瓜に爪あり、爪に爪なし。2
前回の続き。
「数学の質問教室に一度行くのをやめかけたが、やっぱり行こうと電車に乗り込んだ私ノムラリアン。果たして質問教室に間に合うのか?」が前回のお話の終わりの方です。
結局、チャイムと同時に教室に入り、セーフ
教室を見渡すと、5人しかいなかった。
数学好きの子が2名、私を含む課題未提出常習犯が3名という…。ちなみに、一緒に「参加します」に○をつけた友達は数学好きの1人に入り、いつも数学を教えてもらっていた。
先生は、満面の笑みで課題プリントの解説及び地元の国立大学入試問題の解説を始めた。先生の笑顔と丁寧な解説は自主参加で集まった5人を歓迎してくれた。
質問教室はなんとびっくり、90分間だった。どうやら、大学での授業の長さを体感してほしいという先生の意図があったようだ。90分もあることをつゆ知らずに来た私は正直、耐えれるか不安だった笑
だが、その90分の間には、休憩があった。
先生が「もぐもぐタイム」と言って、プラスチックのケースからキットカットを取り出した。
「いきなりの90分はきついからね、もぐもぐタイムだよ。これ、みんなで食べてください。今日、来てくれてありがとう。」
そう言いながら机の上に期間限定のキットカットを7つ並べた。ジャンケンに勝った私はキットカットを2ついただいた。「こちらこそ、丁寧な解説とキットカットをくださってありがとうございます。」と思いながら、ポケットにキットカットをしまった。すぐ食べても良かったのだが、なんだかもったいなかった。
そして、帰りの電車でいただいたキットカットを頬張った。甘い。今日、行って良かった。
いつも授業延長(9分休憩のうち5分が無くなる)で授業をする、課題のワークは全ての問題にチェックし「おかしい!」「再提出」と濃い字で書く厳しい先生が、なんだか生徒に甘い先生にみえてきた。全ては、生徒のためなんだ。生徒ファーストの優しい先生なんだ。
この質問教室を境に、私の中にあった先生への厳しくて怖い先生というステレオタイプが取り払われた。そして、数学を頑張ろうと思った。
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時は、高校2年生。数学の先生は今年も変わらずに、担当となった。
部活を辞めてからは、課題を欠かさず出すようになった。部活という言い訳が無くなり、勉強もたくさんした。
それが、功を成してか、みるみる成績が上がった。
数学ももちろん、伸びた。
平均以下しか取れなかった数学のテストも平均以上の点数が取れ、テストの端っこには、
「すごい!のびてます!」
と、濃く赤い文字で書かれていた。
嬉しかった。涙目になった。
あまりの嬉しさに先生の字を何度も
手でなぞった。
テストが返却された日の授業の終わりに、友達が私に「ここ教えて」と言った。勉強した甲斐があって、解っていたので友達に教えることができた。その姿を先生が見ていた。
先生は頷きながら微笑んでいた。今にも目の前からいなくなってしまうのではないかというくらい儚く優しい笑顔だった。
なぜか、私は先生のその表情が脳裏から離れなかった。今でも鮮明におぼえている。
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テスト返却から翌週。
先生は、来なかった。
入院されたらしい。
頭が真っ白になった。
一人一人の課題を1ページ1ページずつチェックして、その上休み時間に差し掛かっても生徒が理解できるよう時間をかけて授業をする。再提出の課題にもチェックを入れ、再々提出やオッケーのハンコを押す。テストの採点も作問ももちろん丁寧だ。
先生、疲れてたんだ。
そう思っていた。
だから、休めば良くなる。
そう思っていた。
一か月経っても先生は戻ってこなかった。
ご病気になったのかな?
でも、先生なら大丈夫。
きっとまた元気に数学教えてくださるよ。
そう思っていた。
ピコン
友達からのLINEだ。
「先生、お亡くなりになられたらしい」
え、、、。
言葉が詰まった。
私は自分の部屋を飛び出し、リビングの床にあった新聞を開いた。おくやみの欄を見た。
先生の名前があった。
泣いた。目が腫れるほど泣いた。
声が出るほど泣いた。
先生のあの儚い笑顔が私の見た最後の先生の姿だったんだ。
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翌日。朝のホームルームで、先生の話を担任がした。そして、授業のはじめにも先生の思い出話を他の先生がしていた。
先生が亡くなられてからも授業は変わらず行われた。
当たり前なのだが、いつもの教室。いつものチャイム。いつもの授業。いつもの机と椅子。
先生がいないこの世界は、いつもと何ら変わりないことが憎かった。そして何より、先生のお葬式に行けなかった自分が憎かった。
あのときの先生の笑顔を最後の姿にしたかったという願望と、先生の死を受け止めきれないことからお葬式には行けなかった。勇気がなかった。
瓜に爪あり爪に爪なし。
続く.