな〜といつも思う。それは人でも、お菓子でも、建築でもそう。

好きなところはいっぱい挙げられるけど、じゃあ、可愛いから・かっこいいから好きなのか?と言われるとなんだか違う気がして、可愛いとかかっこいいは後付けでしかなくて、そう感じてる時には既に気になっていたり好きだったりする、と思ったり。

建築とか包装紙とか、特にそういうデザインのものは本当に直感で「可愛い!」って感じるんだけど、その感覚はデザインが目に入った瞬間に、自分の中にある感受性のスイッチのようなものが押される感じ。

言葉や理屈で説明できない感じ。

言葉よりも先に、考えるよりも前に好きと思うなら、好きと感じるスイッチが自分の中に既に備わっていて、好きと感じる準備ができているのだなと思う。そう考えると、好きになるのは必然だったのかなと思い始めた。

例えば、江國香織さんの文章が好きと思ったのも、それまで触れてこなかった世界だけど自分の中に好きと感じるスイッチが知らず知らずのうちにあったからだと思う。そう考えるとすごくしっくり来る。

だって、私それまで小説を読むとしたら、東野圭吾ばっかりでたまに山田悠介も読むくらいで、話の展開の面白さを楽しんでいたんですよ。(山田悠介流行りませんでした?『スイッチを押すとき』『パズル』とか。この前久しぶりに手に取って冒頭読んでみたら描写がきつくてすぐ閉じてしまった)
小説に言葉や表現の美しさを求めたことなんてなかったんです。

だから、それまでミステリー好きだった自分のことを考えると、似ても似つかない江國香織さんの『きらきらひかる』を読んだ時、読み終えたことだけでもびっくりで、さらには言葉が心地良すぎて何度も何度も好きな描写を読み返して、ノートに書き写して。今では空で言える箇所がいくつもある。

「好きは考えるより前にあること」って凄くないですか?頭で、言葉で、「〜だから」と考えるよりも前に、好きって感じてるんですよ。


私は、言葉の力というか、言葉の存在力みたいなものを結構信じていて、言葉があって初めて人は対象や世界を認識できる、感情もその一つ、だと思っているから、「考えるよりも前にあること」という言葉にはっとさせられて納得している一方で、どうして自分は好きと感じるのかということを言葉で表現するのを諦めたくない、とも思っている。

ミステリー好きの私が江國香織さんの作品が好きになったのには、そこに自分自身の内面の変化みたいなものがあったからだと思うから、その変化が何なのかを知りたい。

それを好きになるために今までの自分がいた、というと少し大袈裟だけど、今までの体験や環境が積み重なってスイッチが完成して、然るべきタイミングでそのスイッチを押されたのかな〜とか。

うまく説明できないけど、そんなことを思った。

私の好きなもの一覧です🐋

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