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平泉寺白山神社  (勝山市) vol.17

こんにちはKUROchanです。
読んで頂きありがとうごさいます。
今回は、白山信仰と自然・歴史が色濃く残る
勝山市の平泉寺白山神社をご紹介します!

●平泉寺白山神社 
 (へいせんじはくさんじんじゃ)

   福井県勝山市平泉寺町平泉寺56−63  

境内 二の鳥居と拝殿

石川・岐阜・福井にまたがる白山連峰は、
古来から霊験あらたかで人々に厚く信仰されてきました。

古来から三馬場〈さんばんば〉と呼ばれる
3カ所の神社から白山に修行として登っていました。

参道入口

石川県の白山比咩神社〈しらやまひめじんじゃ〉から通じる加賀禅定道〈かがぜんじょうどう〉

岐阜県の長滝白山神社〈ながたきはくさんじんじゃ〉から通じる美濃禅定道〈みのぜんじょうどう〉

福井県の平泉寺白山神社〈へいせんじはくさんじんじゃ〉から通じる越前禅定道〈えちぜんぜんじょうどう〉です。


この平泉寺白山神社の参道は周囲に立派な杉並木が続き、道路のすぐそばに旧参道が遺されています。

当時の歴史上の人物も石畳の道を歩いたのでしょう。ロマンあふれ、神聖な空気が流れています。

旧参道

養老元年(717)に越の大徳〈こしのだいとく〉といわれた、僧の泰澄〈たいちょう〉により開かれました。

泰澄は境内にある池、林泉〈りんせん〉または平泉〈へいせん〉で白山の女神からお告げを受けて、この白山に修験として所々で心身を清めながら登り開山しました。

御手洗池(林泉、平泉)

平安時代の応徳元年(1084)に比叡山延暦寺の末寺となり天台宗の平泉寺として繁栄しました。

「南谷三千六百坊、北谷二千四百坊」とうたわれるほど寺院や拝殿が幾つも並び四八社、三六堂、六千坊、僧兵8千人、寺領九万石・九万貫と宗教都市として栄華を誇りました。


境内絵図の看板


しかし戦国時代の天正2年(1573)に一向一揆が起こり平泉寺は全山焼けてしまい、建物は跡形もなくなってしまいました。

その後、美濃(現在の岐阜県南部)に逃れていた顕海〈けんかい〉が弟子と共に9年後に玄成院〈げんじょういん〉を再興し、白山へ通じる禅定道も再開につとめ、
その後、さらに江戸時代には福井藩松平氏の保護を受け、社殿が再興されました。 

社務所・旧玄成院庭園

慶應4年/明治元年(1868)に神仏分離令〈しんぶつぶんりれい〉が出されました。平泉寺の農民から寄進された領地は没収、平泉寺という名称が廃止となりましたが、白山神社として残されたほか、平泉寺は付近の村名として使われました。平成元年(1989)以降、境内の発掘調査が行われ、焼失以前の中世最大の宗教都市が明らかになりつつあります。

【白山神社】

拝殿


●御祭神 

○本社 
 伊弉冊尊  (いざなみのみこと) 

本社


○別山社 
 天忍穂耳尊 (あめのおしほみみのみこと) 

別山社

○越南知社(おおなむちしゃ)  

 大己貴尊 (おおなむちのみこと)※大国主命

越南知社

◯三の宮(さんのみや) 安産の神
 栲幡千々比売尊 (たくはたちぢひめのみこと)

三の宮

【境内】

三の宮側から見た参道
三の宮参道の木の鳥居
拝殿、参道と杉並木

静かで苔が美しく、杉並木も背が高く、
空気と水がきれいで白山の恩恵がそのまま投影されているようでした。 
権力の争いの歴史があっても、神聖で美しい佇まいの神社です。

今日も読んで頂きありがとうございました。

[参考文献]
○勝山市編 吉川弘文館 『白山平泉寺 よみがえる宗教都市』2017.3
○平泉寺町まちづくり推進協議会 『歴史漫画 白山平泉寺物語   今、千年の歴史が説き明かされる』2007.7
○勝山市パンフレット 『白山平泉寺散策マップ』2019.5
○越知山泰澄塾 泰澄研究部会 『越知山泰澄塾 創立30周年記念誌  泰澄の道 No.6 泰澄大師 その足跡600ヶ所』p231 854白山平泉寺 2021.4
○昭文社 『福井県のトリセツ』p80.81中世史 地中に眠る巨大宗教都市!? 中世最大規模を誇る白山平泉寺  2021.5
https://heisenji.jp/hakusan-shirine/about/

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